第91話 お姫様抱っこ

「よほど疲れていたんだな……」


 腕の中ですうすうと寝息を立て始めたアメリアを膝の上に横たえて、ローガンは小さく呟く。

 膝上にかかるアメリアの重み、温もり。


 そしてほんのりと漂う甘い香りに、ローガンの理性がぐらぐらと揺れ動く。

 思わず、視線が吸い寄せられた。


 幼さを残した端正な顔立ちは、透き通るような白い肌に彩られている。

 スッと通った鼻筋に、桜色の小さな唇。


 明るいワインレッドの髪はサラサラで、指で梳くとこぼれ落ちてしまいそうだ。


(見違えたな……)


 改めて思う。

 この屋敷に来てからの規則正しい生活と栄養価の高い食事のお陰で、アメリアはより美しい女性へと変貌を遂げていた。

 屋敷に来た当初の、ガリガリで痩せ細っていた姿はもはや皆無。


 寝顔でさえも絵にして飾りたくなるような、芸術作品の如く美しさを纏っている。

 視界に映していると、抗えない魅惑に吸い寄せられてしまう。


 胸の奥がどくどくと音を立て、身体の芯が熱くなるような感覚が──。


 ハッと、ローガンは理性を取り戻す。


「……いかん、いかん」


 何を考えているのだと、髪をぐしゃぐしゃっと掻き分ける。

 婚約者とはいえ、寝ている相手に邪な情を抱べきではないと、ローガンの理性が歯止めをかける。


 落ち着かせるように息をついた後、ローガンはアメリアの頭と足の辺りに腕を潜り込ませ力を込め、それから慎重に立ち上がった。


(軽いな……)


 率直な感想を胸の中で呟く。

 肉付きは確かに良くなっているが、もう少し栄養をとった方が良いかもしれないとローガンは思った。


 いわゆるお姫様抱っこの体勢で、ローガンは足を踏み出す。


「んぅ……」


 一瞬、アメリアが顔を顰めたがすぐに、すやあ……と眠りの世界に戻っていった。

 ホッとローガンは胸を撫で下ろす。どうやらかなり眠りは深いようだ。


 アメリアを起こさぬよう、ゆっくりと扉を開けて廊下に出る。

 そのまま寝室に向かっていると。


「……おやおや」


 向こうから歩いてきたオスカーが、アメリアを抱くローガンを見るなり微笑ましい顔をした。


「ウィリアム氏の話が退屈でしたかな?」

「いいや、関係ない。単純に寝不足なのと……」


 その先を告げようとして口を噤む。

 抱擁して頭を撫でていたら眠ってしまった、などと口にするのは流石のオスカーとして気恥ずかしいものがあった。


「それよりも、ウィリアム氏の件、感謝する。お陰で、アメリアに良い師が出来た」

「お役に立てたようでしたら何よりです」

「流石はオスカーの友人の紹介、とても優秀な人だったな」

「そうでしょう、そうでしょう」


 オスカーが誇らしげに何度も頷く。


「彼は私の友人……カイド大学の学長きっての推薦でしたので、実力はお墨付きです」

「カイド大学の学長……オスカーの交友関係は凄まじいな」

「無駄に人生を長生きした分、古い友人は皆、出世していったようです」


 ふふふと、オスカーは懐かしそうに目を細める。


「これを機に、ローガン様も学問の湖に戻ってみてはいかがかな?」

「ここ最近まで仕事漬けだったからな。少し余裕が出てきた分、また勉学に励むのもやぶさかでは……」


 ──軍略についての学問は、基礎知識程度しか修めていませんが。

 ──関係ないだろう。お前のその、『一度見たら忘れない記憶力』を使えば、すぐに専門家の仲間入りだ。


 先日のクロードとのやりとりが浮かんで、ローガンは言葉を切る。


「ローガン様?」

「ああ、いや……なんでもない」


 頭を振って、ローガンは記憶を頭から追い出した。


 それから、二言三言オスカーと言葉を交わして別れる。

 アメリアを寝室へ運ぶ途中、ローガンの胸中は靄がかかっていた。

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