第7話 婚約の条件

「詳しい婚約の契約はこちらの通りだ」


 ローガンはそう言って、一枚の羊皮紙を取り出す。

 アメリアは安堵した。


(字を習っていて良かったわ……)


 この国の識字率はさほど高くはない。

 貴族となれば家庭教師をつけ字を学ぶことは一般的だが、庶民は基本的な読み書きもおぼつかない場合がある。


 商人の娘として生まれ幼い頃から字を習っていた母ソフィアのおかげで、ろくに教育も受けさせてもらえなかったアメリアも人並みの読み書きは出来るようになっていた。


(ありがとう、お母様……)


心の中で亡き母に感謝を告げる。


「拝読させていただきます」


 羊皮紙を受け取って、内容に目を向ける。


「ふむふむ……なるほど……」


 ① 此度の婚約は形式的なものだが、婚姻同意書は王宮に提出する。


(外から見て、結婚しているという証明は必要だものね)


 これは無問題。


 ② 妻アメリアは、ヘルンベルク家の品位を落とさぬように尽力する。公の場で妻としての振る舞いに努める以外は、特に仕事は課さぬものとする。


(こ、これは……つまり夜会やパーティで頑張ること以外は、好き勝手自由にしても良いってこと……!?)


 夢のようだと思った。

 実家では、父からたびたび書類仕事を押し付けられ、睡眠時間を削って処理する日々だった。


 過労で死ぬかと思った経験も一度や二度では無い。


 故に、公の場以外に仕事をやる必要がないというのは、アメリアにとって天にも昇る条件であった。


「何をそんな目を輝かせているのだ……?」

「あ、いえ、失礼いたしました」


 首を傾げるローガンに一礼し、表情を戻してから続きを読む。


 ③ 原則としてお互いに干渉はしないこと。部屋も別々とする。


(これも、ローガン様の婚約の理由を考えれば当然と言えば当然よね)


 ちょっぴりだけ残念な気もするが、致し方がない。

 その他は結婚式についてや屋敷内での大雑把なルールなど、細々とした事項で契約書は締められていた。

 

 全て読み終えてから、ローガンに視線を戻す。

 

「質問、よろしいでしょうか?」

「なんだ?」

「食事は一食付きますでしょうか?」

「なぜ食事が一食の前提なのだ。きちんと三食摂れ」

「三食も! ありがとうございます、ありがとうございます……」

「変なことを言うやつだな……?」

「それと、何かお給金が発生するお手伝いなどはございますでしょうか? 厚かましいお願いであることは重々承知ですが、身の回り品などを購入するにあたって最低限のお金が必要かと思い……」

「手伝いなどせずとも、そのくらいの費用はこちらが出す。専属の使用人をつけるから、必要なものがあれば申しつけるといい」

「そんな至れり尽くせりでよろしいのですか……!?」

「……? 妻なのだから当然だろう?」


 実家では父の書類仕事を連日徹夜で完遂しなければ、下着もろくに与えられなかった。

 それに比べると天国にも程がある。


 キラキラと『喜』のオーラが漏れてしまっているアメリアを見て、ローガンが不思議そうに問う。


「そもそも、実家から財に変えられるものは持たされていないのか? 普通は持たされるものだと思うが」

「いえ……特には。この荷物だけでございます」

「その二つのトランクと、カバンだけか?」

「はい」

「中には何が?」

「主に本と、ざっそ……いえ、身の回り品とかです……」


 危ない。雑草と口にするところだった。

 嫁ぐにあたっての荷物の中に雑草や薬草がたっぷり入っているなど、淑女としては微妙だろう。


「……なるほど。想像以上に少ない荷物なのだな」


 まさか妾子と言えど伯爵家の令嬢が、離れに軟禁されて何も与えられなかったなどローガンの想像が至るはずもない。


「最後に……これが一番大事な質問なのですが……」


 アメリアは恐る恐る、だけど譲れないといった瞳でローガンに問うた。


「お、お庭のお花や雑草はとっても良いものでしょうか……!?」

「………………は?」


 たっぷり間をとって、ローガンは首を傾げた。

 顔には『何言ってんだこいつ』と書かれてある。

 

「さっき馬車からチラッと見えたのですが、この屋敷の提案に生えている植物はとてもおいしそ……じゃなくて、中々のものがありました。淑女にあるまじき趣向ではあるのですが、こう見えて自然には目がないものでして、色々と採取したく思っています。あ、もちろん綺麗に整備された花園とかは手を出しません! どこか手入れが行き届いていない場所などあれば私としてはとても……」

「わかったわかったわかったわかった」


 ローガンが手のひらをアメリアに見せてストップをかける。

 アメリアから出てくる情報量についていけていない様子だ。


「見栄えに影響が出ない範囲であれば、別に好きにしていい」

 

 その言葉に、ぱあぁっと表情に花を咲かせるアメリア。

「ありがとうございます、とても助かります!」

(これで、万が一食料が絶たれた場合でも、生きていける……!!)


 アメリアがズレた安堵をしている一方、ローガンはどっと疲れたようにソファに腰掛けた。


「質問は以上か?」

「はい。とても寛大な待遇をいただき、ありがとうございます」

「ごくごく一般的な待遇だと思うのだが……それで、契約書の方は問題なさそうか?」

「はい、問題ございません」

 

 むしろ、こんなに恵まれていていいのだろうかとすら思う。

冬の寒い日であっても、ロクに薪ももらえない離れに押し込まれていた実家と比べたら天国としか言いようがない。


 改めてローガンの表情をまっすぐに捉え、深々とお辞儀をしてアメリアは言った。


「この婚約、ぜひお受けさせていただきたいです」

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