第16話 ヒロインになれない私
アンドレイとのお茶会の後、よくできたアンドレイ《彼》付きの侍女さんに崩れた化粧を直してもらい、父の執務室へと向かう。
そういうばこの侍女さんも、私が迷惑をかけた方々の一人だ。主に、お転婆で。例のサージュを巻き込んだ木登りの際には、かなり多大なご迷惑を……。何だかずっと、気苦労をかけていると思い至る。
「あの、マール。いつもありがとう。とうとう貴女には迷惑ばかりかけているわ」
私は途中で歩みを止めて、彼女に声をかけた。……今回も、このことでいろいろと気を使わせてしまうだろう。
マールは一瞬驚いた顔をしたものの、すぐに笑顔を見せた。
「勿体ないお言葉ですわ、ダリシア様。……寧ろ、これでようやくアンドレイ様も前に進まれるでしょう」
この言い方は。
「……もしかして、マールも以前からアンドレイの気持ち、を、知って?」
私のたどたどしい問い掛けに、笑顔で答えるマール。
……沈黙は肯定ね。
「私共も、ダリシア様が王太子妃になられたら、と、楽しみにしておりましたが……その、ダリシア様のお気持ちも、薄々は」
「そ、う、だった、の。……何だかごめんなさい」
「そんな、私にまで謝らないでくださいませ。お小さい頃から存じておりますダリシア様がお幸せになるのは、僭越ながらとても嬉しく思っております」
「ありがとう、マール」
リズと共に、マールもまた、私にとっては姉のような存在だ。そんなマールに喜びいっぱいの笑顔を向けられて、安心感と嬉しさが広がっていく。
「そして殿下にはこれに懲りて、早めの行動を心掛けていただきたいですわ。尊大に見えて、考えすぎる所がおありなので」
「……厳しいわね」
「殿下にも、お幸せになっていただきたいですから」
ふんす、と言わんばかりに両手の拳を握って肘を曲げるマール。やっぱり、厳しいけれど優しいお姉さんだ。
そのまま、マールと話をしながら父の執務室に向かい、部屋が近くなった所で部屋から声が漏れてきた。
「……ルーエン君、何かあったのかね?君らしくなく、落ち着きなく見えるが」
お父様だ。それに、ルーエン様もいるらしい。急なことにドキドキして、足を止めて少し狼狽える。
『な、何だか恥ずかしいから、ちょっと出直したいわ、マール』
『よろしいのですか?せっかく……』
コソコソとマールに耳打ちして、踵を変えそうとすると。
「はは。仕事前にダリシア嬢と殿下と鉢合わせしたようなんですよ。それからずっとこんな調子で、困りもんです」
自分の名前が聞こえてきて、足を止めてしまう。この声はエトル様だ。
「……仕事はしていると思いますが」
ルーエン様の憮然とした声が聞こえる。確かにご機嫌はよろしくないような……。
「いや、だからな?不機嫌オーラが出過ぎなんだよ」
「出しておりませんが」
「確かに今日、アンドレイ様とお茶会だとダリシアが言っていたな。ルーエン君も会ったのか。……ん?それで不機嫌?何か娘が粗相したかい?」
ちょっと、お父様失礼ですけどー!!
でも確かに、ルーエン様が不機嫌なのは何故かしら。少し、何かを期待してしまう自分に気付く。
ちょっとはしたないけれど、この場から動き難くなって、そのまま聞き耳を立ててしまう。
「いやそんな、粗相などでは」
「……二人に悋気を起こしたんだろ?ルーエン」
慌ててフォローするルーエン様に、エトル様が言葉を被せる。……悋気って、ヤキモチ、よね?え?ルーエン様が?顔が一気に火照るのが分かる。横からマールの生温かい視線を感じるから余計だ。
が、こちらの体温上昇とは反対に、部屋の空気は下がったように感じる。何だろう。
「……悋気など、まさか」
「嘘つけ。自分で鏡を見てこい。酷い顔だぞ。ねぇ?モレス」
「酷いと言うか、ねぇ」
そして、少し間を置いて。
「どうしたいんだ?ルーエン。仕事は無かったことにしてもらうか?」
「それは……」
「娘の気持ち次第だが、ルーエン君が前向きなら、私からもジーク……陛下に頭を下げるよ」
仕事?陛下?何のこと?
「…………」
「……認めることも大事だぞ。せっかく今日、二人が前進したような結果が出たようなもんなのに、そんな顔して。このまま二人が上手く行けば、任務完了!だろ?」
「それは……!」
ルーエン様が何かを言いかけた所で、マールが止める間もなく私は堪らずにドアを開けた。
三人の視線が私に注がれる。
驚くと本当に人って固まるのね、などと変に感心してしまうほど、妙に冷静な自分がいる。
「どういうことですの、お父様?」
「ダ、ダリシア?!は、早かったね?」
「ええ、いろいろとありまして。それで?ルーエン様はお仕事で私とお見合いしたというこでよろしいのかしら?」
つい先ほどまでの浮かれた気持ちが散見していく。きっと今、私は酷い顔をしているだろう。
「違うんだ、ダリシア。彼はーー、」
「何が違うんですの?」
「違わないよ。陛下と、まあ、君のお父上に頼まれて、アンドレイ殿下とダリシア嬢が上手く婚約を結べるように、ルーエンは当て馬役を演じたんだよ」
「……当て馬?」
「そう、当て馬」
お父様との会話に、エトル様が横から入って来た。そして淡々と説明をする。その淡々と話されたせいで妙に頭が冷えて、無駄に早く納得してしまった。
「ああ……そういう、ことでしたの……」
自分で思ったよりも冷たい声が出る。自分でも驚いたけれどどうしようもないし、涙も出て来ない。結局私は私なのに。慣れないこと続きで、どこかヒロイン気分でいた。否定しながらも、私はヒロインになりたかったんだ。結局、こんなで……なれる訳がないのに。恥ずかしさまで感じてしまう。
「マール。急で申し訳ないけれど、お城の馬車をお借りできる?私はもう、寮へ帰るわ」
「……賜りました。すぐに準備致しますので、こちらへ」
私は三人を見ずに振り返りながらマールに告げる。
聡い彼女はすぐに動いてくれる。
「ダ、ダリシア!今日は私と家に……」
「……いくら私でも、それは無神経ですわ、お父様」
私はドアの方を見たまま、振り返らずに答える。
「ダリシア……」
「失礼します」
そう言って、私は執務室を出た。
ルーエン様はずっと、困ったような、泣きそうな顔をして私を見ていたけれど、とうとう何も言われなかった。
……それが答えね。
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