4-6 初夏の風鈴

 それからまた数年が経って──。


 NORTH CANALは雪乃が母・律子から経営を引き継ぎ、明鈴も大学を卒業してから通訳担当として手伝うようになった。小樽のゲストハウスの中でも上位の人気になり、言語の心配がないことで個人の外国人旅行客にも選んでもらえている。NORTH CANALは二度目の改装をして、川井家と雪乃の両親が一緒に住めるようになった。

 昇悟が働くパン屋の食パンは宿泊客たちにも好評で、NORTH CANALは定期的に食パンを届けてもらう契約をした。昇悟は正式にパン屋で働くようになった。

「こんにちはー、今週の分、持ってきました」

 食パンを届けてくれるのは、いつも昇悟だ。出来立てを一本持ってきてくれるので、受け取ってから冷めるのを待ってカットするまでは明鈴の仕事になった。

「はーい、ありがとう。これ、お昼にどうぞ」

 朝からパン屋で働いて家にも特に何もないので、昇悟の弁当を明鈴が作るのもほとんど日課になった。パンと交換で渡すときもあれば、明鈴が店まで届けるときもある。

「ごめんね、今日は忙しいのに……」

 坂本知奈と青木里都の結婚式の日で、明鈴と両親も招待されていた。

「じゃ、また連絡するよ」

「うん。仕事頑張ってね」

 数年前のあの日、昇悟はディナーにお洒落な洋食屋を提案し、明鈴も好きで何度か行ったことがある店なのですぐにOKした。店の雰囲気や昇悟の様子から悪い予感はしなかったので、明鈴は明るく振る舞うことにした。

 世間話や近況報告をしながら食事をして、食後に飲み物をもらってから昇悟は真剣な顔になった。

『ところで俺は、いつまで待てば良い? 明鈴ちゃんが、しばらく待って、って言うから待ってたんだけど……』

 昼間に知奈に言ったことを昇悟にも伝えた。距離を置いて後悔したこと、会いに行くのが怖かったこと。彼女が出来ていたとしても仕方ないと思ったこと。

『彼女──にしたい人ならいる』

『え……』

『今、目の前に。泣きそうな顔してる』

 それから明鈴は本当に泣いてしまったけれど、嬉し涙だったのですぐに笑顔になった。隣の席で一部始終を聞いていた人に祝われながら店を出て、家まで送ってもらう道は手を繋いで歩いた。

「明鈴は昇悟君とは上手くやってんの?」

「うん。心配しなくて良いから」

 知奈と里都の結婚式の帰りの車の中で雪乃が聞いた。本当に上手くいっていたので明鈴は笑顔で答えたけれど、運転している晴也には少々地雷だったらしく、ハンドルを握る手に力が入っていた。

 結婚式はお昼だったので、夕方には家に戻っていた。部屋に入って少しすると、昇悟から電話があった。

『お疲れさま。もう家に着いた?』

「うん。さっき着いたよ。今日と明日はお客さんいないから、ゆっくりする予定」

『あ──じゃあ、断ったほうが良いかなぁ……。いま店に外国人男性が二人来てて、空いてる宿はあるか、って聞かれたんだけど』

「ちょっと待ってて、聞いてくる、かけ直すね!」

 本音を言うと休みたいけれど、せっかくの外国人旅行客をそんな理由で断るのも気が引けた。両親に確認すると宿泊可能だったので、昇悟に電話をした。

『ありがとう、これから案内するよ』

 電話を切って程なく、昇悟が外国人を連れてNORTH CANALに到着した。彼らは主に英語を話しているけれど、日本語も少しは勉強してきたらしい。

「それじゃ俺はこれで」

「No! ショーゴ、アカリトcouple! Come on together!」

「え……、いや、でも」

「昇悟君……何を話したの?」

「別に何も、明鈴ちゃんと付き合ってる、って」

「No,no,no! アカリ、ショーゴト、ユックリシテクダサーイ! ワタシタチ、Japanese OK!」

「でも──」

 両親は英語があまり話せないので何かあったらすぐに呼んでくださいね、と英語で言ってから、明鈴は昇悟と一緒に部屋に戻ることになった。パン屋から案内する道で話をするうちに、昇悟は彼らに気に入られたらしい。

「一緒に入れ、ってしつこくて……ごめんね」

「ううん。大丈夫」

 明鈴は一度、両親の様子を覗きに行った。外国人二人は本当に日本語が話せるようで、既に打ち解けたらしく笑い声が聞こえた。

「実は、明鈴ちゃんに話があって」

「うん。どうしたの?」

 明鈴が特に考えずに聞くと。

「明鈴ちゃん……俺と結婚してください。──ごめん、本当はもっとちゃんとデートのときに言いたかったんだけど……実は……」

 外国人たちに明鈴のことを話したとき、結婚しようと思っているならプロポーズだけでもしろ、と何度も言われたらしい。

「だから、一緒に、ってしつこかったんだよ」

 明鈴は何も答えなかった。

「たぶん、階下したに下りたら、どうだった、って聞かれるよ……」

「今のは、昇悟君、本気……?」

「あ──もちろん、本気だよ。明鈴ちゃんがまだ若いから、いつ言おうか悩んでた」

 明鈴は二十二歳、昇悟は二十八歳の初夏。

 一階リビングの窓につけられた風鈴が、チリンチリンと鳴った。

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