4-4 若者の未来 ─side 昇悟─

『明鈴ちゃんの母親が、旦那さんと初めて天狗山に行った日のこと聞いてますか? あの日──俺、旦那さんに説教したんですよ。あの店で。なんとなく同じ匂いがします』

 明鈴と一緒に天狗山に行った日の夕方、運河近くを歩いていると坂本大輝が声をかけてきた。最後の言葉の意味がわからないままに彼は去っていき、俺もそのまま目的地へ向かった。明鈴は受験が迫っていたので勉強を見てやりたい気持ちは山々だったが、それ以上に気分は勉強どころではなかった。

 いつもの店のいつもの席に着くと、店主はドンとビールを置いてくれた。

「珍しいな、こんな時間に。受験前じゃないのか?」

 俺がどうしても行きたかったのは、この店『やんちゃ』だ。悩みごとがあって早急に解決したくて、相談相手にここの店主を選んだ。平日の夕方なので、客はまだいない。

「そうなんですけど……」

「今日は休みか?」

「いえ……今日は天狗山に行ってきました。勉強は、もう大丈夫だと思いますよ」

 家庭教師を始めた頃に晴也が『勉強の習慣をつけてほしいだけ』と言っていたが、それから明鈴は本当に成績が伸びた。学校での試験もほとんど正解で、模擬試験もA判定が増えたと言っていた。試験当日に余程のことがない限り、明鈴は志望校に合格するはずだ。

「天狗山か……。はは、前にもこんなことがあったな。大輝が明鈴ちゃんのお父さんに」

「そういえばさっき、大輝さんもそんなこと言ってました……何かあったんですか?」

 店主に聞くと、店主は少しの間、俺を見つめた。

「あの人は、雪乃ちゃん──明鈴ちゃんのお母さんが好きだったのに、なかなか何も行動しなくてな。見かねた大輝がここに呼び出して、説教してたよ。その日は二人で天狗山に行ったって言ってたな」

 そういうことか、と納得した。明鈴と一緒に天狗山に行った俺を前にすると、同じような話をしてしまうと思ったのだろうか。しかし、俺は大輝には明鈴との詳しい関係を話したことはない。

「あいつは──大輝は、感が鋭いからな」

 店主は言いながら作業していた手を止めて隣に座った。

「年齢なんか気にすんなよ。どうせもうじき高校生だ」

「……それ、俺が」

「違うのか?」

「──いや、その……。違わないです……」

 俺はいつの間にか、明鈴のことを好きになってしまっていた。明鈴は生徒で中学生で恩人の元婚約者の一人娘で、二十歳の大人の恋愛対象では決してない、とずっと思っていた。それが変わってしまったのは、いつからだろうか。

 明鈴にプレゼントを渡したクリスマスの夜、無意識についたため息を彼女の母親に聞かれてしまった。年が離れているとはいえ異性として意識されていないのが悲しいと、少しだけ漏らした。あの頃には変わっていたのだろうか。

「でも、俺なんか、あの子からすればオッサンですよね」

「翔子ちゃん──大輝の嫁さんが、明鈴ちゃんが遊びに来たときは、だいたいおまえの話をしてる、って言ってたよ」

「それは……」

「何も気にしてなかったら話なんかしないだろうよ。一緒にいるとき、嫌そうな顔してるか?」

 店主は笑いながら席を立ち、店に来た客の対応を始めた。俺はビールを一口飲んでから、いつも食べているだし巻き卵と、寒かったので雑炊を注文した。

「それから昇悟、決めるのは──火事の話をしてからにしろよ。おまえが関わってる以上、どうしても切れないからな」

 俺と明鈴の両親の関係は、明鈴が高校に合格したら話すと約束していた。出会ったきっかけは、俺の家の火事だった。

 明鈴は火事とは何の関係もないが、父親・晴也の元婚約者が、と聞くと何を思うだろうか。

 晴也は気にしなくて良いと言ってくれているが、仮に明鈴と関係が続くとすると──気にしないわけにはいかない日々も続くことになる。

 注文した料理が目の前に置かれ、俺はしばらく雑炊の湯気を見ていた。

 明鈴が好きなのはもう認める。問題は年齢差と、過去の火事のことだ。中学生はまだまだ年齢が近いほうが良いだろうし、俺が火の中に残されていなかったら明鈴は生まれていないと知ると、余計なストレスを与えてしまうだろう。

「あっ、小野寺さん、やっぱりいた」

 名前を呼ばれて振り返ると、私服に着替えた大輝が店の中にいた。店主に挨拶をしながら、俺とは席を一つ空けて座った。

「こたえ、出ましたか?」

「こたえ? あ──はい」

 出た、というより、店に着く前にはほとんど決まっていた。これから成長する若者の未来を、奪うわけにはいかなかった。


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