2-2 遠い存在

「えーっ、急! っていうか、良いなー!」

「何が良いの?」

 二学期になって、明鈴が知奈に家庭教師が決まった話をすると、知奈は何かを羨ましがっていた。毎日ではないけれど、自由な時間が減ってしまう悲しみのほうが今の明鈴には大きい。

「何がって、二十歳の男の人でしょ? 背は高いし、かっこいいんでしょ?」

「うーん……どうなんだろう。よくわかんないよ」

 高校生ですら大人に見えてしまう中学生に、二十歳は遠い存在だ。特に顔が悪いとは思わなかったけれど、かっこいいのかどうかはわからない。第一、かっこ良く思えたとしても、大人が中学生を相手にするとも思えない。

「今はそうかも知れないけど、大人だったら普通だよ。親子くらいの年齢差で結婚する人だっているし!」

「そうだけど……」

 学校に通っているうちは、同級生との接触がほとんどなので年上が何を考えているのかさっぱりわからない。大学生や社会人になって、年齢が違う人との接触が増えて頼りになるのは年上だと思う。

 それはわかっているけれど、やはり今の明鈴には年上がわからない。

「明鈴ちゃんって、好きな人いる?」

「え? ……いたことは、あるよ」

 小学校の頃、同じクラスだった男の子。勉強もまあまあ出来たほうで、スポーツは万能で、人気だったと思う。でもそんな男の子は何人かいたし、中学生になってから、また別の人気男子がいた。視界に入ったら追いかけてはいたけど、特に付き合いたいという感情は誰にもなかった。

「うち両親があれだからよく新人さんが訪ねて来るんだけどさ、年上って、良いよ。あ、別にあの人たちの中には好きな人いないけどね!」

「ふぅん……」

 家庭教師の報告をするために、明鈴は知奈と一緒に帰る約束をしていた。二人で一緒に学校を出て、のんびり歩いていた。

 どちらの家も住宅街にはあるけれど、家の数はそれほど多くない。住んでいる人も少ないので、一人で歩くには少し寂しい場所だ。

「なんで戻ってきたんだろう……」

「誰が?」

「家庭教師の人。札幌のほうがいろいろあると思うけどなぁ」

 明鈴の父親が札幌でサラリーマンをしている以外は、身近な大人は観光客を相手にする仕事に就いている。もちろん、それ以外の仕事もいくつかあるし、町は嫌いではない。それでも若者には都会のほうが魅力的に見えるのではないかと、明鈴は首を傾げた。

「都会に疲れたって言ってなかったっけ? 聞いてみたら? それじゃ、またね」

 ちょうど坂本家の前に着いていたので、知奈はそのまま家に入った。


 坂を下って住宅街を出て、駅前の通りに出る。平日の昼前なので、人が多く集まっているのは飲食店の前だ。店先にあるサンプルを見ているとお腹が空いてきて、勝手に鳴ってきたお腹を無意識に押さえた。

「おっ、明鈴ちゃーん、おかえり」

 声のしたほうを見ると、知奈の父親が交差点にいた。仕事で客を駅まで連れてきて降ろした後なのだろうか、少し暇そうにしていた。雪乃が彼のことをクロンチョと呼んでいるのを思い出して、思わず肌の色を見てしまった。

「知奈、ちゃんと家に入った?」

「はい。一緒に帰ってきました」

「今日は俺も奥さんも仕事やからな……一人でご飯かわいそうやけど。あ、明鈴ちゃんもそうか? お昼、何食べるん?」

「そういえば──、今日はおかずないから買ってきてって言ってました」

 何を買おうか迷っている間に、「美味しいもの買って!」と笑いながら大輝は坂を下っていった。彼はこれから運河の近くで、仲間と交代で弁当を食べるらしい。

 コンビニでおにぎりを買おうか、と思ったとき、すれ違った若い女性たちが「ここのパン美味しいよ!」と話しているのが聞こえた。近くにあったパン屋は確かに繁盛しているようで、明鈴もそこに入ることにした。

(……って、ここ、あの人がいるところ?)

 夏休みに『やんちゃ』で聞いた、昇悟がパン屋で働いているという話。

 明鈴の知識が正しければ、それはこの店だ。

(でも、作る修行って言ってたし、こっちにいないよね?)

 ガラス越しに昇悟の姿がないのを確認してから、明鈴は店に入った。たくさんある種類の中から悩みに悩んで好きな惣菜パンを二つトレイに乗せた。レジに持って行く前に食パンが目についたけれど、とりあえず買うのはやめた。

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