不正受給者
●不正受給者
「待って! なんか嫌な予感がして」
リーナは自分の衣装をめくる。膝に一つの印が描かれていた。
「あの人は何を見ていたの?」
リーナは頭の中を整理して考え直す。
「何を見ていたんだろう。
とにかく、ここへ帰ってこなくていいみたい」
リーナはそう言って人面像を見上げる。
「貴女はここに来たことがあるのね?」
翠は状況を推察した。そしてリーナの紋様。因縁深い何かがある。
「どこに行ったのかしら」
記憶が眉の裏側に引っかかってむず痒い。
「何だったんだろう、あれは」
「あれリーナは何を見られてたんだろう」 、と翠は立ち止まって人面像を見つめた。
リーナはつぶやいた。「“目”の?はっ!」「あっ!思い出した!!」
翠は目をぱちくりした。
「あー、なんだ、そっか。そういうことだったんだ。ああ、よかった。これでもう大丈夫。うん、解決よ。安心して」
翠は胸を押さえると大きく息をついた。「なるほど。なるほろ。だからあんなに変な感じがしたわけかぁ。ふーん。それで、あの子の名前がそうなんだ」
と納得する。しかし次の瞬間には、翠は再び走り出していた。
リーナは追いかけながら叫ぶ。声の限り叫んだつもりだが彼女の声は全く届いていないようだ。何より翠の姿はすでにそこになかった。彼女は風のような速さで坂を下っていった。
リーナは後を追おうとするエミリアを引き留めた。今は一人で考える時間が必要だった。
坂の行き止まりに黒光りする石碑があった。
それは巨大な一枚岩で出来た塚だった。苔一つ生えておらず表面がつるりとしている。頂上まであと一メートル。しかし翠はその石に触れることができなかった。彼女は見えない壁に弾かれた。結界か障壁魔法だろうか。触れようとしても身体の前面をなぞるだけに終わるのだ。
後ろから近づいてくる人の気配がする。リーナは振り返った。エミリアが肩で息をしながら追いついてきた。翠に何かあったのではないか。心配したのだが、彼女の様子を見ているうちに、どうも違うことに思い至る。エミリアの顔色はいつもどおりだし足取りもしゃんとしていた。何より翠と一緒なのだ。
翠は何も答えない。ただ黙々と歩き続けていた。
「ねぇ、これなにかな?」
翠の指さす先をリーナは見る。そこにも人面像があり、あの”目”が優しい光を灯していた。
そしてリーナは言った。「そうか、そうか。 お母さんを探してたんだな、私に何かを見られてたんだな、あの人は」
翠が“目”を見て何かを言った。」
すると。翠は「それはお母さんじゃないわ」
「いいえ、お母さんは私のお母さんなの」 リーナが言葉を振り絞り、人面像の額を思いきり指でグリグリと突きながら言った。
「リーナ!しっかりして!!石が子供を産むわけないじゃない!」
「“お母さん”という名前だったんだ。なんで“お母さん”のことを誰も知らないんだろうね」
リーナはそう言って笑う。そして今度は翠のスカートにしがみついた。「お母さん…」
「ちょっと、リーナ。あたしは翠よ。お母さんじゃない!」
すると、リーナの頭上に無数の光る球が現れた。
「“目”、“耳”、“肌”ここから出られないように、縛り上げて、消して……」
リーナがそう言うと、それぞれの光球が光るのを見た後、その光の正体が頭の上から下の地面に流れた―
しばらくの後、緑の光に包まれる。
「緑色、どうしてこんなに綺麗?」
リーナは光が晴れると、自分がさっきまでいた場所と、さらに奥の壁まで光っていた。
――どこまでも続く、緑の壁?
「前からこの世界にいたの?」
リーナが尋ねる。
「ええ、」 翠は思い出したように答える。
「何度も考えたわ」
「何をしていたの?」
「何もしてないよ」
リーナは立ち止まる。「言わなくてもいいのよ。覚えていないと言えばいいのよ」。
翠は不思議に思った。本当に覚えていないのであれば、
あのパーティーに出かける意味があるのだろうか。そして、リーナの紋章。"私は何を見ていたんだろう?"
リーナの紋章を見つめています。人型は、膝に紋章が描かれている。「リーナは私を見ていた」
翠は思い出したように言った。
「そんなのありえないよ」
リーナはそう言ってから背を向けた。
「彼女が何を見ていたのか、覚えていないんでしょう?」翠は言った。
リーナは頷いた。
「彼女が何を見ていたのかは知らないけど、あなたに知られないようにすることが重要よ。もし知ってしまったら、これから起こることからあなたを守ることができなくなってしまうから」
翠は、自分の胸を指差し、「彼女はあなたを殺そうとしたわよね」と言った。「それにしても、彼女について私が知っていたことが意外だった?」
翠の言葉にリーナはうなずいた。「うん」
「私は、彼女と会ったことがある」
その瞬間、翠は目をそらした。しかしそれは一瞬であり、すぐにまた彼女をじっと見据える。
彼女は黙って話を聞いていた。そして、静かに翠の手を取った。その時の彼女はまるで少女のようにあどけなかったと 思う。それからしばらくして口を開いた。「リーナ。騙されては駄目。貴女は騙されているのよ。偽の記憶を受け付けられてる。あの石像は貴方のお母さんでも、生き物ですらない。ただの魔道具。呪われた石。ここにあるのは王国の魔力を不正に搾取する装置。レーキ帝が国民のために良かれと思って支給している数々の社会福祉を不正に受給している輩が設置したとおもう。早くここを離れましょう。そしてレーキ帝閣下にこのことを報告しなきゃ!」翠は早口にまくし立てると握られた手を引き抜こうとした。だがリーナはその手に力を込めそれを阻止する。ものすごい力だ。「グォロロロ!」
リーナの目が釣り上がり、口が歪んで牙を剥いた。華奢な体が筋肉粒々になりドレスの背中が裂けた。ブラのホックがパチンとはじけ、下着姿になる。そのまま白いぼろ布を散らして毛むくじゃらになり、どんどん巨大化していく。
「リーナ!」
翠は叫び手を離そうとするがびくともしない。
やがて翠は巨大な化け物の頭頂に座り込むことになった。
怪物の顔は人間に似通っており耳もついているが目の位置は異様に大きく不自然である。
彼女の顔の前では、大きな目玉が見開かれて、こちらを覗き込んでいる。口の中には赤い肉の壁があり唾液で光っている。
「翠さん、これを!」
エルフのエミリアは即興で戦闘呪文を唱え、翠の手元にレイピアを召喚した。
「リーナを殺せっていうの?」
「そうしないと、彼女まで感染してしまいます! お願いします」
(仕方ない)
「翠さん」とエミリア。「大丈夫ですか? 正気に戻っていますか。私のことは覚えていますね。私がサポートに入ります。攻撃呪文を使いながら援護するので頑張ってください。翠さんの魔法力が尽きる前に決着をつけるのです!」
「わ、わかった。やってみる」
「グアオオオアアーッ!」と獣の声をあげながら突進してきたリーナに、翠は呪文を詠唱する。すると翠の周囲に風が巻き起こり彼女の体を浮き上げた。そして次の瞬間にレイピアが振られ、 風の刃となって放たれていた。「ハァ」彼女はほっとする。
しかしリーナは一瞬、身をひるがえすと空中に跳躍し翠めがけて襲い掛かる。
「うわっ!」翠は悲鳴を上げると落下しそうになる。だが、その直前にまた風が巻き起こって彼女の体勢を立て直した。翠は自分の体がふわりとしていることに驚く。いつのまにか足下に草花や木の枝などが散らばっていた。どう見ても幻覚だった。
再びレイピアが振るわれると風が起き、それが真空波となると、翠が放った以上の威力で放たれた。空気中の分子と反応して、炎が生まれ爆散し煙が上がる。それはたちまちのうちに広がっていく。
(すごい。こんなことが私にできるなんて)
「翠さーん。まだです。今、彼女が動きを止めました。チャンスです!」
エミリアの声で我に返った翠は、駆け出した。
(あの角を折らなきゃならないのに。でも、今の私になら魔力でリーナを解呪できるかもしれない)
彼女はジャンプした。「リーナ! 貴方を殺すわけにはいかない。正気に戻って!」そのときリーナの背後に巨大な白い雲が現れた。そこから雷のような光が地上に突き刺されリーナに向かって落ちたとき、「グオアッ!?」彼女は苦痛のうめき声を上げながら吹き飛んだ。
「翠さん、早く! 今です!」とエミリアは叫ぶ。
「ああっ、でもだめかも」
翠は人を殺した経験がない。いや、旧世界の日本人なら殆どがそうだ。
人を殺めてはいけない、かけがえのない命、基本的人権。そんな言葉で律せられている。ましてやリーナは大切な同僚だ。
「絆」というキーワードに護られている。
「リーダーなら決断を下してください!」
エミリアが声を嗄らして叫んだ。
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