2−1
どこかで誰かが騒いでる。
昨晩はあれから少し後に蛎崎先輩の見送りに出て、たしかそれが一時頃。その直後に高等部の先輩達が帰ってきて、哨戒の当番とか多少ゴチャついたんで、結局翔雄が色々代行してやることになり、五時の早朝番まで寝られずじまい。
平素の夜間任務に比べれば、レストハウスにこもりっきりでいられた分、体力の消耗はほとんどない。が、気疲れはそれなりに多い。どうせ今日も形ばかりの指揮官役、もうちょっと寝かせろ、と思う。
テレビか何かを見ているのだろうか。「おし!」とか、「よっしゃあ!」みたいな、聞くからにこぶしを握り固めていそうな掛け声が、途切れなく耳を打つ。いったい何の番組にエキサイトしてるんだか。
にしても、今日は土曜日だし、この時間はせいぜいニュースぐらいしか――
急にひらめくものを感じて、翔雄は布団をはねのけた。時計を見ると八時過ぎ。カーテン越しの明るい陽光が涙腺をじゅくじゅくと刺激する。脳裏では、前日に甲山が残していった不吉な予言がエコー付きでリフレーンしている。
――明日の朝、君は世界に絶望する。
――多分、八時十三分か十八分。
「ええい、くそ!」
ふすまを開け、廊下を小走りに突っ切って食堂へ。そこでは十数人のメンバーが、壁際のテレビ画面に見入りながら、まるでスポーツ観戦でもしているようなノリで、やたらテンションを上げている。
不機嫌さ丸出しでチームリーダーが現れたというのに、それにもろくに注意を払わない。内心首を傾げながら、集団の背後にいったん回り込む形でテレビに向き直った翔雄は、一目見て「うっ」と胃の内壁が引きつけを起こすのを自覚した。
電波塔か、鉄塔だろうか、鈍色のやぐらの高みに、なにやらグラテスクなものが密集して蠢いている様子が映し出されていた。細長くて黒光りしていて無数の微細な歩脚をじょわじょわと波立たせ、見ているだけで視聴者の全身にさぶいぼを大量発生させそうな、その生き物は。
ムカデだ。
それも、ちょっと普通のサイズではないムカデ。三十センチ近くあるだろうか。あるいは昨日の温泉ガエルと〝同郷〟の、遺伝子操作による倍数体かなにかか。
それが、何十匹と鉄の柱にたかってて、一部は鉄塔から伸びているワイヤーロープにもまとわりついている。よくよく見ると、あれはロープウェイの鉄塔じゃないか。してみると、これは六甲或摩ロープウェイの映像。しかしなぜあんなところで――。
「なん……だ……これ、は」
「おお、起きたんか。まだ寝とってもええのに」
輝くようなドヤ顔を浮かべた勉が、いつになくボスっぽい風格でこちらに頷きかけている。翔雄は嫌悪感丸出しの目を隠そうともせずに、
「まさかと思いますが……これが、今回の先輩達の作戦?」
「そや」
「いったい何のために」
「そらもろろん、交通妨害が第一、風評被害狙いが第二ってとこやろ。実際、ロープウェイは朝から運休やし、それ以上に或摩のマイナスイメージは相当なもんやで。このニュースで出足もがっくり落ち込むやろしなっ」
ふははははは、と悪役丸出しな高笑いを上げる勉。つられて、高等部の先輩たちも腰に両手を当て、揃って胸を張って空虚な哄笑を上げる。翔雄はいささかうんざりして、
「そりゃいくらかは効果があるでしょうが、ほとんどの客は鉄道か自動車道を通って来るんですから、大勢には影響なしですよ。イメージ効果だって、恐いもの見たさで逆効果になることすら考えられます。みなさん総出で徹夜で働いて、その成果が結局はロープウェイの足止めのためだけだったってことですか? それじゃあんまりに非効率――」
そう意地悪く指摘した声へ重なるように、テレビが同じ或摩の別の場所のハプニングをがなりたてた。
『こちら、
おおおお、というどよめきが食堂を満たす。翔雄はあんぐりと口を開けたまま、顎が落ちそうになった。中継しているのは或摩温泉駅近くの小さな丘陵地だ。樹木や草むらに阻まれて全容ははっきりしないが、控えめに言っても公園中に見渡す限りのサルがいる。百匹は優に超えそうだ。もちろん静かにくつろいでいたりはしておらず、サルだけにやんちゃの限りを尽くしている。小奇麗に手入れされた外灯やあずま屋に上ったりた下りたり引っ掻いたり、やりたい放題である。
『いったい何が起きたのでしょうか!? どうも何かの移動の最中という印象があるのですが、この先は或摩ギガントパレスの敷地で、温泉街でも有数の日本庭園が――』
「あ、あれは、ま、ま、まさか」
「うーん、滝多緒の猿軍団だねえ」
間延びした声でコメントしたのは、蓮だ。周囲と違って全然面白くなさそうな顔でいながら、今日もノートパソコンのキーを叩く音は楽しそうだ。
「えっ、なんで滝多緒のサルが」
「まあ直線で十キロもないし、どうにかして誘導したんじゃない? そういや最近、学園長が生物部とつるんで、やたらとうちのサルのご機嫌取ってたみたいだったなあ。ボス猿の就任手伝ったりとか」
「そういう情報はもっと早く上げろよ!」
「え、トビー、聞きたくないでしょ、学園長の噂なんか」
「いや、そうだけど……ってか、いったい何が目的で、こんなアホな作戦――」
さらに画面が変わり、直前のニュースよりもさらに興奮したキャスターの声が二人の対話を遮った。
『はい、鏡谷渓谷ですっ、つい先ほど、ここの露天風呂にワニのアベックが現れたとの通報があり、大騒ぎになっております!』
うええええい、と再度軽薄な歓声が上がる。翔雄は瞬きも忘れてテレビ画面を凝視した。さすがに数秒間、頭が真っ白になる。
(ワニ…………ですと?)
『……というように、ワニは一通り浴場を冷やかした後、揃って或摩川に入り、瑞宝寺公園の方角へ泳いでいったと――』
その後も、クマの大家族が出た、大ヘビを見た、カラスの大群が足湯浴場を占拠している、などなど、規格外のニュースが駆け足で報じられていく。食堂のメンバーたちはそのたびに拍手喝采し、自分達が関わった作戦が上首尾に進んでいることにすっかりお祭り気分になっている。
最後にスタジオのアナウンサーが映し出され、つくりものめいた深刻な顔へ微妙に面白がるような空気を漂わせつつ、ローカルニュースを締めくくった。
『ということで、或摩温泉では今日になって動物絡みの怪現象が続出しております。当地では今日から秋のフェスティバルである〝或摩オータム〟が開催される予定ですが――』
もうすべて明らかだった。
子供だましのようなバカバカしい小細工を積み重ねての、身もフタもない集客妨害作戦。いや、確かに祖父は「或摩オータム」の成功を阻むためにあらゆる手を尽くす、とは言っていた。言ってたけれど……。
カエルに収まらず、ムカデにサルにワニ、クマ、ヘビ、おまけにカラスだと? 温泉に泥を投げ込むような嫌がらせも同然のレベル。妨害工作ならもっと他にやりようぐらいあったろうに!
(あのじじぃにプライドはないのか!? 恥の感覚はないのか!?)
仮に後々この業界で滝多緒の作戦内容が知れ渡った場合、その成果はともかくとしても、あまりのアホらしい経緯は日本中から笑いものになるんではないかと思うと、暗澹たる気分になる。
ふと、テレビ画面の右上の時刻表示に目が止まる。八時十八分。その時になって、翔雄はようやく自分の状態に気がついた。そう、甲山博士は実に正しい予言をした。
「トビー、大丈夫?」
珍しく蓮が心配そうに翔雄の顔色を覗き込んでいる。
「なんだかこの世の全てをはかなんでるって顔だけど」
「うん…………いや、ただの睡眠不足だから」
「そう? まさか、今さら学園長の悪ふざけに
言われて思わず苦笑する。そう、今さら、だ。こんなことでいちいち絶望してたら、入学以来毎月一回は身投げしなきゃならなかっただろう。……とはいえ、今回のこれはひときわ脱力感がずば抜けているという感じがする。死ぬほどじゃないにしろ、絶望は絶望だ、と内心ため息をつかざるを得ない。
(そういや、このアホらしさは理由のあるカモフラージュとかなんとか言ってたな、あの博士)
百パーセント悪ふざけではない、ということだろうか? 温泉街に害獣を撒き散らすことに、低レベルな嫌がらせ以外の目的があると? 本当にそんな可能性があるのなら、いったいそれは?
事前にアドバイスを受けたわけでもあるし、少しマジメに祖父の意図を考察してみるべきか、と、やや前向きになりかけた翔雄だったが、急に何か重要なことを見落としている気分を感じた。身の安否に関わることではない。が、気づかないままでいたら、絶対後で後悔しそうな……すごく大きな楽しみがつかめそうなのをみすみす見逃しているような……なんだろう? 「温泉街におかしな動物がいっぱい」というあたりに、妙にひっかかるものを感じるのだけど――。
少しだけ調子を取り戻して、考えに没頭しかけていた翔雄だったが、不意にその前に杏が現れたもんだから、ついうわっと一歩
こちらもややびびって引き気味になってる杏へ、いったんは愛想笑いを取り繕ってやる。
「あ、おはよう……。何かあった?」
「お、おはようございます。……その」
その時、緊急の用件が存在したことは、気まずい空気になりそうだった二人にとっては幸いなことだったかも知れない。
「えーと……ゲストが来ておりまして……」
「ゲスト? ……え、まさか、聖泉の奴らが勘づいて、とか?」
「いえいえ、そんなわけないじゃないですか。別に危険はない相手……のはずなんですけど」
「なんだ、知ってるやつか? 誰?」
ちょっと嫌そうな顔をしてから、杏が翔雄に耳打ちした。その途端、翔雄は酢を呑んだような顔で、じいーっと杏を見つめ返した。杏は軽く肩をすくめて、
「私に訊かれましても……とにかく、会って本人に問いただしてもらうしか」
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