1−9

「総務いる?」

「さくらいる?」

 どたどたと無粋な足音を立てて、ローズ&マリーが入室してきた。風呂から出た二人は小学生みたいな身長で、制服もSSサイズだからほとんどお人形さんである。ヘアスタイルもどこかのフィギュアみたいに尖らせたりベルサイユモードにしたり、日々趣向を凝らしている。今は、ローズが三つ編み巻きを二本の角みたいに斜め上へ伸ばしていて、マリーは四本の三つ編みを丸く輪っかにして首筋に垂らしている。

「あー、ユリユリがまた甘えてはる」

「さくらがまた甘やかしとる」

 不本意な言われように、さくらがむっと睨みつける。甘ったれ娘を押しつけて適当な作業に逃げたのは誰か、と皮肉の一つも言いたい気がした。が、優理枝は素直に頭を下げた。

「ごめんね。もう仕事に戻るから……何か連絡持ってきてくれたの?」

「うん、まあ。でも、何なら十時頃までは心ゆくまで遊んどってええで」

「どうせみんな徹夜になるんやし」

「そ、そう?」

 途端に優理枝が流されそうになる。

「優理枝様!」

 ぎろっとさくらが目で牽制して、とりあえず抑制する優理枝だが、安心は出来ない。

(ほんとに依存症だわ……)

 内心でさくらが頭を抱えた。明らかに面白がってる双子にも、ついつっけんどんになる。

「何? 冷やかしに来ただけなの?」

「ううん。うちはちょっと別件で」

「うちはを連れてきただけで」

 マリーが指さす部室の戸口に、男子学生がいた。肩までの長髪、それもキューティクルに理想的な手入れを施したような美髪が、水色のブレザーによく映えている。やや面長のほっそりした顔立ちで、鼻筋と額の辺りだけ、ややゲルマン風だ。目元が丸っぽくて妙に愛嬌があるものの、表情を引き締めれば理想的な洋風俳優顔に決まるだろう。

 そんなハンサムが、背中で柱にもたれ、腕など組んで、片足を軽く折るというきざったらしいポーズで佇んでいる。背後ではハイビスカスの花々が緩やかに落下し、ウィンドウチャイムの効果音が鳴っている。

 人呼んで〝温泉の貴公子〟、柳堂りゅうどう大歩だいほである。優理枝の従兄で、或摩聖泉学院三年。噂によると、学院内の女生徒へのお手つき率は七七・六パーセントを達成しており、なおも更新中だそうだ。当然ながら、他校生や温泉街の旅館従業員との戦績もほぼ無敵に近い。

「あら、大歩兄様」

 優理枝が嬉しそうに手を振った。

「やあ、優理枝」

 身を起こし、ふっと前髪を払いのけ、抱擁するように両手を広げながら、大歩が笑みを浮かべて優理枝に歩み寄る。十歩前からその狙いが唇なのがバレバレだ。

 すっと黒いものが上がり、大歩は二メートル手前で急停止した。鼻の真ん前に銃口。どこからいつ取り出したのか、さくらがサブマシンガンの引き金に指をかけたまま、冷ややかな目で彼を見据えていた。

「それ以上寄るな、下郎」

 悩殺的な二枚目の笑みがたちまち凍りつく。それでも何とかニヒルな苦笑へ切り替えて、半歩ほど身を引くだけで済ませたのは、この種の扱われ方に慣れているからだろうか。

「さくら、どこに置いてたの、それ?」

 ひたすら不思議そうに、優理枝が尋ねた。その場の一同の目には、サブマシンガンが虚空から取り出されたようにしか見えなかった。

「問題なのは、武器の格納場所でなく、武器への愛です」

「そ、そういうものなの?」

「それで? マリー、この厚顔無恥な歩く繁殖本能をここへ引きずってきた理由は何?」

 本人でなく、マリーに問い質すところが辛辣である。露骨に言われようにもめげず、大歩は二本指でワイパーなどしながら、爽やかに髪を払った。

「ひどいねえ、これでもフェスティバルの企画総括は俺なんだよ? だいたいお姫さんの今日の仕事を肩代わりしろって指示は、そっちから下りてきたんじゃないか?」

「あ、ありがとう、ごめんなさい、すっかりお兄様にご迷惑おかけして」

 さくらが大きく息を吸い込もうとした横で、優理枝が早々と謝った。誠実さのあふれる態度だが、一方で大歩のフェロモンの影響は微塵もない様子だ。大歩の魅力を魅力と認識して毛嫌いしているさくらや、大歩に興味を示しつつも野次馬的立場を楽しんでいるようなローズ&マリーとは全然違う。男女の区別も知らない子供の振る舞いだった。

「いやいや、迷惑だなんて思っちゃいないさ。いい経験にもなるしね。まあ、将来の準備運動みたいなものだろう」

「ええ、そう言っていただけると……柳堂の家は父も頼りにしていると思いますので」

「はっはっは。頼りにされましょう。我々としても、香好グループあってこそだからね。お許し願えるなら、心身両面でより深く頼られることを――」

 大歩が一瞬で間合いを詰め、優理枝の両手をすっと取り上げて包み込んだ。手練れのスリのようなスピードと滑らかさだったが、それが限界だった。さくらの銃口がこめかみに突きつけられていたからだ。

「いやっはっは。相変わらず無粋だねえ、卯場の血まみれ桜は」

「無粋は貴様だ! この年中さかりのついたヒヒ猿めが」

 その瞬間。

 弾みで出た一言を合図に、優理枝の瞳がきらめきを発して切り替わった。

「さくら、それは間違ってる」

「は?」

「ヒヒって理性的なのよ。百匹ぐらいの群れ社会を作ることもあるし、発情ホルモンの分泌までコントロールしてるんじゃないかってぐらい、群の中は秩序が取れてるの。基本的にはニホンザルの社会と同じなんだけど、特徴的なのはね、ボスの位置づけが――」

 取りようによっては、大歩がヒヒにも劣る存在だと受け取れる解説だった。一瞬、己の不用意を恥じたさくらだったが、内心の鬱憤晴らしを兼ねて、しばらく優理枝の好きに喋らせておく。大歩は虚ろな笑顔を張り付け続けることに、辛うじて成功していた。

「さくら」

 ローズが一人だけで、右手の指輪をいじりながらさくらを呼んだ。執行委員中枢メンバーとしての、合図の一つだった。なおも銃口を上げたままで、さくらが頭を近づける。小声だがやたらと早口な囁き声が、しばらくの間ローズとさくらの間を行き来した。優理枝は大歩を相手に、なおもヒヒのなかまの知られざる社会性について熱弁を振るっている。

「確かなのね?」

 短い確認の後で、さくらは矢継ぎ早に双子へ指示を出す。それからさすがにぼーっとしている大歩の腕を取って、ローズとマリーに続いて戸口へ向かった。

「――だから、記号論的にはヒヒも人間も社会行動のダイナミズムが等価だって論文がこの前――あれ、どこに行くの?」

 どんな高度な話題を振っても微笑みでついてきてくれる(ように見える)理想的な聞き手を連れ去られて、優理枝はちょっと不満そうだ。従妹の視線の陰で、大歩が大きく息をついているのにも気づかない。

「緊急の用件です。優理枝様はどうぞそのままこちらで」

 ふと、さくらが思い出したように、低く口笛を鳴らし、天井に向けて何かの合図をした。

「――しばらく席を外しますが、まさかの時にはが控えておりますので、ご安心を」

「ああ、うん……いってらっしゃい」

 一度部室の外に出たさくらだったが、すぐに戸口付近にあった荷物を携えて戻った。書類がぎっしり山積みになったワゴンである。そわそわと標本作業台の方へ行こうとしていた優理枝が、ぎくりと足を止めた。

「あ………………もう、帰ってきたの?」

「いえ。我々が戻るまでに、書類の決裁を済ませていただこうと」

 見ると、どの書類にもべたべたと付箋が貼ってあって、悲鳴のような文字で殴り書きがある。大至急、のスタンプがほとんどだ。

「よろしいですか?」

「え、ええ、もちろん」

「これ以上のお遊びは完徹になりますよ。私やローズやマリーも巻き込んで」

「だ、大丈夫よ。ちゃんとやっておくから」

 今ひとつ信用しかねる表情で主君に視線を投げかけ、一礼してからさくらは退室した。疲れたような苦笑を浮かべて、大歩と姉妹が彼女を待っていた。

「手慣れたもんだな。さすがに姫さんの操縦法は卯場の専売かよ?」

「頼まれても教えてなどやらぬ」

「いいさ。香好は資本、卯場は実務、柳堂は企画だ。それでうまく持ちつ持たれつやっていけるなら、それを崩す理由はない」

 嫌な奴だ、と思う。ただの下半身テクニシャンならそれとして利用法があるものを、ちゃんと頭もくっついている下半身なのだ。それも、優秀と認めざるを得ないほどの。

(ろくでもない男だが、今の流れなら、いずれこいつが優理枝様の――)

 不愉快な想像につい顔を横向けると、ややたそがれた顔つきで、あれさえなければなあ、と大歩がぶつぶつつぶやいているのが目に入った。

(いや、この男も案外幸福とは縁遠いのかも知れぬ)

 ちょっとおかしくなって、さくらはひとり口元を緩めた。

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