1−7 Interlude
「はい、今移動しました。多分宿の方に……え? いえ、特に変わった様子は」
翔雄達が足早にその場を去った直後、その場所を一望できる、付近の中規模ホテルのエントランスで、小柄な人影がワイヤレスマイクに小声で報告を入れていた。
先刻、駅前への下り坂を駆けていったはずの衛倉杏であった。
宿泊客の出入りが激しくなってきた折でもあり、直前の地震のせいもあって、周囲は混乱気味だ。人待ち顔の杏の姿を見咎めるものは誰もいない。が、見る者が見れば、その娘が前後左右にありったけの警戒心を振りまいていることが見て取れただろう。
まるで、世界を相手に一人っきりで体を張り続ける、フリーランスの潜入調査員のように。
「はい? あ、あの黒い眼帯の人物ですか? すみません、揺れが収まった時には、もうどこにも。はい」
覚悟と緊張感がにじみ出ている中に、微妙な揺らぎが混じっているとしたら、それは通信内容のせいでもあっただろうか。きびきびした答えを返しながらも、杏の目元にはごく薄い困惑の影がずっと張り付いたままだ。
「聖泉の手のものですか? 私が見た限りでは、それらしい影は。はい。政府筋はないです。公安関係も。――あの、学園長」
一息置いてから、思い切ったように杏が問い返した。
「もう少しこの任務の目的をお知らせいただけると、私からももっと中身のあることをご報告できるかと思います。その……ご自分のお孫さんを、敵にしたつもりで監視せよというのは、いったい」
返事は期待に添ったものではなかったようだ。ややあってから、マイクの集音範囲を外すようして、杏が形だけでため息をつく。
「ええ。……ええ。それは心得ています。……大丈夫だと思います。どうせ……いえ」
何かを言いかけた杏が、気を取り直したように体の向きを変え、取り済ました声で切り上げの文句を口にする。
「他になければそろそろ私も宿に向かいますので。……はい。では」
手元の端末に指先を這わせて通信をカットしてからも、しばらく杏は動かなかった。
二、三分経過し、確かに付近の誰も自分に興味を向けていないと判断できてから、待ち人を諦めたような足取りで、ふらりとエントランスを出る。ホテルのスロープを降り、送迎バスの到着がピークに向かいつつある一帯に背を向け、人気の少ない裏道経由で駅前の方向に足を向ける。
そうやって、周りの人影を減らし、小径の前後に誰の姿も見えなくなってから。
ようやく杏は口元を自嘲に歪め、小さく呟くのだった。
「――どうせあの人は、私なんか見てやしないのよ。どうせ」
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