1−5
「で、作戦の進行状況やが」
杏の後ろ姿が細い坂道の曲がり角に消えると、勉が改めて口を開いた。翔雄は即座に片手を立てて顔を背け、会話拒否の態度を見せる。
「……分った。ほなら、ショウの方から話せや」
え? と眉をひそめた翔雄に向けて、なだめるように勉が頷いてみせる。
「中間連絡はわしがやったる。議長がとりまとめるんも、副議長がやるんも、同じやろ」
「いや……それはまあ、そうですが」
突っぱねるだけだった翔雄の表情が、困った時のようなものに変わっていた。このまま任せた時の問題点と、諦めて自分がいつも通り振る舞う際の煩雑さとを、天秤にかけているのだ。
「ええと、その、ここでそんな話は、どうかなと」
「ここで?」
「うん、だって、或摩のエージェントがどこから――」
不意に落ち葉を踏みしだく音がして、翔雄と勉が瞬時にずざぁっと全身を軸回転させた。一見オーバーな反応だが、それも無理はなかった。足音は翔雄達が立っている場所の、道路を挟んで反対側、切り立った崖が垂直にそそり立っている、その路肩から発していたのだ。
そんな場所に、直前まで誰も立っていなかったし、近寄ってきてもいなかったはずだ。少なくとも、二人はそれに気づかなかった。つまり相手は――
「お……」
勉が呻くような声を発した。二人の目の前に立っていたのは、楚々としたスクールコートの少女だ。凄みにも近い冷え冷えとした静けさを湛えながらも、スミレ草のような可憐さをその半身から漂わせている。
「お……お……」
お前は何者か、とでも言いたいのだろうが、勉の発声は言葉にならなかった。相変わらずの固ゆで顔だったので、ゴーレムがうめいたような印象がある。翔雄の口元が、わずかの間だけ苦々しげに歪む。前が開いている少女のコートの中は、古典的とも言える紺色セーラー。膝下までのプリーツスカートが、ふくらはぎの白さと相まって、幼くも危うい色気をあおっている。そんな少女が、礼儀正しく両手を膝上に重ね、伏し目がちにそっとはにかんだりしているもんだから、実のところ、破壊力が尋常ではない。
「おおお、お、お」
「合い言葉は? いいかげん、その『私きれい?』って顔止めろ。ベン先輩も、そのツラで赤くなるのはやめてください。不気味です」
「……『けむりすじ』……もう。せっかくの晴れ衣装やのに。ショウちゃんの意地悪」
歩み寄ってきた少女の声は、涼しげなアルトだった。その少女にはぴったりに思える、秋風のような声色。しかし、その声に勉は目をむいて絶息した。ついにハードボイルドが破れたのだ。
「『こにわきいづる』。合い言葉のセンスは認めるけどね」
或摩湯の 天にのぼせし 煙筋
峰々泣かせ 此に湧き出づる
詠み人知らずの、或摩では有名なご当地短歌である。温泉の湯けむりが立ち上って雲となり、その雲が山に掛かって川水となり、ふもとのこの地に湧いておるなあ、という意味である。
平安朝の時点で水の自然循環が理解されていたその証と騒がれたこともある歌だが、どうも作られたのは近代以降らしいことがばれ、やや残念な短歌という扱いになってしまっている。が、翔雄自身は結構気に入っている歌だったりする。
「すぐ分かった?」
「大した化けっぷりじゃないか。五秒ぐらい分からなかった。聖泉の制服で知らん顔されてたら、ずっと分からなかったかもな」
「そう? 嬉しい!」
「この近辺でそういうセーラーは少ないんだから、却って目を引くぞ。こっちはそれでピンときたぐらいなんだから」
「えー、でも、せっかく堂々とセーラー外出できるチャンスやのに〜」
勉は口をぱくぱくさせるだけだった。目が泳いでいる。しばらく立ち直れそうにない。
無理もないかも知れない。あやうく、一目惚れするところだったのだ。十数年来の幼なじみ、
「ま、真知なんか、ほんまに……?」
やっとのことで問いを絞り出した勉へ、得意そうに顎を突き出してみせる第一書記。
「ふふん。男の娘、十日会わざれば刮目して見よ、言うてな」
怪しげな慣用句はとりあえずスルーして、翔雄はざっと真知の全身に視線を走らせると、目を軽く瞠った。
「……セミショートに切ってファンデまで、とはね。アイメイクは、お前、まだ当面手は出さないとか言ってたのに、なんでまた」
「気合入ってるやろ〜? うちが本気で任務に向かったらこんなもんやで」
「任務? そりゃまたどういう類の」
「あら、聞きたいん? 確認の要なしやなかったん?」
む、と言葉に詰まった翔雄が、勉と顔を合わせる。つい今しがた、自分に任せい、などと胸を張っていた勉は、さっそくどぎまぎしたような、頼りなげな顔を隠そうともしない。
真知がいつからこちらを窺っていたのかは知らないが、これは明らかに翔雄への当てこすり半分、補佐役としての叱責が半分というところだろう。
一度天を仰ぎ、翔雄はしかめっ面で言った。
「聞こう。作戦の内容と途中経過を、簡単に頼む」
「えぇー? ほんまに聞くん? 聞いて後悔しても知らへんでぇ?」
「さっさと言え! んなもったいぶった言い方ってことは、相当ろくでもないオペだろ!? お前、ジジィから何を聞いた!?」
「全部うちの発案やで? あのじいちゃんはむしろ迷惑そうな顔してたんやけどな」
などと、やたら前置きを伸ばしてから、ようやく真知が語り始めた作戦の中身、それは、言い渋るだけあって、なかなかにあくどいオペレーションであった。
作戦名・「天上案内」
或摩一帯の有力ホテルの経営者(主におじさま)たちと〝女子高生〟の立場でロマンチックな出会いを(計算づくで)果たし、お付き合いする関係に持ち込む。
連動しての二次作戦・「雲のじゅうたん」
おじさまたちとデートして、その様子を写真その他に記録し、未成年ナンタラ条例違反の実績作りを手伝ってあげる。
「
叫んだ翔雄に、真知はゆったりと首を振った。
「ちゃんと続きがあんねん」
三次作戦・「濁流下り」
撮った写真その他をおじさま達の家庭に送りつける。
ただ送りつける。そして、その結果を観察する。
「…………真知、お前」
「なあに?」
「それはつまり、家庭崩壊狙いで……」
「えええーっ!? そんな、極悪なこと、うちが、考えたりなんか、考えたりなんか」
「するんだろっ。そのとってつけたような棒読みもやめろ」
「…………」
「お前、なんか、最近やたらと世の中の男全体を敵視してないか?」
「いや、そういうわけやないんやけど」
若干テンションの落ちた声できまり悪そうに返す真知。かすかに、翔雄がほっとしたようなため息をつく。いつもの、裏表なく話をする時の真知の声だ。どうやら、大作戦の熱狂の中で、旧友が自分の理解できない領域に飛んでいってしまったわけではないらしい。
「うちはただ、ホテルのおっちゃんらとコネつけといたらええんちゃうかな、思っただけやねん。まあ、せっかくやから証拠写真ぐらい撮った方がええかな、思うて」
「ふん、それで?」
「そう、それ。学園長の前でそこまで説明したら、あのじいちゃんも、『それで?』って言いよったんよ! んで、引っ込みつかんかったから、こんなおまけがついたんやないの」
「あー…………」
なんだか分かるような気がした。インパクトのある作戦を求める学園長。ハッタリをかましたい幹部。共に、ライバル業者の家庭環境を叩き壊して回りたいとまでは思っていなかったはずだが、打ち合わせしているうちに、ろくでもない方にろくでもない方にエスカレートしていかざるを得なくなったのだろう。
「んじゃ、どこの相手とも二次オペ止まりにしておきゃいいさ。どうせ時間切れになるだろうし」
「んー、でも、証拠写真溜め込んで終わりじゃ、何やったんか分からんし。一件ぐらい何か記念になることを」
「やらんでいいっ! それならいっそ全部美人局で――」
「いやいや、待てーいっ」
唐突に勉が割り込んできた。今の今まで真知の美少女ぶりにすっかり
「お、お前、そもそもそんな作戦、中年のスケベったらしいおっさんと、な、な、何を」
「え? 何って、普通にデートとか食事とか?」
「そそ、それを、お前一人でやるっちゅうんか? うちのくのいち部隊は使わんのか?」
「そ、それは!」
「んー、それも考えたんやけど、慣れへん女の子やったら展開次第で洒落にならんかも知れへんし、ええよ、うちがうまく——」
「何と言うことや!」
花崗岩体のような重々しい嘆息を吐き出してから、勉はまじっと真知に視線を注ぎ、その手をがっちりと取った。
「お前がそんな……いや、あかん! あかんで! 何も真知一人が、その、か、体を張らんでも——」
これは困った、と翔雄は今さらのように思案顔になる。真知のこの手の行動は今に始まったことではない。が、思い返してみると、今まではどれも正式なオペではなく、一部のメンバーだけがその場で見て見ぬふりをして通したような、現場での臨機応変の対応、という扱いだった。
そして、その一部のメンバーに勉が含まれたことはない。
それにしても、誰かから聞いたとか報告書の行間から判断したとか、何となく察しているのでは、ぐらいに思っていたが、どうやら本当に勉は、今まで真知の「おじさまキラー」ぶりなど認識外だったようだ。
真知も、改めてクソ真面目な幼なじみの角張った顔に戸惑ったようで、
「う……ん、でもほら、うちの温泉郷って山の中で〝秘境〟が売りだったから、どこの旅館も伝統的に色事には弱いし……」
「そうです! 無理です!」
「いやいや! そやからって、何でお前が脂ぎったおっさんなんかと……ね、ね——」
「もう、ベン先輩ったら、何赤くなってんよ。大丈夫、ドライブ程度でも〝実績〟になるんやし、うまく逃げるって」
「逃げきれんかったらどうするんや! 男はみんな狼なんやぞ! ええい、うちのくのいちどもはいったい何を——」
「そんな、ひどい!」
「ええと、ベン先輩? とりあえず、いったん冷静になってもらえます?」
翔雄が遠慮がちにぼそっと声をかけた。はっと気がつく勉。いつの間にか、真知の二の腕をつかんで、ほとんど顔をくっつけ合うような形になっていた。慌てて手を放し、背中を向けて咳払いをする。崩れ気味だったゴーレム顔がたちまち元に戻った。
そろそろ各旅館にも客が入りだす頃合いである。通行人も数が増え、妙な取り合わせの三人に変な顔を向けていく集団も現れてきた。
いくらか人目を気にしつつも苦笑を浮かべ、ちょっと腕を揉んでから、真知が不思議そうに翔雄に尋ねた。
「ところで、さっきから何かサブリミナルみたいに、誰かのセリフが割り込んでるような気がするんやけど?」
「え、そうか?」
「私です」
「気がつきました、ベン先輩?」
「い、いや、俺は、よく憶えとらんが」
「ここです!」
三人が同時に顔を動かした。それから揃って、おお、というように目を瞠る。
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