1−3
地べたに置いてあった通信端末から、カリヨンのようなコール音が鳴り響いた。慌てた様子で
「報告メールだね?」
少し離れた斜面でハンマーをぶらぶらさせている
「はい」
「読んで」
「え、と。『作戦名、ガマ・ストライク。目標達成。回収不可。指示を請う』だそうです」
「それ、担当誰だっけ?」
「え? ええと……あれ? すみません、確かくのいちの一人だと」
「ああ。まあいいや。で、衛倉はどう判断する?」
「……ことさらに特別な指示は必要ないかと」
「よろしい。では、分ってるな?」
「はい、ファンクションの『よ』ですね」
連絡とスケジュール管理その他の用途を兼ねている小型タブレットの上で、杏が手慣れたキーボード操作で定型文の文字候補一覧を呼び出す。Fnキーとひらがなの「よ」との組み合わせは、「よきにはからえ」である。
「にしても、ちょっと適当すぎやしませんか、この指令」
「要するに、無理しないで逃げていいってことだ。どうせ今回の作戦は、こればっかりになるんだから、深く考えなくていい」
「はあ……」
微妙に物足りなそうな表情の、小柄なポニーテール少女と、その傍らで一心になって石を物色しているヘンな男子高校生。二人とも地味なシャツとジーンズ姿で、一見すると、その道一筋の地学クラブ部長と、その下で振り回されているアシスタント役の妹、といった風情である。
その観察は、半分合っていて、実はもう半分もほぼ合っている。より正確な説明は、「高校生スパイのリーダーが任務を半ばほったらかして趣味のクラブ活動に逃げ」、「その下のリーダー補佐が『ハイキングについてきた妹』の役を指名されてちょっと喜んだものの、兄役がマジで石ばかり愛でているのでさすがに疲れた」という状況なのであった。
ところは或摩温泉駅の裏手。山の手になっている一角の、緩い傾斜の崖のたもとである。地層が露出し、お湿り程度の地下水が漏出している
「ところで、あの、議長。今さらですけど、ハンマーで何をなさっているんですか?」
「え、聞きたい!?」
急に嬉しそうな顔でまともに訊かれて、杏は慌てて手を振った。うっかり「はい」と返せば、このまま本格的に翔雄謹製の野外地質学講座が始まりそうだ。
「いえ、その、つまり……な、何か珍しい鉱物が、こんなところにあるんですか、という意味で」
露骨に「いやです」とは返せないので、瞬時にイエスかノーで短く返せそうな質問へとすり替えた杏である。彼女とて、日々それなりに翔雄への対処法を身につけているのだった。
「ああ。まあ、世間的には珍しいものじゃないだろうけど。ここの岩は
杏の顔に、一瞬「しまったあ〜」という無言の呻きが浮かび上がる。こわばった愛想笑いで、それでも一分耐えた。翔雄の説明が、変成岩の生成過程から第四紀更新世の六甲山隆起の顛末にさしかかったあたりで、杏はようやく言葉を差し挟むべき隙間を見つけた。
「あの、議長、面白いお話中に恐れ入りますが、そろそろ駅前に」
「ん、もうそんな時間かな」
苦し紛れに放った一言だったが、実際にタイムリミットだったらしい。翔雄は腕時計をひと目見ると、気を悪くした風もなく、軽い動作で法面から道路へ降り立った。一度自分が這い回っていた斜面を見返し、満足したように頷くと、てくてくと駅の方角へ歩き出す。やや気後れした感じで杏が続いた。
田舎道だが、付近は企業の保養所や別荘が立ち並んでおり、向かう先にはいくつかホテルのビルも間近に見える。今はほとんど人気のない通りでも、十分も歩けば賑やかな温泉街の中心区にたどり着けるはずだ。
「すみません、私、何もお手伝いできなくて」
一応しおらしいことを口にする杏に、翔雄はひらひらと手を振った。
「いいよいいよ。空き時間に好きなことをしてるだけだから」
「はあ。空き時間……」
ついため息混じりに言葉をなぞってしまう。ちらっと杏を振り返った翔雄は、すぐ視線を前に戻すと、背中越しにさらりと問いかけた。
「時間が余ってたんなら、作戦の進め方とかリーダーのあり方とか、手取り足取り教えてくれてもよかったのになあ、とか思ってる?」
「えっっ!?」
図星である。だが、そこで「もー、分かってんならそうしてくださいよ、議長のいじわるぅ」みたく即答できるキャラでは、そもそもない。
「いえ、そんな、そんなことは」
柄にもなく、取り乱してしまう。慌てた時点でアウトだとは、とうに分っているが、止まらない。
「わわ私が、そんな厚かましいこと、考えたりなんて、あは、あははは」
「仕事のやり方で杏ちゃんに教えることなんて、ないよ」
杏のごまかし笑いを完スルーして、翔雄が真面目な口調で言った。その態度よりも、急に変えてきた呼び名に、杏はどきっとした。
「杏ちゃんには大概のことは任せられる。杏ちゃんが知らないことは、多分僕も知らないことだ」
ほんの時たま、翔雄が口にする杏の愛称。どういうつもりでその呼び方に切り替えているのか、問いただしたことはない。けれど、杏は翔雄の声の響きに――「高・低」ではなく、平板な「高・高」のイントネーションで「アン・ちゃん」と親しげに呼ぶその韻律に、いつもドキドキしてしまう。今この時だけ、自分はこの人のいちばんの近さで語らっている、という思いに、ゆえもなくときめいてしまう。ただ――
「何なら、今すぐにでも議長代行を頼んでもいいぐらいだ」
「……それはつまり、私に指揮を押し付けて、自分は石拾いを楽しむために、ですよね?」
「もちろん。よく分ってるじゃないか」
屈託のない、子供のような笑顔で翔雄が頷いた。その時点で、杏のときめきは地平線の彼方へ消え去っている。
そう、翔雄の見せる親しみはいつも計算ずくなのだ。それと知ってもなお、胸が高鳴ってしまうほどの魅力をふりまいておいて、結局自分から距離を開ける。全然そんなふうには見えないが、やってることは調子のいいプレイボーイと同じだ。
この人はずるい、と思う。何だかんだ言って、みんなこの人のだらしないところを許してしまう。むろん、締めるところは締めてくれるという、日頃の実績あってのだらしなさだけれども――
「こんなんじゃ、二人がかりで作戦統括やってる意味なんて」
つい愚痴のような一言が口を突く。
「今回はじじいが僕を信用してないから、仕方ないさ」
ごく自然にそう受け流す翔雄。
杏は全身からどっと冷や汗が吹き出すのを感じた。これだ。この人のこういうところ。他愛のない会話をしている中に、抜き身のような危険な言葉を、無造作に投げ込んでくるその剣呑さ。
これでは、挨拶一つにも真剣勝負のつもりで身構えていなければならない。もっとも、自分なら翔雄のそんな部分とも、互角にやっていけるはず、との自負はある。
「指揮官三人体制の作戦プランだから、単純に四人の幹部が二・一・一と分けられただけでは?」
間を置かず、冷静に指摘してみせる。杏としては、ここで翔雄の認識をはっきり確認しておく必要があった。
「いや、この作戦は四人体制に組んでもおかしくなかった。今の段階で衛倉と僕がペアを組んで仕事をする理由なんてない」
もう"杏ちゃん"は終わりか、とちょっと寂しい思いを横に置きつつ、とりあえずこの場は司令役たる学園長と翔雄の間を取り持たなければならない。
「でも真面目な話、私の教育を兼ねてのこの采配という可能性も――」
唐突に、翔雄が前を歩いたまま、指を一本立てた。それと分かるほど、速度も急減速している。杏はすぐに反応して、会話を止め、歩調を合わせた。
どうやら前方になにか不審なものを見つけたらしい。何だろう? 杏には全然察知できなかったが、翔雄の背中が発している警戒感は、スパイ歴三年目の杏から見てもかなりのものだ。
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