0−8
どことなく騒然とした雰囲気の中で、とりあえずセシルは部下たちを滝多緒のバスに押し込むことにした。敵方の保護を当てにするのは情けないが、自分の身も満足に守れないメンバーが大半だし、この事態にどういう裏があるにせよ、いちばん安全と思える場所に部下を任せるより仕方ない。
「部長は大丈夫なんスか?」
不安そうな問いかけに曖昧な笑みで応えて、元の場所に戻ると、セシルの上司たる砂鳥と翔雄が、こんな中でやたらと楽しげな会話に興じている最中だった。
「まあ、どんなお年寄りが作戦指揮取ってたのかと思えば、まだ高一? 私、よっぽどひねこびた海千山千のジジイかババアがついてるものとばかり」
「お誉めにあずかり、恐縮です」
誉めてない、多分。
「何しろ一ヶ月がかりのプランが、即日中身ごとかっさらわれてしまったんですものね。おかげで三十分過ぎたら暇になって暇になって」
「お喜びいただけたようで、何よりです」
喜んでへんっちゅうのに。
「うちの作戦部長があっさり陥落するのも当然か。浮いた話一つなかった子だったんだけど、こんな手際を見せられたらねえ」
「恐れ入りますが、それはちょっと誤解が」
「ちょっと待てーいっ」
思わず乱入してしまうセシル。ん?という顔で振り返る翔雄と砂鳥を見てから、一拍遅れで自らの誤りに気づいてしまう。
(し、しまった。このタイミングだと、まるであたしがこいつと)
「…………」
何か言いたいのだが、言葉が出てこない。口をパクパクさせるセシルを、珍しいものでも見るように、翔雄も砂鳥もただ沈黙して眺めている。
と言うか、明らかに、二人とも面白がっている。
「……っ ……!」
だめだ。何をどう喋っても、多分ろくでもない突っ込みが。
少しは助け舟の一つもよこしてくれればいいのに、二人して何かを期待する顔で、ただひたすらセシルを見つめるばかりだった。
(なんでこういうとこで息が合うねん、この二人!)
このまま黙って逃げてしまおうか、とまで思ったその時、滝多緒の学園長が音頭を取るように声を上げた。
「遅くなりました。ではみなさん、改めまして合同の協議に入りたいと思います」
散らばっていた面々が、その一言でバスからやや離れた位置に集まりだす。その外側では、依然評議会メンバーが警戒の監視を続けているようだが、今のところ異状はないようだった。
協議に顔を揃えたのは、滝多緒側が、評議会から翔雄と杏、及び峰間学園長、学園外の観光局からのメンバーが一人で、計四人。千津川はセシルと水枯室長の二人、それと鹿戸本人。都合七人が円になる。全体の進行は峰間の老人が務めることになったようだ。
少人数の、切迫した事態の中での話し合いである。老人は余計な行程を一切作らなかった。
「みなさん、今の状況はよくお分かりのことと思います。ですから、まっすぐ用件に入りましょう。鹿戸さん、あなたは、あなたの安全と生活を保証するはずの滝多緒からの申し入れを、足蹴になさったと聞きます。なぜですか?」
鹿戸は答えなかった。困惑するでも、せせら笑うでもなく、ただ表情を消して、ぴったりと口を閉じている。
「こんな感じです。私達とも、途中まで順調に話が進んでいたんですが、あるところで急に拒否しだして」
観光局の男が言った。四十代ぐらいの、実直そうな事務職タイプで、諜報部と言っても内勤専門であるのが一目瞭然だ。
老人が即座に問い返した。
「あるところ、というのは?」
「『やまもみじ』の経営権譲渡に話が及んだ段階です。どうも彼は、何らかの条件次第では完全に旅館を手放さなくてもいいのではと楽観していたようなんですが、そこは譲れない、と通告しますと、途端に」
「ふむ。鹿戸さん、今の話に間違いはないですかな?」
「ない」
初めて鹿戸が口を開く。が、それ以上説明を加えるつもりはないようだ。老人が辛抱強く質問を重ねる。
「では、あなたが納得できる条件というのは? たとえばあなたの旅館の土地と建物、その現在の算定額の一部を、改めてあなたの取り分として認める、というのはどうです?」
「話にならん」
「何パーセントをそちらとするかは、さらに相談に応じますが?」
「俺は『やまもみじ』そのものを手放せないと言っている。土地、建物、そのすべてが俺のものだ。今後ともすべての所有権を主張する」
あまりに強く出た言い方である。一座はつかの間、気圧されたような沈黙に覆われた。
その膠着に、セシルは耐えられなかった。
「あんた、何言うてんの!? 自分がどんだけアホな迷惑振りまいたか、分かってへんやろ!?」
大声を出してから、しまったと思ったが、手遅れだった。その場のメンバー、特に成人達はちょっと驚いたようだが、横にいる水枯室長を始め、特に制止しようとはしないでいる。もうこうなったらそのまま突っ走るしかないっと思って、さらに声を張り上げた。
「反省が足りへんのとちゃうんか!? そういうことやったら、やっぱ警察の厄介になっとった方がええんとちゃうか?」
「警察だと。今さら何を……なんだ、誰かと思えば、ハダカのお嬢ちゃんか」
「誰がハダカやねん!」
こころもち、陰々とした鹿戸の眼に楽しげな色が差したように見えた。
「自分の恥ずかしいデータは見つけてもらえたのか? いやしかし、その体にはほんとに覚えがないんだが」
「あ、あ、あんたはっ! ほんまにどこまでも救いがたい――」
「昆野、落ち着け。挑発に乗るな」
思わず詰め寄りそうになったセシルを、砂鳥が羽交い締めにしてなだめる。その横で、不意に翔雄が鹿戸に尋ねた。
「そう言えば、あなたの盗撮ラインナップにはなぜか女子校生ものがありませんでしたね。どうしてですか?」
「あんたまで何言うてんの!」
セシルが即突っ込むが、当の鹿戸は不思議に表情を消して黙り込んでいる。
「ロリ……というか、小学生ものはありますよね? そこからなぜか女子大生もの、OLものに飛びます。売れ線のはずの十代後半が抜けているのは、なにか理由が?」
やたら具体的でしつこい質問に、砂鳥も首を傾げている。セシルは上司が翔雄を蹴飛ばしてくれないものかと思ったが、彼女も何か思うところがあるのか、動かなかった。鹿戸も変にむっつりしたままだ。
「まあいいでしょう。で、さっきの話ですけど、仮にこのセシルさんがあなたを訴えただけでも、あなたは『やまもみじ』を手放すことになると思うんですがね。まさか、本当に自分から警察の厄介になるつもりですか?」
「何? おいおい、峰間君だったか? 君まで、今さらくだらん芝居はよせよ」
大仰に体を伸ばした鹿戸が、嘲るように眼を大きく見開いた。
「聞いてるぜ。お前ら、警察沙汰にはしたくても出来ないんだろ? 俺を逮捕させるって道は、最初っからねえんだってな?」
「!
舌打ちした翔雄が、観光局の中年を睨んだ。松器と呼ばれた事務担当は、ごめん、というように片手で翔雄を拝んでみせる。
「すまん。なんでここまで好意的なんだって、疑心暗鬼で話が進まなかったから、ちょっとだけ内情を、ね」
「やっぱりそういうことだったのか……」
額に手をあてる翔雄。突っかかるように、その肩口をセシルが引っつかんだ。
「ちょっと、どういうことなん!?」
反対側で砂鳥が、え、と声を出した。
「なんだ、昆野、まだ聞いてないのか」
「まだです。説明するって話やったのに、こいつらはぐらかしてばっかりで」
「それはその件を訊かなかった君が悪い。というか、未だに感づいてないということの方が問題では」
「何やねんそれ。もったいぶらんと説明せえや。なんでこのおっさん、警察に叩き込まれへんの?」
「むう、それは未だ気が回らないままの昆野も確かに」
「室長まで何ですか!? え、ちょっと、もしかしてここで分かってへんの、あたしだけ!?」
「まあ、仮にマジで警察行けよって話になったとしても」
しょうもない小競り合いでちょっと興ざめしたのか、鹿戸の方で話を進める気になったようだ。手を挙げて注意を引いてから、真面目な顔で言い切った。
「あんたたちの証文にはサインしない。俺は本気だ。『やまもみじ』の営業に一枚噛ませろって言う程度なら話は聞く。何なら経営主体を譲ってもいい。だが、オーナーから外れるのはダメだ。『やまもみじ』の土地と物件は、あくまで俺のものだっ」
「なるほど。やはりそうですか」
「やはり?」
珍しく熱っぽくセリフを吐いていた鹿戸が、ぴくっと翔雄を見た。納得顔で頷いた翔雄は、じらすようにしばらく間を取ってから、唐突に全く関係なさそうな話題に触れた。
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