第23話 お兄ちゃんを幸せにしてあげる事しか出来ない
「お兄ちゃんが恋を出来ない原因は、私なんだよね」
確認するまでもない、純然たる事実。理由は、罪だったとしても、その原因には確かに私が存在している。
そこのところを、ハッキリさせる必要があった。
「俺は、そうは思ってない」
「じゃあ、ちゃんと言ってあげるね。お兄ちゃんは、私のせいで恋が出来ないの」
どうせ、お兄ちゃんと論争になれば勝てないのだから、前提を決めるのは当然の事だ。
何も、正しい必要はない。少なくとも、お兄ちゃんだってそうだった。
だから、何も言い返せないよね。
「でも、だったらどうなんだ?」
「簡単だよ。私が、お兄ちゃんに『もう怯えてない』って、証明するんだよ」
その時、初めてお兄ちゃんの微笑が崩れた。酷く、心配しているようだ。
どうやら、理解したらしい。守ることしか出来ないお兄ちゃんでは、絶対に思いつくことが出来なかった方法に。
頭、いいね。ホント。
「私、あの男に会いに行く。それで、もう終わりにするの」
「……やめておいた方がいい」
「あいつの足が、治ってるから?」
言うと、お兄ちゃんは俯いた。
「私、知ってるよ。全部、お母さんとお父さんに聞いたから」
思わず、お兄ちゃんの後ろに立って頭を撫でていた。こんなに悲しそうな顔は、見てられなかったから。
きっと、目的を見失う瞬間の。
……いや。
既に見失っている自分に、気が付いてしまった顔だった。
「お兄ちゃんの贖罪が終わったのは、あの男に赦されたからなんだよね」
そう。
あの時、お兄ちゃんが漏らした言葉は、お兄ちゃんの全てを表していた。
つまり、お兄ちゃんの奉仕は遂に実を結び、あの男が完治するまでの援助を終わらせていた。一体、どれだけの費用と時間が必要だったのか、それはお兄ちゃん以外に誰も知らないけど。でも、事実だ。
目的は、既に失われていたのだ。
「だから、奉仕自体が生き甲斐になった。自分が喜ぶ方法を知らないお兄ちゃんには、それしか出来なかったから」
これが、私が導き出した答え。お兄ちゃんだけを見て来た、私の人生の賜物だ。
「ごめんな、ミコ」
……なんて、悲しい結末なんだろう。
お兄ちゃんの不幸は、奉仕以外に行き方を知らないことでも、拒み続けて恋が分からなくなった事でもない。
それに自分で気が付いてしまう、頭の良さを持っていた事だ。
どうして今お兄ちゃんが謝ったのか、私には分かるよ。
「この答えが私を縛ってしまうって、ずっと知ってたんでしょ」
そんな事、何の意味もないのに。
「よく、頑張ったね」
「違う、当たり前のことだった。すべて、俺の責任なんだから――」
「そんなことないよ」
撫でる手を、お兄ちゃんは振り払わない。持ち上げると、サラサラの髪が私の指をすリ抜けていく。
「だから、ハルコさんにだけは弱音を言っていたんでしょ?」
全てが理詰めで、確かな根拠の存在するお兄ちゃんの人生の中で、それだけが異質だった。
何故、お兄ちゃんはハルコさんに弱音を吐いていたか。
……理由なんて、無かった。お兄ちゃんは、ただお母さんに甘えていただけだ。
お兄ちゃんは、あの作文の通り、最初は普通の男の子だった。ハルコさんが大好きで、お父さんに憧れているだけの、普通の男の子だった。
それが、境遇によってネジ曲がり、今のお兄ちゃんが形成されていった。お兄ちゃんが完璧を求めたのでなく、完璧がお兄ちゃんを求めたせいで、そうならざるを得なかった。
「だって、周りがお兄ちゃんを完璧だと思ってるんだもん。立場が人を作るなら、お兄ちゃんにはその表現が合ってるでしょ」
だから、本当はずっと投げ出したかったに違いない。女の子を拒んで、悪者になるのだって苦しかったハズだ。先頭に立って、誰かを守り続けるなんて心が荒むに決まってる。
それに耐えられたのは、ハルコさんに愚痴を溢していたから。
私が、助けられた事で依存してしまったのなら。お兄ちゃんは、助けられなかった事でハルコさんに依存していたという事だ。
……本当に、どこまでも悲しい人。
「もう、何もかもお見通しなんだな」
「うん」
「どうして、そんなに一途に俺を見ていられるんだ?」
「だって、私たちって両思いじゃん」
すると、お兄ちゃんは私を見上げた。
「お兄ちゃんって私のこと好きでしょ」
「何を言ってるんだ」
もう、『家族だから』なんて誤魔化すのも無理なくらい、ドッキリしてるのが分かった。
私の、勝ちだ。
「だってさ、あの日記も、生ハムも、私に見つからないように出来たじゃん。頭を撫でさせる事だって、レモンサワーを飲むことだって、全部拒めたハズじゃん。そんな事に気付かない人が、誰からも尊敬されるワケないじゃん」
抱き着いて、肩に顎を乗せる。髪の匂いが、心地いい。
「気付いてる? お兄ちゃん、全部自分でバラしてるんだよ? 一人称だって、『俺』になってるんだよ?」
お父さんが教えてくれて、本当によかった。
お兄ちゃんを手に入れる事と、納得させる事は同義。
ずっと片思いを続けてきた私では、諦めていったみんなを知ってる私では、絶対に気付けなかった事だ。
「自分の事、もっとちゃんと見てあげてよ。そのクマ、誰がどう見たって今にも壊れそうだって思うよ」
「でも、俺は罪を――」
瞬間、私は言葉を遮るように、お兄ちゃんの正面に立ってキスをした。
キスで、力で、黙らせてやったのだ。
「自分に自信がない理由を、女に押し付けないでよ!」
……責任感の塊であるお兄ちゃんは、その実誰よりも自分に自信がない。
だって、お兄ちゃんが人を助けるのは、ハルコさんと私の為。決して、自分の能力を発揮する為ではないのだから。
自分を理解していない。それこそが、お兄ちゃんの本当の罪だ。
「なら、ハルコさんの分まで私を愛してよ! 今度こそ失わないように、一生守ってよ! 形が欲しいの! 『どこにも行かない』じゃなくて、お兄ちゃんを恋人にしたいの!」
お兄ちゃんは、言葉を失って私を見ていた。今までとは違う、見下ろす視線じゃない。
まっすぐ、対等な位置だ。
「だから、私をカノジョにして」
感情が爆発して、涙になってしまった。
お兄ちゃんは、いつもみたいに慰めてくれない。
……でも、その代わりに一緒に泣いてくれるみたいだ。
「俺たち、兄妹なんだぞ」
「そんな事、『好き』の前じゃ何の障害にもならない」
「俺は、ずっとミコを――」
「関係ない。私は、それでも諦めなかった」
すると、お兄ちゃんは眼鏡を外して私を抱き締めた。優しく包むのではない、縋るように強いハグだ。
だから、私はまたお兄ちゃんの頭を撫でた。
きっと、私がお兄ちゃんよりしっかり立っていられるのは、今日だけだって分かったから。
今まででしてもらった分、優しく、優しくお兄ちゃんを抱き返した。
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