無意識下に於ける自覚的行動②
積りに積もった鬱積を発散するかのようなレシーブ練習は、征服欲を満たすためだけに私の膝を床に着かせる。怒号めいた声が体育館に響き渡り、萎縮した脳が汗を垂らす。私の口はそぞろに言った。
「すみません……。トイレ、」
癪に触ったのだろう。バレー部顧問はすかさず返してきた。
「汚すなよ」
言い知れない屈辱を感じ、バレー部顧問の顔を凝視した。鏡を見ずともわかる。公衆トイレで汚物を見るかの如き眉間のシワと、不服を訴える口元の歪みを私は確かに、殊更に表現しているはずだ。バレー部顧問が怒気を伴って此方に向かってきていることからも明白である。私はさながら、闘牛士の気分で仁王立つ。一歩も引く気はなかった。だからこそ、壁にぶつかるように立ち止まったバレー部顧問の姿に拍子抜けした。
「?」
先程の一気呵成たる前進は完全に霧散し、その場に留まることでしかなし得ない問題の解決に苦心しているようだった。じきに、目玉に赤い蜘蛛の巣が張りだし、黒目は落ち着きなく七転八倒を繰り返す。そして、頭が頻りに蠕動する様は、大気圏外に放り出された人間そのものだ。目頭から血が流れすと、凍えた身体に熱を差すための震えを催す。
「が、ごっ」
焼き切れた言語野を介して理解不能な声を垂れ流す。内圧の高さにバレー部顧問の顔は鬱血する。その異様な変化に私はただ、注視を続けた。頭頂部だ。頭頂部からそれは始まった。赤黒い血が重力に逆らい吹き出すと、みごとな怒髪天をつく。時間は刹那的である。バレー部顧問の顔は果実のようにくたびれて茶色く染まっていき、空気の抜けたラグビーボールの形を模した。もはや出涸らしに近い。そして、過度な圧縮に耐えきれずに頭は派手に割れた。目玉と思しき肉片が体育館の床に張り付き、少ししてからいくつもの歯が音を立てて散らばった。次の瞬間、堰を切ったように甲高い悲鳴がこだまして、ようやく事の重大さを咀嚼する。何故だろうか。私はまるで動じていなかった。終ぞない奇怪な死を遂げた人間の道程に呆然とするでもなく、当然のことのように受け止めていた。
実に晴れやかな気分である。あれほど悩ましかった形容し難い気持ち悪さが、潮が引くかのように消え去った。あまりの惨たらしさに吐瀉するバレー部員を横目に、私は颯爽と体育館を出た。その間に何人かの教師たちとすれ違い、遠くの方でサイレンの音も聞いた。
部活帰り、私の気分はいつも沈んでいたように思う。今ならそれがわかる。青信号を忌み嫌い、愚鈍な歩きで赤色に変わるのを待ちわびていた私はもういないのだ。
「ただいま」
一体いつぶりだろうか。帰宅を自ら知らせたのは。しかし当然ながら、私の立ち振る舞いを気にする者はいない。偶さか居間から出てきた母親と鉢合わせたところで、一言も掛けられないのだから期待するだけ無駄であった。だが、異変に気付いたのはそれから間もなくだった。トイレに向かうはずであろう母親が廊下の真ん中で立ち止まったまま動かなくなる。私はその瞬間、空目した。
「あっ」
母親がどのような過程を経て、どのように終わるのか。私はそれを知っている。だからこそ、私は私の“悪意”というものを初めて自覚できた。
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