第22話 秘密と忘れもの
――彼女には帰る場所がある。
それを痛感したフォルトは、一瞬だけ胸に走った痛みには気付かなかったふりをして、ソファにふたり並んで腰掛け蝶子が開いた本に目を向けた。
「この本の、この頁なんだけど」
「どれどれ……っ……!」
そこに描かれていたのは、祈る神官の男女と天上の女神の絵。
フォルトは、この挿絵がなにを示しているのかすぐに気付いて息を呑む。
「神殿には、女神様の声を聞く人がいるんだよね? この古い本に書いてた」
「……よく、知っているな。もう神殿の中でしか伝わってない話なのに」
「やっぱり、そうなの? 土地の言い伝えとかには、そういう話が全く出てきてないから、たぶん一般的には知られていないことなんだろうなとは思ってたけど……」
――本当に、よくここまで調べたと言いたい。
(こんな……秘匿情報を)
フォルトの声が緊張を孕んだのに、おそらく蝶子は気付いていない。
きっと、手がかりに指が引っかかりそうな現状が彼女をわくわくさせているのだろう。いつになく饒舌だ。
「その人にお願いして、女神様に会う方法を聞いてもらえないかなって」
「……チョーコ。すまないが、これは無理だ」
身を乗り出す蝶子に、申し訳なさそうに……だが、はっきりとフォルトは告げた。
「こういう人は、特別中の特別だ。聖女や聖人といった特別な称号で呼ばれる。――つまり、それだけ貴重……滅多に輩出されないんだ」
「え……?」
「女神様の声を聞ける。この一点だけで、神殿では最高位に持ち上げられる存在なんだよ。各神殿の長になるにも、相応の能力や人望が必要だけど、聖の称号を持つ人間は即中央神殿に招かれ、神殿全体に影響力を持つ中枢に組み込まれる」
そして、中央神殿には現在、聖の称号を得ている者はいない。
「……そっか……」
しおれた花のように肩を落とした蝶子に、フォルトは慌てた。
「あ……、その、ぬか喜びさせて、すまん」
「違う。フォルトさんはなにも悪くない。謝らないで。……私が勝手にはしゃいでただけだから」
落ち込む蝶子を見て、罪悪感が頭をもたげた、一瞬だけ「もしかしたら」という僅かな可能性がフォルトの頭をよぎる。
もしかしたら、あの人ならば――。
(だけど……)
それがダメだった時の顔を見るのは、フォルトも辛い。
相手が普段あまり望みを口に出さない蝶子だと、余計に。
「……大丈夫。まだまだ、時間はあるんだから。調べる資料だって、まだ残ってるもん。……もしまた、なにか分からないことがあったら……フォルトさんに、相談してもいい?」
「――ああ、大歓迎だ。俺でよかったら、いつでも」
「……ありがとう」
「……チョーコは、やっぱり」
「ん?」
「帰りたい……よな? ――ああ、悪い。変なことを聞いた、答えなくて……」
帰りたいから。
帰りたいのに帰れないから、彼女はここまで必死になっているのに、自分はなんて酷いことを聞いているのだ。
フォルトは、しまったと思い質問を取り消そうとした。
だが、是と返して当然だと思った蝶子は、固まっていた。
「チョーコ? どうした?」
まさか、自分の不躾な質問に傷ついてと青ざめるフォルト。
「チョーコ……! 俺が悪かった! 君の気持ちも考えないで、ズケズケと――」
「どうしよう……」
「……え?」
「――どうしよう、フォルトさん」
チョーコの黒い目が、大きく見開かれている。
その体も小さく震えているように見えた。
なにかおかしい。
フォルトは、そっと蝶子の肩に手を置いた。
「チョーコ……?」
「帰りたい、帰らないと……だって、家族が待ってるから。お母さんとお父さんとお姉ちゃんとおばあちゃん――みんな、心配してるから、みんなのところに、帰りたいって、ずっと……それなのに――」
――私、家族の顔が思い出せない。
真っ黒な蝶子の瞳に、フォルト自身の驚愕の表情が映っていた。
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