亀山くん、カメの野生を垣間見る
カメがいなくなったことに先生が気づいたのは、亀山くんがカメを逃がしてから三日後だった。
「おい、理科室のカメがいなくなっているぞ。誰か知っている者はいないか?」
先生から質問を受けたクラスの皆は、ぼんやりした戸惑いを浮かべ、ひそひそ言葉を交し合う。
「カメ、いなくなったんだって」
「逃げたんじゃない? もうでっかくなってたし」
「学校の中にまだいるんじゃないの」
「えっ、それはやだなあ。私爬虫類嫌いなのよ」
結局のところ先生の質問には、誰も答えられなかった。
先生はその反応に肩をすくめ、それ以上何も言うことはなかった。
内心問い詰められたらどうしようとびくびくしていた亀山くんは、拍子抜けする。と同時にやりきれなくなる。彼にしては珍しく、腹を立てる。
(皆あのカメのこと、本当にどうでもいいと思ってたんだ。いてもいなくてもどうでもいいって、その位にしか思ってなかったんだ……ひどいや。あのカメはあんな汚い水の中で文句も言わず、大人しくしていたっていうのにさ)
自分だけはこれからもカメの世話をしてやろうと、亀山くんは。固く心に誓う。
善は急げということでその日の放課後、早速ため池へ行く。いったん家に戻って、エサのソーセージとハム、チクワを拝借――自分用としては、キャラメルを5つ拝借――で、ポケットに詰め込む。
カメはため池の真ん中に突き出た枯れ木の上で、甲羅干しをしていた。
亀山くんはチクワを千切り水面に投げ、声をかける。
「おーい」
カメが亀山くんの方を見た。のそのそ水に入り、近くまで泳いでくる――途中で急に向きを変える。どうしたのかなと亀山くんは、カメの動きを目で追う。
後足をばねのように動かして泳いでいる蛙の姿が映った。
カメが弾丸のようにすばやく蛙に食いついた。左の前足を食った。右の後ろ足を食った。二本足になったカエルは、急に力が抜け、ふわあと水面に浮かび上がる。そこへまた食いつき、二口、三口で全部
亀山くんは心底どきっとした。改めてチクワ目掛け泳いできたカメに、後ずさりする。持ってきたキャラメルを全部口に放り込む。
とろけるような甘さが不安と不快感を紛らわし、心を落ち着けさせてくれた。
よし、大丈夫。僕は大丈夫。こんなことなんでもない。ただ少し驚いただけだ。カメが予想外のことをしたことに。
……不意に甘い香りが鼻をくすぐってきた。
お菓子の匂いだ、焼きたて、作りたての。
少し変だとは思ったけど、亀山くんは、すぐそれを忘れる。なにしろあまりいい匂いだったので。
ふらふら歩き出す。ため池の後ろにある竹やぶに入っていく。
その竹やぶは、ほんの少しの厚みしかない。入って一分もしないうち、公園近くの駐車場に出てしまうような代物だ。
でも今日は何故だか、行っても行っても竹の壁が続いている。
日はよく差しこみ、足元はふかふか。そよ風に揺れる葉の音は小波のようで、眠気を誘ってくる。
不意に視界が開けた。
亀山くんは今夢から醒めたように、はっと立ちすくみ、口をあんぐり開けた。
かわいらしいお菓子の家が、そこにあった。
クッキーのレンガ、チョコレートのドア、パンケーキの瓦。
ドアの上には大粒のグミで、こんな言葉が綴られていた。
『どなたさまでもご自由にお入りください。子供は特に大歓迎いたします』
亀山くんはおっかなびっくりドアを押し開き、中に入る。大きな溜息をつく。
家の内壁は生クリームとフルーツが何層にも挟み込まれたスポンジケーキ。
天上から垂れ下がるのは逆さになった山形ゼリー。ゼリーの内側には光が灯ってあたりを優しいピンク色に染めている。
プレッツェルの足に支えられたテーブルの上にかかるのは、クレープのテーブルクロス。その上に山盛りのシュークリーム。エクレア。タルト。パイ。
壁の隅にはクラッカーで出来た暖炉。火があかあかと燃えている。ロールケーキの薪が横にたくさん積んである。
一体これは何なのか。考えに考えた挙句亀山くんは、こんな結論に至る。
(……多分、きっと、ドッキリ番組だ。素人相手の奴。隠しカメラがどこかにあるんだ)
見られているとなるとちょっと恥ずかしかったが、早速シュークリームに手を伸ばす。これがドッキリ番組だとするなら、何もしないほうが失礼だと自分に言い聞かせて。
シュークリームは信じられないほどおいしかった。これまで食べてきたシュークリームの百倍、いや、千倍も。
そこでいきなり頭上から、鉄の檻が落ちてきた。
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