第6節 ―銀世界にさす、一筋の小さな“光”―(3)

(3)


「実はね。聖子が毎年、この清水家本部宛てに送っていた手紙があって」

 そういって礼治に見せてきたのは、4つ折りの紙が入れられた封筒が5枚。そのうちの1枚を取り出し、礼治に手渡してやったのであった。

 そこに書かれているのは、何かの会計の、表だろうか…?

 まだ7歳の礼治には、何が何だかさっぱり分からない手紙であった。寧ろ、それは「手紙」といっていいのか怪しい。すると、アカネが真剣な表情でこういう。

「その手紙はね。毎年、作成年月日だけ変えて、あとの中の数字は毎年、ほぼ一緒なの。一見すると、これは『財務諸表』といって、会社のお金がいくらあるのかを国に提出する会計の表になっているんだけど… これを見たリサチアがね。聖子がこうも毎年、同じものを送ってくるなんてどうもおかしいと思って、今年に入って一通り調べてくれてたのよ」

「え? そうなんですか?」

「えぇ。そうしたらね…」


 ――。

「アカネちゃん。やっぱりこれ、SOSだよネ? 前に、おとさんにも相談したケド」

「そうね。この番号の並び、どう見てもポケットベルの語呂合わせとしか思えないわ。しかも、毎年ほぼ同じ事が書かれている。おそらく、聖子は主人に内部の実態を暴露されないよう、王室関係者総出で監視されているのかもしれない」

「うそ… 一体、あのお城で何が起こってるノ? 子供たち、だいじょうぶカナ?」

「はてさて。2人とも、気持ちは分かるが、そんなに苦しい顔をするでない」

 それは、本部の組員らが就寝時間に入り、キサラギも礼治を寝室に連れていった夜。リサチアが、アカネと2人で「聖子からの手紙」を見返した時の事だ。

 そこに、同じく1人となった洋平が歩いてきたのだ。女性2人は息を呑んだ。

「例の件だろう? わしらがその暗号に気づいた事を、あの王室に悟られるわけにはいかん。だからわしの方から、何度もあの国王に電話で頼んだではないか。『娘と孫を、ここへ連れてきてほしい』とな。結局、きたのは礼治1人だけじゃが」

「「…」」――女性2人は言葉を詰まらせた。洋平はあくまで冷静に振る舞っている様に見えるが、内心は怒りを抑えているのだろう。声に、僅かな「震え」が生じている。

「まさか聖子に限って、あんな嘘をいうとは思えないが、証拠集めのため、子供の存在が必要になる。夕べ、子分どもに礼治との入浴を同行させたのも、体に痣がないかを見てもらうためだったのじゃが、それが1つもなかった辺り、あの王室はうまいこと隠蔽しておる」

「えぇ。でも、今の話が本当なら、礼治くん達を解放するのは難しいんじゃ…」

「子供の純粋な“証言”と、“涙”は、大人よりも強い信頼と効力を発揮するぞ。お前たち、あの食事をしている礼治の姿を見なかったのかね? 仮にも一国の王子という、何不自由ない生活を送っているはずの子供が、あんなしがねぇヤクザもんのメシを一口しただけで、嬉し涙を流したあの“姿”よ… 普通じゃねぇぞ。あれは」

 そう。洋平たちは既に気づいていたのだ。

 礼治が、あの王室でずっと不遇な環境に置かれているということを。それも、リサチアが、聖子の手紙に隠された「暗号」を解読したことを切欠に。

 するとリサチアが、怒りの表情をもって礼治の寝泊まっている寝室へ行こうとした。それを、アカネが肩をもって制止する。リサチアの表情から、悔しさに溢れた感情が読み取れた。

「私、礼治くんから証言を手にいれるヨ…! こんなの、見てみぬフリできるカ!」

「ダメよリサチア! あなたには、大事な娘がいるでしょう? それに、娘のアゲハだけじゃない。今、あなたのお腹の中には、2人目の赤ちゃんを授かっているじゃない。あなたの身に何かあっては危険だわ」

「でも…!」

「ここは私が行く。独り身だし、スチュワーデスのコネと経験があるから、万一身の危険を感じたらすぐ、内緒の便に乗って逃げる事ができるわ。兎に角、今はいつも通りでいて?」

 洋平とリサチアは、固く口を閉ざした。アカネの表情からは、凄腕スチュワーデスとしての「余裕の笑み」が見られる。相当な覚悟がなければ、見られない光景であった。

 ――。


「聖子から送られてきた、これらの手紙は、番号の語呂合わせで大体同じ内容のものが記されていたの。『至急、お父さんに会いたい。助けて。夫に、子供を殺されてしまう。電話では、とてもいえない。怖い』と。片言だけど何度も、自分と、子供達の解放を求めていた」

 アカネから聞かされたのは、礼治にとって衝撃的なものであった。

 礼治の瞳の瞳孔が、一気に開いた―――。今の話で、完全に目が覚めた。

 自分は、弟だけが贔屓にされているあの王室で、父親はおろか母親にも愛されていないのだと思っていた。でも、実際はそうではなく、母親も不遇な環境で暮らしていたのだ。夫に脅され、自由を奪われ、聖治だけを贔屓にするよう強制されて… と、今さら気づいた。

「聖子はきっと今も、あなた達子供の無事を。だから礼治くん。私達が、あなたに救いの手を差し伸べられるのは、今しかないの。本当の事を教えて? あのお城で一体、何が起こっているの? あなた、父親に酷い事をされていない? あと、弟の聖治くんも」

「いえ… あの… グスッ。聖治は、可愛がられて、ます… 俺だけが、その…」

「そう。つまり、あなただけがしいたげられているのね? どうして? 心当たりはある?」

 礼治は、肩を振るわせながら、嗚咽交じりにコクリと頷いた。

 自分が今日まで生きてきて、ずっとずっと願っていた事だ。

 ――あのお城から、逃げ出したい。

 その願いは、心の叫びは、アカネの心にも虚しく響いてきた。礼治は、勇気をもってアカネに告白した。今日まで、自分が受けてきた理不尽な“全て”を。


「あの国王は、そんな理由だけで――?」

 信じてもらえるか、不安だった。

 聖治に、魔法が使えること。そしてそのせいで、兄の自分は無能扱いされていること。

 アカネは、そのあまりに身勝手な理由で、ずさんな兄弟差別と聖子への経済制裁が行われている現状に失望したのであった。礼治はこの時既に、大きく肩を振るわせ泣いていた。

「お、俺… もう、あんな所に、いたくない…! お、弟と、一緒に、遊びたい… !ズッ お母さん…! ずっと、何も知らずに嫌ってばかりで… ごめんなさい…! うぅぅ」

「謝らないで、礼治くん。あなたは何も悪くないわ。聖子だって、そこはちゃんと理解してくれているはずよ。でも、つらかったわね… そうよね、今すぐ逃げたいわよね…?」

 礼治は、アカネに背中をさすられる形で大きく頷いた。アカネの胸中で、声にならない泣き叫びを上げる。アカネは、徐々に礼治の見えないところで、鬼の表情を浮かべていった。

「大丈夫。私はあなたを信じるわ。あんな、魔法やら特異体質やら、子供がそれを持って生まれただけでここまでされるなんて、そんなの分かりっこないじゃない…! 聖子が、あまりにも不憫すぎる。聖治くんにとっても、あんな所で暮らすのは教育上良くないわ。子供は、親の“飾り”なんかじゃないのよ… そんなあなた達を助けるために、今からでも段取りをする…! 羽柴英治、あのヤロウ… 大事な聖子たち親子に、なんて酷いことを!!」


 アカネが生まれ育った、ここ清水家本部も元を辿れば“裏稼業”。いうなれば、あまり公に自慢できるような家柄ではない。

 だけど、あの揃いも揃って魔法至上主義を貫く王室よりは、まだ子供を大切にできる自信があった。自分がその様に育てられてきたからこそ、アカネは英治国王のしてきた事が到底許せないのだ。礼治が暫くして落ち着くと、アカネは元の優しい顔になってこう告げた。


「礼治くん。あなたの証言をもって、お父さんたちと一緒に国に揺さぶりをかける事にするわ。国際警察と、知人の国会議員にも協力してもらって、あなた達を保護する。大丈夫、聖子と聖治くんに気害が及ぶような事だけは、絶対にしないから。だから、この事が全て上手くいき、私がOKを出すまで、今日の事は絶対に内緒よ。あのキサラギさんにも、いい?」

「ズッ… はい」

「いい子ね。私は今から、タイミングを見計らってお父さん達に言って、早くても朝から行動に移すわ。もう、我慢しなくていいからね? 私はこれでも、国内外を自由に行き来できるスチュワーデスなの。国際情勢にも精通している。怖いものなんて何もない!」

 そういって、胸を張るアカネの姿は、とても頼りがいのある“姉御”そのものであった。

 このお嬢に、真実を告げて、本当によかった。

 これでもう、自分はやっとあの地獄から抜け出せるのか―― 彼女たちを、信じよう。

 礼治は、そこまでの脱出をなんとしても全て成功させるため、今日ここで話した事は誰にも告げないと約束した。アカネと指切りげんまんをし、礼治は再び寝室で一人になる。


 それまでの間は、正直に言うと、とても怖かった。

 なぜならまた、自分がいる部屋に誰かが押し寄せ、内緒話や遊戯を行っている事に対し、叱られるんじゃないかという恐怖で、押しつぶされそうになっていたからだ。

 だけど、アカネが部屋を去るまで、その様なハプニングは一度も起こらなかった。

 礼治は、力なく膝を落とした。何も、悪い事が起こらずに済んだ。

 アカネが部屋を出た後も、掃き出し廊下かどこかで、妙なざわめきがあったり、誰かと口論になっているような声は、全く聞こえない。

 どうやら、上手くいっているのだろう――。礼治はそう思ったものの、室外の様子が気になったのもまた事実である。

 だけど、そうやって部屋から顔を覗かせるのだけは、今は絶対にダメだ。ここは我慢だ。

 ここは、大人しく眠っているていで、アカネからの返事を待とう。

 そう自分にいいきかせ、礼治は布団に籠ったのであった。朝になるまで。


 すると――。その“答え”は、あまりにも早くに訪れたのである。朝の、お座敷にて。


【第7節につづく】

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