第31話 乗っ取り
待ち合わせ場所であるビルの屋上に、ジャグラーが到着したのは日が完全に沈んで数時間後のことだった。
既にキャンサーの姿になっていたレントは、その姿を見てふっと眼を細める。
「成功したみたいだな」
『ええ、少し手こずったけどね』
図書館での狼狽ぶりが嘘のように、ブランカは肩をすくめた。
念のためにその胸に触れる。
草部仁の意識は微塵も感じられない。
体を乗っ取り、意識を凍結させることに成功したみたいだった。
草部仁は一種の仮死状態になり、ブランカが意識を解凍させなければ目を覚ますことはない。
既に死んだも同然だった。
「よくやった。さすがだな」
あれだけ人間に絆されていたから失敗するものと思っていたが、ブランカは無事キャンサーとしての使命を全うできたみたいだ。
愛する母を抹殺した男である以上、自分の手で痛めつけるのも悪くないと思っていたが、これはブランカの手柄だ。
横から掠め取るのは無粋というものだろう。
ブランカは既に吹っ切れたのか、特に落ち込んだ様子もない。
「改めて作戦を説明しよう。今回の標的は波沢渚沙が入院する病院。ACTの雑兵にもよく利用されているとのことだ」
『こっそり侵入して波沢渚沙だけ殺すってコト?』
「だけ、ではない。波沢渚沙を始末した後は、そこにいる人間全てを鏖殺する」
まるで雑草を引き抜くような口ぶりで、レントは言った。
『ふーん……けど、かなりの規模なんでしょ。あたし達二人じゃ限界があると思うんだけど』
「私達は人間に寄生して端末化することができるだろう? アレを使えば、私達以外にも戦力が増える」
『全てが終わったら、端末同士を殺し合わせて終わり、か』
「使い捨てるのは勿体ない。次に備えていくらかは温存させておけ」
母の復活意外にも、レントは人類を抹殺するという使命がある。
昨日の工場のことなど生温い。
ブランカのような強力極まりない姉妹を手に入れることができた今、この街の人類を殲滅させることも不可能ではない。
その第一歩として、まずは一番の障害になるRCユニット〈ブラストリア〉の装着者である波沢渚沙を始末する。
いくら人間としては強力な個体だったとしても、チルドレン二人がかりで襲われれば一溜まりもないだろう。
ほくそ笑みながら目的地に向かうべく踵を返したその時だった。
『あたしとしてはあの女とか人間共なんてどうでもいいんだけど――相棒が嫌がるのよね、ソレ』
「――!」
突如突き出された百連刃を、慌てて触手をクロスさせて防御する。
「何をする……!? 血迷ったかブランカ!」
『お生憎様。あたしは最初っから正気だっての――!』
吠えたブランカは、そのままがら空きのレントの腹に蹴りを叩き込む。
「がぁっ――」
その尋常では無い威力に、レントは容赦なく吹っ飛ばされる。
『ほら、時間よ。とっとと起きろ寝ぼすけ』
がくんとジャグラーは膝を付いた。
「ぶはっ……ハァ、ハァッ――その様子じゃ、上手くいったみたいだな」
荒い息を吐くいその声の主は、紛れもなく――
「草部、仁――!」
意識が凍結されたはずの人間だった。
『つーか、なんだってそんなに疲弊してんのよ』
「意識が覚醒する瞬間って結構キツいんだぞ。なんて言うか、水中に潜っている息苦しさが一気に襲ってくるみたいなさ」
当分ゴメンだとぼやきながら、ジャグラーは立ち上がった。
「辻褄が合わない……さっきまでおまえの意識は完全に凍結されていたはずだ。私が確かめたんだ。仕掛けを入れられるはずがない……!」
「仕掛けなんてしていない。僕はついさっきまで本当に眠ってただけだ」
レントの繰り出す触手を避けながら、ジャグラーは肉弾戦に持ち込んだ。
「まさかおまえは――合意の上で意識を凍結させられたと言うのか!?」
「中途半端に残すとまずいってだってブランカに言われたからな」
レントの拳を受けながらジャグラーは言った。
信じられなかった。
もしブランカが気まぐれを起こせば、仁は一生眠ったまま死を迎えることになる。
それを承知の上で、仁はブランカの作戦に乗った。
その事実を、レントは理解することが出来なかった。
人間とキャンサーがそれ程の信頼関係を築いているという前提など、彼女にはなかったのだ。
「分かっているのかブランカ。おまえがやっているのは母さんへの裏切りだぞ!」
『はっ、母さんとやらがどんだけご立派なもんだか知らないけどね。あたしはあたしだ。強くなるために――あんたも、そいつも喰ってやるわよ!』
右腕が巨大な口に変形し、片方の触手を食いちぎる。
「――っ」
捕食し、自身の力に変える。
どのチルドレンも持ち合わせていなかった、ブランカだけの力。
味方になれば頼もしいことこの上ないが――敵に回ると極めて厄介な力だ。
自分は勿論、母を喰らうことだって不可能ではないだろう。
「愚か者め――!」
既にブランカに迷いは無い。
元より母に対する忠誠心もなかった。
ただただ貪欲に力と勝利を求めている――怪物だ。
今倒さなければ、取り返しのないことになるのは明白だった。
ジャグラーの攻撃を受け止める度に、凄まじい衝撃が体を襲う。
今までの戦闘データから分析すれば、ジャグラーの基本スペックはレントと大差はないはずだ。
だが、目の前の敵の力は、自分よりも遙かに上のように感じる。
強くなっている。
だがその理由が分からない――
「これで終わりだ――!」
裂帛の声と共に、ジャグラーの腕がレントの胸を貫いた。
「あ――」
抵抗するよりも早く、コアが引き抜かれる。
心臓部を失ったレントの体は、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。
コアを掴みながらジャグラーは動かなくなった肉体を見下ろす。
『……おかしいと思わない?』
納得いかないとばかりにブランカが声を漏らす。
「と言うと?」
『あまりにもあっけなさ過ぎるってこと』
「そうかな。ちゃんとコアも引き抜いたし、他のキャンサーとの戦いもだいたいこんな感じで――」
瞬間、コアが爆散した。
至近距離で爆風を受けたジャグラーは五メートル吹き飛ばされ、地面に転がった。
仁の肉体にダメージはないが、義手の指は引きちぎれたり捻れたりと、無残な様相を呈している。
「ブランカ、無事か!?」
『当たり前でしょ。これくらいでくだばるかっての』
彼女のコアが無事であることにほっと胸をなで下ろす。
『やられた……文字通りダミーを掴まされたみたいね』
「ダミーのコアって、キャンサーにそんな器官はないはずだろ?」
『不本意だけど、レントもあたしと同じチルドレン。他のキャンサーにはない能力を持っていたとしてもおかしくないでしょ?』
「――その通り。まさかここまであっさり引っかかるとは滑稽だな」
胸をぽっかり開けたまま、レントはバネ仕掛けの玩具のように飛び起きた。
じゅくじゅくと組織が絡み合い、レントの傷が回復していく。
『草部仁によって粉砕された母さんの肉体……そこから産まれたキャンサーが私達チルドレンだ。私達はその体全てが本体。コアなんて、最初から存在していないんだよ』
『――!』
「嘘、だろ……」
チルドレンが持つ、他のキャンサーとは一線を画すアドバンテージ。
それは肉体を完全に消滅させなければ、倒すことは不可能であると言うことを意味している。
例え五体満足だろうとコアさえ破壊すれば勝ちという、従来のキャンサー退治のセオリーを打ち壊すものだった。
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