第25話 暴走
「――なんだ、これは」
目の前に広がる惨状を前に、渚沙は呆然と声を漏らした。
この光景を前にして表情一つ変えない人間はほぼいまい。
だが大半の人間は、この惨状から目を背けて逃亡する選択肢をとるが、渚沙は違った。
「結局、そうなのか……やはりそれが、おまえの本性か――!」
自分の手で、惨状を生み出した
「違う! 僕達じゃ――」
『言っても無駄よ』
「……どう言うことだ?」
『あの悪趣味な肉風船。あれをブチまければ、あたし達がやったって勘違しないほうがおかしいでしょ。まんまとはめられたってワケ』
「……!」
目くらましなどではなく、ジャグラーに血をかけることが本命だった。
武器である百連刃は、べっとりと血にまみれ、犯行の凶器に相応しい様相を呈していた。
こんな状況で無実を叫んだところで、信憑性もへったくれもない。
おまけに目の前にいるのは、この街で誰よりもキャンサーを憎む人間だ。
彼女にとってジャグラーは、ヒーローなんかではない。
ただの醜悪な、血にまみれた怪物に他ならない――
「あ――」
思わず、一歩後ずさる。
ブラストリアのアイレンズ越しに放たれる殺意に、完全に身がすくんでいた。
『ちょっと、何で戦わないのよ!?』
「だって、相手は――」
ナギなんだぞ、と言い終わる前に渚沙の蹴りがジャグラーの腹に叩き込まれた。
「がふっ――」
凄まじい衝撃に、意識が飛びそうになる。
それでも敵は止まらず、渚沙はジャグラーの首を掴むと、そのまま工場の出口に向かって投げ飛ばした。
扉の一部を歪めながらも、ジャグラーはアスファルトの上を転がった。
『どんなパワーしてんのよ、あいつ……!』
この凄まじいパワーは、二年前に装着していた量産型とは比べ物にならないものだった。
無論渚沙の冗談みたいな身体能力も大きく関係しているだろうが、やはりブラストリアのスペックだろう。
専用機はコストがかさんだり性能が尖り気味なところがあるが、装着者に完璧に適合するユニットを作ることが可能になる。
完全オーダーメイドのこの機体はACT隊員の華であり、専用機を持つことを夢見る隊員は多い。
勿論仁も専用機に憧れ、そのデザイン案をいくつもしたためていた――もっとも、その機会は奪われてしまったのだが。
工場から出て来た渚沙は、背中の鞘からブラストリア唯一の武器である剣、セクエンスを引き抜いた。
こんな事になるかもしれないことは、何となく分かっていた。
覚悟をしているつもりだった。
だがそれは結局、つもりに過ぎなかった。
幼いときから一緒だった少女と戦場で相まみえ、殺意と剣を向けられるのがこんなにも恐ろしいものだったなんて、思わなかった。
体がすくんで、何も出来ない。
『バイタル乱れてる』
そりゃ乱れもするだろ、と内心毒づいた瞬間、渚沙が動いた。
スラスターによって一気に肉薄するやいなや、セクエンスを横薙ぎに払う。
間一髪で跳躍して攻撃を避けると、ジャグラーの背後にあった郵便ポストが難なく切り飛ばされた。
RCユニットは状況に合わせて様々な武器を装備できるようになっているが、ブラストリアはそのメリットを捨て、武装はセクエンスのみというシンプルなものになっている。
それこそがこの機体のコンセプト。
(渚沙にとっての)無駄を排し、ただただキャンサーを切断することに特化したユニットこそが、ブラストリアなのだ。
『手加減抜きでやるわよ』
「でも――」
『このまま逃げられると思う? あいつから?』
「……っ」
仁とて理解している。
戦わなければ、逃げることは不可能であることくらい。
幼なじみの少女に刃を向けなければ、生存は絶望的であることくらい――
「セァ――!」
振り下ろされるセクエンスを、義手を盾に変形させて受け止める。
スラスターによる加速を乗せた斬撃。
それこそがブラストリアの真骨頂。
単純だが、分威力は折り紙付きだ。
「ぐっ――!」
義手がもぎ取られたのではないかというような錯覚を覚える。
セクエンスはジャグラーを断ち切るには至らなかったが、盾を半壊させていた。
急ごしらえの盾なのだから、むしろセクエンスを防いだことだけでも上出来と言うべきか――
だが渚沙は止まらずに、斬撃が不発と見るや、再び蹴りをジャグラーの鳩尾に叩き込んだ。
ジャグラーの体は10メートル程吹っ飛ばされ、止まっていたワンボックスカーに激突した。
「っつ……容赦ないな、本当に」
正体を明かせば攻撃を止めるかもしれない。
そんな甘い誘惑に惑わされそうになるが、首を振って振り払う。
そんなことになったら尚更面倒なことになるし、間違い無く渚沙もそれに巻き込まれることになる。
それだけは絶対に避けたいことだった。
「廃車確定だけど、保険が下りることを祈るか……!」
義手を変形させた触手を車に突っ込んで、渚沙に向かって投げつける。
「ぬるい――!」
渚沙は車体を一刀両断にした。
キャンサーの外骨格に比べれば、車はあまりにも柔らかすぎる。
これくらいの芸当はなんのことはない――が、真っ二つになった車の後方には何も存在していない。
切断した隙を狙って反撃してくるものと思ったが――
いぶかしんだ瞬間、渚沙の背後から、ジャグラーが蹴りを叩き込む。
車を投げた後、触手をあえて車側に固定することで、車と共に渚沙の移動する方法。
位置を間違えれば車ごと真っ二つになるという危険な賭けだったが、なんとか勝利することができた。
ブラストリアのボディがアスファルトと擦れ合い、激しい火花を散らす。
「くっ――」
スラスターを調整し、体の位置を正しいものに戻した。
通常のRCユニットの三倍の数のスラスターを詰んでいるブラストリアは、数こそ正義と言わんばかりの機動性を手に入れたが、スラスターの調整を少しでも間違えれば暴走して見当違いの方向へ吹っ飛んでしまう。
今でこそ慣れたが、使い始めたばかりの頃は基地の壁に突っ込むことは日常茶飯事だった。
「作戦自体はうまくいった……けど、ダメージは微妙な所だな」
騎士の鎧をイメージしたデザインをしているだけあって、ブラストリアの装甲にはほとんど傷が付いていない。
本来スピードに特化したRCユニットは、軽量化のためにアーマーの防御力が犠牲になりがちだ。
振り下ろされたセクエンスを、義手を百連刃に変形させて応戦する。。
昼間の街中に、キャンサー出現を知らせる警報と金属が激しく打つかり合う二重奏が響き渡る。
義手には神経が通っていないので、それ自体には具体的な痛みや感触を感じはしないものの、セクエンスと鎌が打つかり合う衝撃が、義手を通じて体に伝わってくる。
今はひとまず持ちこたえている。
だが、武器の質ではこちらが圧倒的に劣る。
刃こぼれを起こしてもすぐに修復出来るのが強みだが、それでは越えられない壁というものがある。
渚沙のセクエンスとジャグラーの百連刃では、練度に比較にならないくらい差がある。
セクエンスはブラストリアのために作られた剣であり、長い間渚沙と共にあるものだ。
武器の質も扱いも、渚沙に軍配が上がるのは当然の帰結である。
純粋なぶつかり合いでは、勝機は見えない。
ならば――
刃を分離し、鞭形態になった百連刃は、蛇のような不規則な軌道を描き、セクエンスの刀身に巻き付き拘束した。
セクエンスの自由を奪い、少しでも戦力を削ぐ。
それがジャグラーの作戦だった。
この後は百連刃を大量の針に変形させればかなりのダメージを――
「――」
だが、それでいいのか?
これが、自分が望んでいたことなのか?
答えは勿論否だ。
こんなこと、仁は望んでいない。
仁はヒーローになりたかった。
だが今はその理想からあまりにもかけ離れすぎている。
「あ――」
頭をよぎった迷いが、仁の体の動きを止めた。
『仁――!』
ブランカの声に我に返った時には、既に手遅れだった。
「小癪な真似を!」
渚沙が腕を振り払った瞬間、ジャグラーの体は一気に渚沙の方向へ引き寄せられた。
「なっ!?」
余りにも予想外のパワーに瞠目した瞬間、渚沙は百連刃が絡みついた状態のセクエンスを一閃させた。
横薙ぎに繰り出される斬撃が、ジャグラーの腹部のアーマーを切りつけた。
アーマーに阻まれことで、ダメージは最小限に抑えることができたが、それでも人間を斬るように設計されていないセクエンスの一撃を受けたダメージは大きかった。
その一撃で、百連刃は無残にも破壊された。
そこから先は、ほとんど防戦一方の戦いだった。
百連刃で攻撃を受け流そうとするもそれも構わず、セクエンスの一撃がジャグラーのアーマーに装甲を刻み、火花を散らしていく。
前のように肉体に達する事は無かったが、それでも身体にかかる負荷は尋常ではない。
何度も反撃に転じようとしても、その度に迷いが頭をよぎり、動くことが出来ない。
『何ぼーっとしてんのよ! 早く反撃して!』
ブランカの声にも、答えることが出来ない。
渚沙の繰り出す切り上げに吹き飛ばされ、ジャグラーの体は地面に転がった。
「どうした、そんなものか……!」
ブラストリアの手がジャグラーの首を掴んだ。
器官を圧迫され、肺に送られる空気が著しく減少する。
ブラストリアはジャグラーを地面に押し付けたまま、スラスターを点火させ滑空した。
「ぐ、あああああああああ!」
全身を鉋がけされたような痛みに、ジャグラーは絶叫を漏らす。
さらにブラストリアはジャグラーの体を高々と放り投げる。
ジャグラーの上昇が止まり、重力に逆らえずに落下するのを見計らい、自らも上昇していく。
すれ違う瞬間、スラスターの威力を乗せた渾身の一撃をジャグラーに叩き込んだ。
アーマーで抑えきれず、ついにセクエンスの刃が仁の肉体を抉った。
痛みではなく、ただ真っ赤になった鉄を押し付けられたような熱さが広がっていくのを感じた。
それすらも徐々に遠ざかっていく。
いやに必死そうなブランカの声も、アイレンズから見える景色すらも全て――
「ふん……」
渚沙はアスファルトに亀裂を入れながら倒れ伏すジャグラーを睥睨しながら鼻を鳴らした。
あるタイミングを切っ掛けに、ジャグラーの動きと殺意が鈍っていたことは渚沙は理解していた。
それを好機と考え徹底的に痛めつけた辺り、頭にかなり血が上っていたようだ。
ヒーローと標榜しておきながら、裏ではこのような殺人に手を染めていたことが許せなかったと言うのもある。
彼女の中で、ヒーローとは何よりも重い意味を持っている。
いつも隣にいてくれた少年が抱いていた夢。
それをジャグラーが嘲笑っているかのようで渚沙は怒り、失望した。
失望。
そう、渚沙はジャグラーに失望したのだ。
何故?
失望とはその対象に何かしらの期待を抱いていなければ発生のしようがない感情だ。
まさか自分が、キャンサーに何かを期待していたとでも言うのか――?
「……これ以上考えても無駄か」
何にせよ、まだジャグラーは死んでいない。
とどめを刺すべく地面に降下し、ジャグラーへと接近した瞬間、異様なまでに膨張した腕が、ブラストリアの体を打ち据えた。
「何!?」
セクエンスでそれを受け止めるが、その威力に一メートル程後退することを余儀なくされた。
膨張した腕の主――ジャグラーは幽鬼のように立ち上がる。
左腕もボコボコと筋肉が盛り上がるように隆起し、他の部位も同様に変化していく。
がぱりと開いたジャグラーの顎門にはナイフのような刃がずらりと並んでいる。
先程までのヒーローもどきの面影は、狼のような耳と丸いアイレンズくらいしか残っていない。
渚沙の前に立っているのは、紛れもなく化物だった。
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