第7話 情緒不安定

「ふざけんな……!」


 黛の体であることも忘れて、黛もどきの胸ぐらを掴んで本棚に叩き付けた。

 生き返るなんて期待していた訳じゃない――と言えば嘘になる。

 けれど、こんなのはあんまりだ。


「何勝手に使ってるんだよ……! その体は黛のものだ! おまえが勝手に使っていいものじゃない!」


「だから?」

「え……?」


 嘲りも哀れみの色もなく、黛もどきの瞳にあったのは純粋な疑問だった。


「この体は個体名〈黛流歌〉の肉体。それは事実だけど、もう生命活動は停止していたのよ? それをどう使おうがあたしの勝手じゃない。どうせあんたらはダラダラ燃やすだけなんだから、わたしの方が有効に使えてる。再利用リユースってヤツよ」


 その物言いに、頭の血が沸騰しそうになる。


「いい加減に――」


 しろ、と言い終わる前に、黛もどきの膝蹴りが僕のみぞおちに食い込んでいた。


「がっ」


 呼吸を忘れて、その場に蹲る。


「愚鈍なあんたに一つ言っとくけど、あたしが出ていったら本当に黛流歌は死ぬ――それをちゃんと理解してる?」

「え……?」


 痛みを忘れて顔を上げる。


「どう言うことだ、それ」

「言ったでしょ。黛流歌の生命活動は停止していた……けど、あたしがこいつの体に入ったことで肉体はこの通り蘇生したってワケ。こんな風にね」


 そう言うと、僕の左手をむんずと掴み、胸に押しつけた。

 むにっと柔らかい感触が布越しに手の平へ伝わっていく。


「うわぁっ!?」


 場違いにも程がある悲鳴をあげてしまったが、それも無理もないことだと理解して欲しい。

 クラスメイトのおっぱいを揉んでしまった。

 しかも友人のおっぱいを――!

 別に僕がそう言うものに興味がないわけではいけど、シチュエーションが色々間違ってるだろこれは――!


「急にでっかい声出すんじゃないわよ……ほら、ちゃんと心臓は動いてるでしょ?」

「え?」


 おっぱいの感触に気を取られていたが、確かに心臓の鼓動が聞こえる。

 暖かい、命の鼓動。


「黛流歌の精神は今の所休止中ってトコね。消えてはいないけど、一回死んだようなもんだし回復にはかなりの時間がかかるから――」

「……ごめん」


 気付けば、そんなことを口にしていた。


「なんで謝ってんのよ」


 黛もどきは本当に訳が分からないと首を傾げている。


「勝手に早とちりして、ひどいこと言った。だから、ごめん」


 物言いは結構アレだが、彼女は黛を生き返らせてくれた。

 彼女の動機や価値観がどうだろうが、その事実に変わりはない。

 何も出来なかった僕が、みっともなくぎゃあぎゃあ騒ぐ義理なんてなかった。

 恥知らずもいいところだった。


「勘違いしないで。あくまでこれはギブアンドテイク。あんたが温情を感じる義理なんてどこにもない」


 たまたま利用できるものがあったから利用しただけ。

 謙遜しているのではなく、彼女は本気でそう思っている。


「……変なヤツ。急に怒ったり笑ったり、情緒ぶっ壊れてるんじゃないの?」

「どうだろう。多分そうかも知れない」


 友人が殺されて、乗っ取られたと思ったら、生き返らせてくれたのだ。

 そんなジェットコースターみたいな経験したら誰だってそうなる気がする。

 それはそれとして――


「――そろそろ、手を離してくれないか?」


 おっぱい鷲づかみのままで真面目な会話とか、色々耐えられない。




「ふうん、ここがあんたの部屋?」


 黛もどき――ブランカと名乗った少女は僕の部屋を見回した。

 状況が状況なので場所を変えることになり、一人暮らしである僕のアパートに白羽の矢が立った。


 幸いにも旧校舎での騒ぎが外に聞こえていたことはなかったみたいなので、黙っていればバレないだろう。

 何気に渚沙以外の女子が部屋に上がる事なんて僕史上初めてのことなのだが――その女子の正体が正体なので、うれし恥ずかしキャッキャウフフな空気とはいかない。


 なんて思っていると。ブランカは僕のベッドにどすんと腰を下ろした。


「……」


 色々言いたいことはあるけど、ひとまずコップに水道水を注いで一息に飲んだ。

 かすかに塩素の匂いがする水はお世辞にも美味しいものではないけど、とりあえず気持ちは落ち着いた。


「まず最初に確認したいんだけど、結局おまえは何者なんだ?」


 椅子に座りながら問う。


「何、もしかして知らないでその腕使ってたの?」

「まあ、うん」


 何せ今日に至るまでちょっと高性能な義手程度にしか思って無かったわけで。

 あまりにも冗談みたいな機能が搭載されているとは夢にも思わなかったけど――


「――〈ビスクドール〉」

「え?」


 ブランカの口から出て来た言葉に、ぱちぱちと目を瞬かせることしかできなかった。


「だから、ビスクドールって言ってんの。あんたらが勝手に名付けた……コードネームって言うんでしょ」

「いや、でも、その名前は……」


 少し不満げなブランカに、僕は浜辺に打ち上げられた魚のように口をぱくぱくさせるしかできなかった。

 だって彼女の言っていることが本当ならば、目の前にいる少女はキャンサーで、僕の右腕を奪った張本人に他ならないのだから。

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