第4話 出会い

「っく……!!」


 緑鬼ハイ・ゴブリンの鋭爪が僕のシャツ一枚を掠め取るように傷をつける。僅かに滲んだ血が白いワイシャツを僅かに染めた。

 やはりこれまでの小鬼ゴブリンとはわけが違う。

 単純な動きが少なくなって動きが読みづらいし、少しフェイントも混ぜた動きをしてくる。

 戦闘経験は明らかに相手の方が上、能力なら僕の方が上のはずなのに闘いが始まって以来押されっぱなしだ。


 これまでの小鬼ゴブリンとの闘いは初めての戦闘以降は生死を賭ける本物の闘いとは非なるものだった。

 これこそが本当の闘い。集中しなければやられるのは僕の方だ。

 一層相手を注視し、意図的に集中力をあげた瞬間、不思議な感覚に陥った。


 なんだ?


 急激に自分の心が冷静に、落ち着き払っていくのが分かった。同時に思考がクリアになり、普段見えないような視界に入る全てのものの細部にまで意識が向く。


 緑鬼ハイ・ゴブリンが腕を振りかぶるのが見えた。だが同時に、僕の目は緑鬼ハイ・ゴブリンの脚の筋肉に力が入っていることも捉えていた。

 それに加えて緑鬼ハイ・ゴブリンのこれまでの闘い方。それを加味すると――。


 僕は背後にステップを踏み、回避するように見せかけて一気に緑鬼ハイ・ゴブリンの方に向かって加速した。

 突然目の前に現れた僕に驚いたのか緑鬼ハイ・ゴブリンは一瞬の隙を見せる。それがコンマ一秒が生死を別つ。


「キッ――」


 奴が自らの失態に気づくよりも速く、僕は小鬼ゴブリンから奪い取っていた棍棒で緑鬼ハイ・ゴブリンの頭を砕いた。


『ヒドゥンストーリー “悪鬼の群れ”

 目標:クリア

 報酬:コイン1000 ランダムなD~F級アイテム』


『それではアイテムの抽選を行います……抽選の結果、D級アイテム“魔法の黒コート”を獲得しました』


「今のは……」


 今の感覚が僕の特性“読者”と“褪せた世界”の効果か。これはかなりありがたい。

 いくら僕が小説の知識を持っているとしてもあくまで僕はついさっきまではどこにでもいる男子高校生、戦闘経験なんてあるわけもない。この特性の効果はそんな僕にとってかなり頼りになるものだ。


「それはさておき……D級のアイテムが出るとはラッキーだな」


 ウィンドウを開き、装備覧から“魔法の黒コート”を装備する。どうやら体力ステータスに3Lv分の加算がされるのと魔法に少しの耐性を持っているらしい。

 現時点でD級のアイテムが手に入る機会はかなり限られてくるので幸運だった。


『“姿形見えぬ無名なる混沌”がボスモンスターを撃破したことに貴方に対して笑みを浮かべています。500コインをドネートしました』


『“獄炎を支配する狂帝”が戦闘の途中で突然動きの変わったあなたに興味を抱いています。500コインをドネートしました』


 ボスモンスターを倒したのでヒドゥンストーリー用の空間が崩壊し始めた。

 僕が入ってきた時と同様に壁をすり抜けて再び路地裏へと出た瞬間、何かが僕の胸に勢いよくぶつかった。


「うおっ!?」

「きゃっ!」


 突然のことに驚きながらも即座に距離を取り、辺りを警戒する。

 眼前には尻餅をついた女子生徒とその奥には三人の男の姿が映る。どうやら僕がコンクリートの壁をすり抜けて出てきたと同時に彼女とぶつかってしまったようだ。


「大丈夫ですか?」

「あ、はい……」


 アスファルトの上にこけている彼女に手を差し伸ばしながら、この女子生徒のことを注視していると突然ウィンドウが現れた。


『名前:塩野夕花

 年齢:17

 称号:なし


 守護神:【知恵と戦略を司る聖盾の守護者】【蛇杖の医神の娘】


 神授:【暖かな神の恵み】


 特性:【お人好し】《一般》【統率者】《希少》【寵愛を受けし者】《伝説》


 スキル:【リーダーLv2】【近接格闘Lv1】


 ステータス:【体力Lv3】【筋力Lv3】【敏捷Lv5】【魔力Lv10】


 初心者パック・成長パック1適用中』


 何だこれ? 相手のステータスウィンドウが表示されている?

 こんなスキルに身に覚えはないがこの情報を信じるなら僕の想像通りだ。

 彼女は“汝、世界を救うならば”に登場するこの作品のヒロイン、主人公の隣で多くの人を助け“神々の愛娘”“守護女神”“癒しの聖女”と呼ばれ、幾度となく主人公を隣で支えてきた存在だ。


「塩野夕花……」

「え? どうして君が私の名前を知ってるの?」


 やば、思わず口に出てしまったみたいだ。

 彼女を引っ張り起こすと丁度三人の男が話しかけてきた。


「おいおい、お前突然どっから現れたんだよ?」

「何かのスキルじゃないのか? まあそんなことはどうでもいいんだよ。お前、その女をこっちに引き渡せ。そしたら痛い目見ないで済むからよ」


 太陽光の差し込みにくい路地裏、男達の表情はよく見えないがどうせ下卑た笑みを浮かべているに違いない。


「ひっ……」


 こちらに近づいてくる男達に対し、彼女は短い悲鳴を漏らし、僕の手を握る強さが強まった。

 僕は塩野にだけ聞こえる声量でこっそりと話しかけた。


「一つ質問したいんだけど、メインストーリー#1をクリアしてからあいつら以外に僕らと同い年くらいの男子生徒と話したりした?」

「い、いえ……話したのはメインストーリー#1をクリアして近くにいた人達数人とだけです。そんなことより、早く私をあいつらに差し出してください。そうすればきっと貴方には酷いことしないはずです」


 そう言った塩野の脚は震えていた。

 一番怖いのは自分だろうにこんな状況で僕の身の安全を心配するなんてどれだけお人好しなのやら。


 ここで彼女をあいつらに差し出すのは確かに一番簡単な手段だ。ただ、本来の物語ではここで主人公が塩野と共にヒドゥンストーリーの中に入ることで二人は逃げ切るのだが、生憎そのヒドゥンストーリーは僕が今さっきクリアしてしまった。


 彼女の存在は今後のメインストーリーの攻略でとても役立つし、主人公が塩野のことを放っておくとも思えない。世界が変わってから一切主人公の影が見えないのが気がかりだが、今はそんなことを気にしている場合じゃない。

 僕がとるべき答えは決まっている。

 塩野に対して伸ばされた男の手を払いのけた。


「あ?」

「おいおい、ヒーロー気取りか? 可愛い女の子の前だからって格好つけたくなるのは分かるけどよ、状況を考えようぜ」

「別にヒーロー気取りでもなんでもねえよ、ただお前らが目障りだから相手してやろうと思っただけだ」

「このクソガキが……!」


 僕の言葉にすぐに怒りを露わにした一番手前にいた男が僕に向かって殴りかかってくる。だが、振るう拳の速さがあまりにも遅すぎる。


「なに!?」


 男の拳を避け、こちらへと突っ込んでくる勢いを利用して男の腕を引きながらその驚いた顔を軽く殴った。


「おい!? お前よくもやりやがったな!!」


 顔面を殴られその場に倒れた男の様子に驚きながらも残りの二人が僕のことを包囲するように取り囲んだ。


「確かに少しは腕に自信があるみたいだが、二人同時なら防ぎようがないだろ!」


 男達はどこからともなくナイフを取り出すと、同時に僕目掛けて接近し、ナイフを突き出した。

 僕は近づくナイフを順に叩き落とすと、呆気に取られている男達の鳩尾みぞおちに軽く拳をお見舞いした。


「がっ……!?」

「うっ……」


 見事にヒットした男達は先の男同様その場に倒れ伏すと苦悶の声を漏らしながらうずくまった。

 僕が男達と戦う様子をすぐ後ろから見ていた塩野の方を振り向くと、鳩が豆鉄砲を食ったようんい口をぽかんと開けていた。


「これでひとまず大丈夫だと思いますよ、それじゃあ」

「あ、ま、待ってください!」


 その場を去ろうとすると塩野に呼び止められる。


「その、助けてくれてありがとうございました! 良ければ私が元いたメインストーリーをクリアした方々の所へ一緒に行きませんか? 皆で協力した方が絶対にいいと思います」


 彼女は本心からそう思っているんだろうな。

 ただ、誰もがそんな風に思える訳じゃない。ついさっきのメインストーリーで殺し合いをさせられ、生き残った殺人者同士気を許して助け合いましょうなんていうのはあまりにも酷な話だ。

 本来なら塩野の近くにいた人々もそう思っただろう。ただ、彼女の存在がその考えを改めさせたに違いない。


 小説でも彼女は自分のことよりも他人のことを。そして人を助けるためならばどんなことでも出来る限りやろうとしていた。そんな彼女にだからこそ付いていこう、信じようと人々は思うんだろう。

 だけど僕はそういうわけにもいかない。


「すいません、僕には他にやることがあるので」

「そうですか……。いえ、助けて頂いた上にこのようなお願いをしてしまってすいません。お名前をうかがってもよろしいですか?」

「僕は……読売彰です」

「彰君ですか、私は塩野夕花です。気になっていたんですけど、さっき彰君、私の名前を知ってましたよね?」


 やばい、そうだった。


「い、いや何のことか」

「気になるので少し歩きながら話しましょう」


 にっこりと笑みを浮かべる塩野の申し出を断るのは何だか気が引けて言われるがまま僕は彼女についてしまった。


「――へぇ~そうだったんですか!」


 何とか別の話題に気を逸らすことに成功し、僕は難を逃れたが彼女は一体どこに向かって歩いているのか。


「塩野さん、これ一体どこに向かって歩いてるんですか?」

「あ、一応私の知り合いがいる場所です。さっきの人達に追われて突然出てきてしまったので、皆心配していると思って」

「なるほど」


 すると遠くからこちらに近づいてくる人影が幾つか見えた。少し警戒したが、どうやら警戒の必要はないらしい。

 塩野さんは近づいてくる人影に向かって走り出した。


「夕花ちゃんっ!!」

「夕花! 無事でよかった……」


 塩野さんと向こうから近づいてきた二人は抱き合った。

 彼女らのことも知ってる。彼女らも小説に出てきた。

 塩野夕花の友達の高橋麻美と小松愛だな。


「麻美ちゃん、愛ちゃん心配かけてごめんね」

「ううん……! 大丈夫だよ、夕花ちゃんが無事に帰ってきてくれたから!」

「ほんとに心配したよ。でも、うん……無事でよかった」


 抱擁をとくと二人の視線は塩野さんからこちらへと向かった。


「あの男の子は?」

「それも気になるけどあの男達はどうしたの?」

「あ、彼は彰君と言って、私をあの三人の男の人達から助けてくれたの」


 僕は少し離れた位置にいる彼女達に会釈をする。


「そうだったの……。私からもお礼を言わせて、夕花を助けてくれてありがとう彰君」

「いえ、たまたま通りかかっただけですから。それじゃあ今度こそ僕はこれで」

「あ……彰君!」

「……?」


 丁度背を向けた時に塩野さんに呼び止められたので振り向く。


「その、次のサブストーリーの目標って誰か信頼できる仲間を一人以上見つけろというものだったじゃないですか。もし、彰君が良ければ私達とどうでしょうか……?」

「……」


 悪い話ではない。実際主人公はここで彼女らと仲間になるという選択肢を取った。

 彼女達はこの変わりきってしまった世界の中でもまだ失ってはならない倫理観や理性を持っている。今後の展開も知っている僕からしても信頼できる相手だ。


「……すいません、申し訳ないですがそのお誘いはお断りさせていただきます」

「あの! もし私や愛ちゃんのことが会ったばっかりで信用ならないっていうのが理由なら夕花ちゃんとだけでもどうかな?」

「いえ、そういう理由でお誘いを断ってるわけじゃありませんよ」


 彼女らとここで仲間になるのも悪くない。悪くはないのだが、今はそれ以上にやりたいことがあるのだ。そのためにはどうしても仲間を作るわけにはいかない。


「分かりました……。彰君がそう言うんでしたら仕方ありませんよね、何度も無理に誘ってしまってすいません」

「こちらこそ塩野さんが好意で誘ってくれてるのに何度も断ってしまって申し訳ないです」


 塩野さんは手を僕の前に出し、優しげな微笑を浮かべた。


「気が変わったらいつでも来てくださいね、私達はこのビルを拠点にしてるので」

「はい、ありがとうございます。それじゃあまた」


 差し伸べられた手を握り返すと今度こそ踵を返し、僕は目標の場所へと歩みを進めた。


 ♢


「それにしても夕花大丈夫なの?」

「え?」

「いや、メインストーリー#1でのアレがあってから拠点にいる人でも男の人とは話すことすら辛そうだったから」

「そういえば……」


 男の人が近くにいるだけでも苦痛に感じてたのに、彰君といるときは全然感じなかった。むしろ、もっと一緒に話してみたいと思った。


「も~愛ちゃんは鈍いなー、夕花ちゃんにとって彰君は特別ってことでしょ?」

「へっ!?」

「なるほど、そういうこと」

「ち、違うよ!! 彰君とは別にそういうんじゃないから!」


 にやにやと揶揄う二人に反論するが全然聞き入れてもらうことは出来なかった。

 彰君、きっとまたすぐに会えますよね。

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