第10話 敗北

 美しく輝く、白金色の世界。濃密なマナで包まれたドーム状の空間に動く影は2つ。優と、クレアだ。

 宙にひらめく、白金色の美しい一閃いっせん。それを器用にかわす、黒髪の少年。クレアと優の戦いは、クレアが攻め、優がひたすらに隙を伺う展開になっていた。


 ――早く決着をつけなければ。


 クレアは焦燥しょうそうのままに、旗地はたじが畳まれて槍となった旗を振るう。早くしなければ、特警が駆けつけてくる。そうなれば自分は詰み。日本の法で裁かれて、牢屋へと叩き込まれることになる。憎き魔獣を狩ることも出来ず、巡り巡って孤児院に魔獣の被害が及ぶ可能性が高まってしまう。


 ――まさかカミシロ様が、向かってこないとは……。


 クレアは、距離を取って回避に専念する優の姿勢に小さく唇を噛みしめる。クレアからすれば、優の勝利条件は“特警が来るまでの時間稼ぎ”となる。クレアを先に進ませないこと。それが、犯罪者わるものを許さない神代優と言う人間の思考なのだと。そう思っているクレアとしては、優の行動は至極当然の物だった。

 それゆえに、攻めの姿勢を取らざるを得ない。もし相手が魔獣や魔人であれば、向こうから勝手にやって来るため、旗で叩き潰すだけでよい。実際これまでも、クレアが経験したのは迎撃戦の方がはるかに多かった。


「ふっ、やぁっ!」


 〈領域〉を維持する繊細なマナの操作と、無色のマナである優の動きへの注意と対処。全力で振るえば魔獣の強靭な肉体さえ破壊してしまう旗の威力の加減。そして、慣れない追撃戦。どうしてもクレアの攻撃は、繊細さを欠いてしまう。しかし、さすがに数百と言う魔獣を狩って来た経験がクレアにはある。優に十分な反撃の隙は与えず、ただひたすらに攻めの一手を打ち続けていた。

 対する優も、焦っていた。


 ――クレアさん、俺を殺す気か?!


 触れるだけで骨を折るほどの威力がある武器を、かなりの勢いで振るっているクレア。実際、うっかり旗が触れてしまった車はボンネットが大破している。先ほど見せた地面の陥没と言い、あの赤猿にも匹敵しそうな強力な力だ。もし自分があの旗に触れてしまえばどうなるかなど、優は考えたくもなかった。

 それでも、クレアが一国を担う存在であることを優は知っている。もし追い詰められたクレアが人を殺してでも先に進もうとしていても、優としてはなんら不思議ではない。


「くぅっ……」


 体勢を崩した優の背中に、直上から振り下ろされる白金色の旗。焦る優は横っ飛びをして全力で旗をかわす。直後、駐車場のアスファルトには2つ目の大穴が開いた。


 ――明らかに、力を持て余してるな……。


 魔獣相手になら、それで良かったかだろう。しかし、人間を相手にした時、権能の力はあまりにも強大過ぎる。さらに言えば人間には……17歳の少女でしかないクレアには過ぎた力だと、優は思っていた。

 いずれにしても、優はクレアに近づけない。〈領域〉のせいで武器を創り出せず、使用できるのは〈身体強化〉のみ。そんな状態でクレアの懐に飛び込んで旗がかすりでもすれば、身体の一部が根こそぎ持っていかれる。それはほとんど死と同義だ。


 ――だが、攻めの姿勢を見せなければクレアさんに余裕が生まれることになる……。


 そうなれば、クレアにノアの動きを悟られてしまう。そのため優は、丁寧に隙をついてクレアへと接近しつつ、旗が振るわれれば回避という作業を繰り返さなければならない。もちろん、旗に触れれば身体の一部が持っていかれる。集中力を欠かすことのできない命懸けの囮作戦と言えた。


「……仕方ありません」


 れたのは、クレアの方だった。改編の日の真実を知ってもらった優を生かすことを最低条件として、大ケガを受容することとする。狙うのは、足。優の右足を砕いて無力化する方向へと戦略を移行する。

 優に突貫して、彼が回避したその先に、白金色の壁を〈創造〉した。


「――っ?!」


 突如として現れた白金色の壁に優がぶつかり、動きが阻害される。それでもなお優が冷静さを保っていられたのは、〈領域〉を使用された時点である程度こうなることが分かっていたからだ。だからこそ、続いて足を目がけて振るわれたクレアの旗をその場で上に跳んで回避することが出来た。

 しかし、遠慮を捨てたクレアの更なる追い打ちが優を襲う。跳んで空中に居る優の頭上に〈魔弾〉が創られ、優の肩口を目がけて発射される。緊急事態に、いつもの癖ですぐさま肩口に盾を〈創造〉しようとした優だが、ここはクレアの〈領域〉の中だ。マナの凝集を阻害されて優の〈創造〉は失敗。クレアの〈魔弾〉が優の左肩を捉える。


「くっ……?!」


 爆発の衝撃で鎖骨などの骨が折れることは無かったが、優の身体は下方向――地面へと叩きつけられる。クレアによる波状攻撃によって地面にうつぶせに倒れる優の右足に、クレアが無表情のままそっと旗を触れさせた。


「――――っ!!!」


 右足に走った重い衝撃に、優が苦悶くもんの息を漏らす。が、痙攣けいれんしたとはいえ足は無事だ。痛みをこらえて横に転がり、すぐさまクレアから距離を取った。


 ――まだ動けるのですか?!


 先ほどの特警と言い、日本人の身体は強靭なのかと驚愕しつつ、それでもクレアは追撃の手を緩めない。再び優に駆け寄ると、先ほどよりも勢いをつけて旗を振るう。当然、優も避けようとするが、足の筋組織は間違いなくダメージを受けていた。力が入らず、思うように足が動かない。そうして動きが鈍った優はクレアの攻撃を回避し切れない。振るわれた旗の尖った先端が優の足の肉をえぐると同時に、その奥にあった骨を今度こそ砕いて見せる。


「ぁぐっ……っ!」


 優が叫ばなかったのは、せめてもの意地だった。痛みで肺から漏れ出す息をどうにかコントロールして、声にはしない。が、右足を中心として股下に広がる血の感覚と足先の感覚の喪失。優は戦闘が始まって5分も経たない内に、自身の戦闘不能を悟ることになった。




「これでお終い、ですね。カミシロ様?」


 白金色に包まれていた世界が、色を取り戻す。〈領域〉の魔法と〈希望〉の権能を解除しながら、クレアはそっと息を吐いた。特警が来るまで時間がない。はやる気持ちを冷たい風でなだめつつ、S文書の入ったジュラルミンケースを取りに向かおうとする。

 そんなクレアの視界の端には、苦しそうな息を吐く優が居る。


「ふぅっ、ふぅっ……。ぐっ……」

「……。……。はぁ……」


 こんなことをしている場合ではない。そう頭では理解しつつも、クレアは上着の中に着ていた服を脱いで肌着姿となった。そして、何事かと目をく優の右足の側に膝をつくと、出血する患部を脱いだばかりの服を使って止血し始める。


「きちんとが当たるようにしていましたのに。避けるからです」

「いや、さすがに攻撃されれば誰でも本能で避けますって……」


 感情を見せない顔で傷の手当てを行なうクレアの顔だけを見上げて、優も軽口を返す。そのまましばらく続いた無言。静けさが、特警がまだ来ていないことを示している。


「勝ったのに、嬉しそうじゃ、ないんですね?」


 痛みで息も絶え絶えに尋ねる優を、ちらりと横目で見たクレア。手当の傍ら、何気なく会話に応じる。


「まぁ、そうですね。これでワタシは犯罪者。クーリアのため、人々のために。後悔はありませんが、心残りだってあるのです」

「心残り、ですか……?」


 自他問わず傷だらけの戦場をくぐり抜けてきたクレアとしては、応急手当てなどお手の物だ。瞬く間に優の傷の手当てを終えて立ち上がる。


「孤児院に居る家族に会えないこと。誰よりも自分が守りたい人たちにもう二度と会えないこと。それが、ワタシの心残りです」


 言いながら、クレアはS文書が入ったジュラルミンケースを車の下から探し出し、手に取る。後はここ――第2駐車場――を抜けた先にある、第1駐車場で待っている最後の護衛と合流して、空港へ向かうだけだ。

 出血がひどくなるため、起き上がることが出来ない優。寝ころんだまま首だけを上げて、立ち去ろうとするクレアに尋ねる。会話に応じる必要も無かったのに、嬉しくない理由と心残りについて教えてくれたクレア。彼女の行動の理由を、優は知りたかった。


「……どうしてそれを俺に?」

「ワタシの留学はここまでです。……真っ当な人生というものも。ですが、貴方は違います、カミシロ様」


 祖国に文書を持ち帰るクレアとは違って、それ以外の面々の留学はこの先も続く。


「どうか彼らと……ノアと。仲良くしてあげて下さ……ノアはどこに行ったのですか?」


 この時になってようやく。クレアは自分の意識から完全に義弟おとうとの存在が消え去っていることに気が付いたのだった。

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