第7話 改編の日の真実

 三校祭の喧騒けんそうは一転。テロによって、学校全体が息を飲んだかのように静まり返っている。冬の足音が近づく乾いた風が、優とノア、そしてクレアの髪を揺らしていた。

 3人が今居る場所は、第三校の北西。中央やや西よりにある教務棟と最北にある体育館の間にある、第2駐車場だ。少し雲が出て来たとは言え、天気は快晴。時刻も午後2時前ということで、涼やかな風で冷える3人の身体を暖かな日差しが温めてくれていた。


『全く、手のかかる義弟おとうとですね……』


 逃げきれないと悟ったクレアが、資料の入ったジュラルミンケースを地面に置き、足を止める。フランス語で呟かれた彼女の言葉の意味が分かるのは、ノアだけだ。


「クレア。計画は失敗だ」

「……そうでしょうか? あなた達を排除して、この先で待っているドミニクのもとへとたどり着ければ、ワタシの任務は完了です」


 優が居る手前、日本語で話した方が良いと判断したノア。彼の日本語につられる形で、クレアも日本語で返答する。


「良いのか? 神代は日本人だ。もし怪我でもさせれば、国際問題だぞ」


 先ほど、護衛のアリエルが見せた優を庇う動き。優が日本人であるということが、最大の武器になるとノアは踏んでいた。しかし、


「ふふっ、ノアったら馬鹿ですね?」


 上品さをにじませる笑い方で笑って、クレアはノアの脅しを受け流す。


「なっ?! ボクのどこが馬鹿だって言うんだ?!」

「それはアリエル達に限った話です。ワタシとカミシロ様の間柄は学友。それにここは兵士を育成する学校です。多少の怪我やめ事も、ケンカで済むでしょう」


 もしくは、と。クレアは自身が教材として使っていた日本の古い漫画を思い出しながら、適切と思われる単語を口にする。


「もしくは、若気わかげの至り。青春というのですよね、カミシロ様?」


 初対面でのやり取りで優がサブカルチャーに造詣があることを知っているクレアは、そこで初めて優に目を向けた。


「まさかノアがワタシ以外の人を頼るなんて。義姉あねとして、まずは感謝しなくてはなりませんね、カミシロ様」


 日本の方式にならってぺこりと、優雅にお辞儀をしてみせるクレア。対する優も、


「こちらこそ、と言うべきですよね。クレアさんがノアに協力するよう言ってくれた。だから、大規模討伐任務も上手く行きました」


 と、ノアが協力的な姿勢を見せるきっかけを作ってくれたクレアに感謝の言葉を口にした。


 ――……ふむ。


 クレアは光の加減で緑色にも見える瞳で、落ち着いた様子の優を見つめる。天とシアから優については嫌というほど聞かされたクレア。優が正義の味方ヒーローに憧れていることを知っている。そして、今のクレアは機密文書を盗み出した犯罪者。先ほど会った特警の言葉を借りれば“悪者わるもの”だ。神代優という少年が聞いていた通りの人間であれば、今の自分は彼にとって“敵”。だというのに、きちんと最低限の筋を通してくる。


 ――感情と論理を分けて考えることのできる人物、なのですね。


 小さな頃から大人に混じって来たがゆえに身についた人間観察の癖を、優に対しても発揮するクレア。


「ノア。いい友人を持ったようですね? これなら最悪、ワタシが居なくなっても大丈夫――」

やめろArrête!』


 笑顔を絶やすこと無く話し続けていたクレアの表情が、フランス語によって発されたノアの鋭い声によって驚愕に変わる。そうして生まれた沈黙に、ノアは自身の想いを言葉にして落とす。


「これから居なくなるような言い方をしないでくれ、クレア。今ならまだ引き返せる。その文書を返せば、それこそ若気の至りで済むはずだ」


 だから諦めて投降して欲しい。そう告げたノアに、クレアはゆっくりと首を振る。


「それは出来ません。あなたがそちら側に居て、ワタシがこちら側に居る。それが、答えでしょう」


 互いに異なる信念を持つからこそ、こうして向かい合っているのではないか。クレアの言葉に、ノアはこぶしを握って奥歯を噛みしめることしか出来ない。どうして最愛の義姉あねと刃を交えなければならないのか。どうして義姉が自分のためではなく、国のために手を汚さなければならないのか。ノアとクレアの間でこれまで幾度となく繰り返されてきた口論は、常に平行線だった。

 やるせなさに、駐車場の黒いアスファルトを睨みつけるノア。しかしそれも一瞬で。


「そうか。なら、ボクが……ボク達が、クレアを止める」


 誓いの意味も込めた指輪のデザインが施されたサックスブルーの西洋剣を、クレアに向ける。三校祭前の、あの夜。もう既に、ノアはクレアと刃を交える覚悟を決めている。何を言っても変わらない、分からず屋の義姉は、こうして実力行使でしか止めることが出来ないのだと。他でもない義弟であるノア自身が知っていた。


「構えろ、クレア。特警が来るよりも先に、一瞬で片を付けてやる」


 そうして自分に向けられる刃にクレアは緑色の瞳を見開き、その後、笑みを浮かべる。


「残念です。これで、お別れなのですね、ノア」


 顔を伏せ、小さく呟いたクレアの笑顔には、心からの諦念がにじんでいた。


「クレアさん」


 そんなクレアを呼ぶ声がある。優だ。彼の黒い瞳は、クレアの右手に握られている資料、S文書へと向いていた。


「あなたの手にあるその紙束は、ノアとのきずなを捨てるほど重要なものなんですか?」


 優は、S文書の内容を知らない。さらに言えば、クレアが神格化計画を実行中であるということも知らない。言ってしまえば、部外者だ。

 しかし、だからこそ、冷静に物事を見ることが出来ていた。家族と言って良いほど強固な繋がりを捨ててまで手に入れるべきものなど、今の優には思い当たらない。それゆえに、どうしてもクレアの行動が非合理的で、不可解に映る。


「クレアさん。あなたは家族を捨ててまで手に入れたその紙で、何をしようとしているんですか?」


 何が、クレアに大切な物を捨てさせようとしているのか。クレアの学友として、何より、ノアの気持ちを知るものとして、問わずにはいられなかった。

 そんな優の問いを無視しようとしたクレアだが、ふと考えを改める。どう転がってもこの先、決別の未来しか待っていない。しかも度重なるイレギュラーによって、計画は最悪の形で結末を迎える。であれば優と最愛の義弟に、自分が成し遂げたい夢を語っておきたい。


 ――ワタシが警察に捕まり、拘束されるその前に。


「カミシロ様。それに、ノア。天人とは、どこから来たのだと思いますか?」


 王女とはいえ17歳の少女でしかないクレア。最後の戦いを前に彼女が決死の想いで語る言葉は、いわば、遺言だった。


「天人が、どこから来たか……?」


 その話がクレアの覚悟とどう関係があるのか。疑問に思いつつも優はクレアが語った内容をオウム返しする。


「はい。jour de la révolution……日本で言う改編の日。天人と呼ばれる新人類が誕生しました」

「そう、ですね」


 クレアが使った新人類という大層な単語。しかし、病気にかからず、寿命が存在するかも怪しい未知の生命体という意味では、なるほどと優は一定の理解を示す。


「神が受肉した。日本ではそう教わっているようですが、ではその“肉”はどこから来たのでしょう?」

「肉が、どこから来たか、ですか……?」


 またしてもクレアの言葉を繰り返すことしか出来ない優。そんな彼の姿に思わず笑ってしまいつつ、クレアは手元に白金色のマナを凝集させる。当然、優もノアも身構えたが、クレアは一向に攻撃する素振りを見せない。手元に集まったマナを眺めながら、教師が生徒に教えるように。姉が弟に言い聞かせるように、話を続ける。


「知っての通り〈創造〉の魔法で創ることが出来るのはマナの塊だけです。何か他の物質……例えば美味しいお肉を作ることはできません」


 手元に白金色のエッフェル塔を創り出したクレア。続いて皿に乗ったステーキを創り出すが、それはあくまでもマナの塊で、本物のステーキではない。


「ですが、天人たちは受肉を果たした。繰り返しますが、マナでは肉は作れません。では彼ら彼女らはどうやって肉を得たのでしょうか?」


 任務中だという意識のもと、優はクレアの言動に注意を向けながら思考を巡らせる。マナを使って、他の物質を創り出すことは出来ない。しかし、優は……いや、彼だけではない。今この世界に生きる人々はマナのとある性質を知っている。それは、特定の条件を満たせば、マナが生物の姿かたちを変えることが出来るということ。その最たる例が魔獣だ。彼らは捕食した生物が持つマナの情報に従って、変態を行なう――。

 と、そこまで考えて、優はとある可能性にたどり着いた。


「おい、まさか、だよな……」

「どうしたんだ、神代?」


 敬語も忘れて突然青ざめた優を、ノアが心配そうにちらりと見遣る。一方でクレアは、限られた時間で情報を伝えるために淡々と問いかけを続ける。


「確か、カミシロ様は魔人と戦ったのですよね? その時に思ったことはありませんでしたか? 魔人が、魔力持ちや天人に似ているな、と」

「待ってくれ、クレアさん」

「天人と魔人の違い。それは、体内のマナが安定しているか否か。逆に言えば、たったその1点しか違いが無いのです」

「だから待ってくれ、クレアさん!」


 優の必死の制止にも耳を貸さず、クレアは次の問いかけを行なう。


「では、魔人は、どうやって生まれるのでしょうか?」


 それは、優も知っている。人間が、精神が不安定な状態で、他の生物のマナを取り込んでしまった時だ。魔人は、いわば、人が魔獣になったものだ。今の世に生きる者であれば常識であるがゆえに、クレアは優が知っているものとして話を続ける。


「そうです。マナを介せば、人の身体はその姿形を変えられるのです。さて、ではここでもう1度聞きます。本来マナの塊でしかなかったはずの天人は、どうやって、身体にくたいを得たのでしょうか?」


 クレアの問いに、優は答えられない。答えたくない。


「手元の資料の1つには、改編の日。行方不明になった人々の数が書かれています。また、出現した天人の数も、書かれています」


 作り出したステーキを消滅させたクレアは、足元にあったジュラルミンケースのふたを開ける。そして、S文書のおまけとして持ち出した数枚の資料を取り出した。


「日本では。改編の日、たった1日で届け出られた行方不明者が292名。対して後に戸籍を登録した天人が291名。……この、限りなく似通った数字は、偶然の産物でしょうか?」


 ここまで言われてしまっては、優の頭でも理解できてしまう。


「つまり、あれ、ですか。その行方不明者たちの肉体を……人生を奪って、天人たちはこの世に生を受けたと?」


 優の答えに、クレアは1つ大きく頷いて見せる。


「そう。天人は受肉したその時点で、人を1人殺している。みな例外なく、人殺しだということですね」

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