第3話 憧れから目標へ

 ランドセルを盾にして、すんでのところで天を庇った優。しかし、優は7歳になったばかりの子供。すぐに犬の魔獣に押し倒されてしまった。


 それでも、優は足掻く。


 優が知るヒーロー達は、何度倒れても、どんな強敵を相手にしても、決して諦めなかった。


(だから、諦めちゃダメだ!)


 そう自分に言い聞かせ、くじけそうになる心を奮い立たせる。そこからの優はもう死に物狂いだった。


 優という障害を排除し、天へと駆け寄ろうとする犬の魔獣。すぐに優はランドセルを投げ捨て、仰向けからうつぶせへ。そのまま小さな手で、昆虫のような節足を持つまじゅうの後ろ足を掴み、足止めする。


「行かせ、るか……っ」


 魔獣のケラチン質の脚はよく滑る。何度も汗で手が滑って抜けられてしまうが、それでも優は何度も腕を伸ばし、犬の歩みを遅らせる。


「逃げろ、天!」

「で、でも。足が……。それに、兄さんがっ」


 腰を抜かし、満足に動けない天。優という重しを引きずりながら、それでも魔獣はなぜか優を無視して、天を目指して歩く。魔獣と天の距離は、3mも無い。


 どうすればいいのか。必死で考える優の中にフラッシュバックする、改編の日の出来事。あの日。神様が地上に降りてきたのだ。つまりこの世界には、神様がいる。彼ら彼女らなら……。


 そこまで考えて優は首を振る。いつだってヒーローは、最後には自分の力で大切な人たちを守っていた。そして、この場で天を助けられる存在は、自分しかいない。


「俺だけ、なんだ……っ」


 引きずられ、膝や腕をすりむいて、服だってもうボロボロだ。痛み、恐怖、格好悪さ、絶望……。様々なものがない交ぜになって、優の目から涙があふれる。それでも、優は諦めない。何度も、何度でも手を伸ばして犬へと追いすがる。


「俺1人でも、絶対に天を……あっ」


 しかし、再三の努力もついに意味をなくす。煩わしい優の手を後ろ足で払いのけた犬。驚いた優がもう一度手を伸ばすころには、もうすでに、手の届かないところに犬がいた。


 ふと、犬が優を振り返る。よだれが垂れるその口元には勝ち誇ったような、いやらしい笑みが浮かんでいた。そして、そのままゆっくりと天に歩み寄ると、花のように4つに開いた口を大きく広げた。


 よだれの糸を引く花弁が、天に迫る。


「い、いや……っ、お、お兄ちゃん」


 こども園に居た時以来の懐かしい呼び方で、天が優を呼ぶ。しかし、満身まんしん創痍そういの優にはもう、素早く身体を動かすことなど出来ない。


 それでも、神代優は、諦めない。


「ぐっ……うぅ……っ!」


 届かないと分かっていてもなお、地面に手をつき、身を起こし、這いずるようにして手を伸ばす。そうして“無様な”姿を見せる優に、魔獣が勝ち誇った笑みをこぼしているところを天は目の前で見せつけられる。絶対に諦めない。何があっても守ろうとしてくれる。そんな“かっこいい”兄を馬鹿にするような魔獣の態度に、天の感情が怒りに染まる。


 このままで良いのか。このまま、大好きな兄が笑われたまま、殺されて良いのか。自分自身への問いかけに、天が首を振った瞬間。天の中にあった“力”が揺れた。全身を駆け巡るマナの感覚。脳裏に次々と浮かぶのは、これから自分が行なうべき未来の行動だ。


 こうすれば良い。こうすれば、望むべき未来を勝ち取れる。そんな断片的なイメージが、天の脳裏を駆け抜けていく。茶色かった瞳は黄金色に輝き、天の全身からも瞳と同じ色のマナが絶え間なく漏れ出る。


(この魔獣、殺せる)


 どこか他人事のように確信し、天が魔獣に“力”を振るおうとした、まさにその時だった。


 辺り一帯を真っ青な霧のようなものが走り抜けていく。すると、何を警戒したのか、犬が天を捕食しようとする行動を止め、辺りを見回した。


「こっちよ! 魔獣の反応があったわ」

「うおっ、本当だ!」


 優の耳に遠く聞こえてきたのは、若い男女2人の声だ。


「な、なにが――」


 優が声を漏らした次の瞬間、強風が優の黒い髪を揺らす。直後、優は耳元で地面を強く踏む音を聞いた。同時に、犬の魔獣が後方に大きく跳んで、天から距離を取ったことも確認した。


「お待たせ! よく頑張ったな、少年!」


 優の耳に聞こえたのは覇気がありながらも優しさのある声だった。


「俺たちが来たから、もう大丈夫だ! 悪いワンちゃんは、懲らしめておくからな!」


 青年にそう言われても一瞬の出来事で、優には何が起きたのかはわからない。それでも、魔獣が天から離れたことと、助けが来たことだけはよく分かった。


「よ、良かった……! 天が、無事で……!」

「そら? ……ああ、あの女の子か」


 自分のことよりも他人のことを憂慮する。そんな優に苦笑を漏らしつつ、青年――陸翔りくとは立ち上がる。190㎝近くある高身長。彼の全身を包むのは黒の学ランだ。長すぎず、短すぎない髪は手にした剣と同じ金色に染められていた。


 背後で魔獣と対峙して牽制してくれていた相棒の少女の横に並んだ陸翔りくとは、手にしていた剣を構える。金色に見えたその剣は、よく見れば美しい黄色のマナで創られたものだということが分かる。


 〈創造そうぞう〉。自身のマナを凝集してイメージした物を創り出す魔法だ。


香織かおり、行けるか?」

「もちろんよ。むしろ、私たちがきちんと対処しないとね」


 陸翔の問いに答えた少女。同じく学ランを身にまとう身長は170㎝ほど。長いポニーテールを風になびかせながら、香織と呼ばれた少女は臆することなく犬の魔獣と対峙する。


 そうして相棒も臨戦態勢が整ったことを確認した陸翔は、最後に。


「良いか、少年」


 他者のために足掻くことができる。将来有望な少年――優を振り返る。


「俺たちのカッコいいところ、よく見ておいてくれよ?」

「……っ!?」


 歯を見せて笑った陸翔に、目を見開いた優が息を飲む。見る人を安心させるような、どこまでも頼りになる笑顔。窮地に颯爽と現れ、優と天を救った陸翔と香織はまさしく、優の求めていたもの――ヒーローそのものだった。


「うん……。うん!」


 憧れの、それも実在する“ヒーロー”に、よく見ていてくれと言われた。泣いている場合ではないと優が袖で涙をぬぐった次の瞬間。一陣の風が吹き抜ける。


 あまりの強風に、目をつぶってしまう優。しかし、その直前、夕暮れの住宅街の片隅で、黄昏を映したような金色の剣先が一筋、きらめいたことだけはどうにか見届けることが出来たのだった。




 そして風が止み、優が次に目を開けたとき。もう、どこを探しても怖い犬の姿は見当たらない。夕焼けを背に、自分たちに背を向けて立つ、2人のヒーローの姿だけがそこに在るだけだった。


「香織。少年のけがの手当てしてやってくれ。少女……そらちゃんは、怪我はないか?」

「う、うん。大丈夫です……」


 金髪の青年、陸翔の手を借りて天が立ち上がる。


 その横で香織もまた、優の怪我の具合を確かめる。大きな怪我こそ無いものの、腕や足、顔にすら擦り傷を作っていた。


(兄妹かしら? 妹を守るために、頑張ったのね)


 小学生ながら必死に大切な人を守ろうとした優に思わず頬を緩めつつ、ポケットに入れてあった応急手当用の絆創膏やガーゼを使って手際よく手当てしていく。


 しかし、当の優はと言えば、痛みも恐怖も何もかもが吹き飛んでしまっていた。今、彼の中にあるもの。それは助けてくれたヒーロー2人に対する、どこまでも純粋な憧憬だ。


「か、かっこいい……! お兄さんたち、名前は!?」

「動かないの!」

「あいたっ」


 香織にぺちりと優しくたしなめられ、それでも、優はキラキラした目を陸翔と香織に向ける。他方、天はと言えば青年が「リクト」、少女が「カオリ」と呼び合っていただろうに、と、兄を白けた目で見るが、ここは空気を読むことにした。


 そうして冷静な女性陣を横目に、勝手に盛り上がるのは優と陸翔の男子2人組だ。


「なに、名乗るほどのものでもない! 俺たちは当然のことをしただけだ! なんせ俺たちは困っている人たちを助ける、ヒーローなんだからな!」

「うおぉぉぉ!」


 陸翔の返答に、優の興奮は最高潮。この様子なら大丈夫だろうと、手当てを終えた香織が立ち上がる。そして、


「はぁ……。馬鹿言ってないで、次、行くわよ」

「おう! じゃあな、少年、少女! 気を付けて帰れよ!」


 そう言うと、陸翔と香織。学ラン姿の2人は来た時同様に、颯爽とその場を走り去って行くのだった。


 まさに、一瞬の出来事。未だに事態が飲み込めずしばらく立ち尽くしていた兄妹だったが、日暮れを前に動き出す。


「…… 帰ろうか、天!」

「うん」


 優が手を差し出し、天がそれを握り返す。夕焼けに照らされて、温かな家へと2人はまた歩き出す。


「ランドセルボロボロだ……。母さんにおこられるよな~……。にやられたんだって、母さん、信じてくれるかな?」


 終始、一杯いっぱいだった優。それは、いま自分たちが出会った生物が魔獣であることに気付くことすらできないほどだった。そのため優にとっては、凶暴なプードルに襲われたという認識が変わることは無かった。


「私も兄さんと一緒に、謝る。それに多分、あれってまじゅ――」

「まあ、でもさ。……天が無事で、良かった!」


 隣でそう笑った兄が何だか格好良くて、思わず握った手に力が入ってしまう天。手のかかる兄だとばかり思っていたのに、頼もしく思えてしまう。それが何だか悔しくて、ちょっとした意地悪も込めて、


「本当は、知らない人じゃなくて。兄さんに守ってほしかったな」


 言ってみた天の胸の内など、優が知る由もなく。


「うん、任せろ! いつか絶対、天も、みんなも守れるような、 かっこいいやつになってみせるから」


 そう言って屈託なく笑う優だった。


 のちに2人は知る。自分たちを助けてくれたヒーローが『特派員』という、魔獣を倒す人々だったことを。もともとヒーローに憧れていた優がこの日の出来事をきっかけに特派員を目指したのは、ある意味で宿命だったのかもしれない。


 ヒーローという曖昧な優の理想がその日、特派員という具体的な目標に代わったのだった。


 そうして、月日は流れ、8年後――。




──────────

 プロローグにあたる【始まり】の章、見届けて頂いてありがとうございました。


 もし続きが気になると思って頂けたのなら作品のフォローを、感想や★評価等がありましたら、よろしくお願いいたします。今後の執筆の励みとさせていただこうと思います!

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