「見ている神がいないなら、この物語は『  』です」

misaka

第0章【始まり】

第1話 『改編の日』

 それは、何気ない冬の夜だった。5歳の少年、神代かみしろゆうがぼんやりと眺める画面の中では、映像やフリップとともに昨今の日本情勢が語られていた。


『3年前に突如として出現した魔獣まじゅう。彼らは一体何者なのでしょうか? 今日は専門家の皆様もお招きして、改めて確認していきたいと思います』

「魔獣……」


 アナウンサーの言葉をまねして言ったゆうが見つめる画面に、異様な生物が映し出される。数種類の動物を無理矢理つなぎ合わせたような見た目をしたその生物こそが、『魔獣まじゅう』。彼らはなぜか、手当たり次第に人を襲って食べる習性を持っていた。


 通常兵器が効きづらく、負わせた傷もたちどころに治ってしまう。防戦一方を強いられる人類は、ゆっくりとだが確実に衰退の一途をたどっていた。画面の端に表示されている「本日の死亡者・行方不明者」の数は今日も3桁後半。魔獣が現れてからたったの2年で、日本の人口は3分の2にまで減少していた。


「わっ、魔獣だ」


 と、テレビに映った奇々怪々な見た目をした生物にそんな声を上げたのは、優の1つ下の妹のそらだ。子供が遊ぶには不釣り合いにも思える真っ白な1000ピースパズルを放り出して、兄である優の横にやって来る。


 兄妹ともに黒髪だが、妹のそらの方は目が大きく、茶味がかった瞳をしているのが特徴だろう。4月生まれの兄の優と、3か月の早産にもかかわらず奇跡的に一命を取り止めた3月生まれの妹の天。2人は珍しい、同学年で血のつながった兄妹だった。


「魔獣……。うん! キモイを通り越して可愛いかも!」

「可愛い……? 魔獣が……?」


 世が世ならモザイクがかかるだろうグロテスクな見た目をしている魔獣を「可愛い」と表現する妹の発言に、幼いながらも若干引いてしまう優。


「ほら、よく見て、お兄ちゃん! 色んな生き物の機能美に溢れた見た目はむしろ、芸術的かも……っ!」

「きのうび……? げいじゅつてき……? ちょっと天が何言ってるか分からない」


 妹の言っている意味が本気で分からず首を傾げた優だったが、妹がわけわからないのはいつものことだ。言及することもせずニュースへと視線を戻す。


 黒色と茶色。兄妹仲良く並んで見上げる先。魔獣の活動圏を示す赤い色は、今もなお、急激な速度で日本地図を侵食している。子ども園に通うゆうそら。ニュースで語られている内容はあまり理解していないが、自分達が住む大阪もどこからか現れる魔獣によって混迷を極めていることは、なんとなく分かっていた。


『解説、ありがとうございました。CMの後は、魔獣による極度のストレスから各地で広がる暴動について取り上げます』

「優くん、天ちゃんも。晩ごはん出来たわよー」


 番組がCMに入ったところで、キッチンで料理をしていた母の聡美さとみから、兄妹に声がかかった。その声に真っ先に反応したのは兄の優だ。


「はーい!」


 すぐさま立ち上がると、キッチンへ直行。母からお手伝いという名の“任務”が言い渡される時を今か今かと待ちわびる。


 一方、あくまでもマイペースを崩さずに遅れてやって来たのは天だ。母に言われるまでもなく、自分のやるべきことを自分で探す。と、天はそこで、用意されている食器の数が1人分少ないことに気付いた。


「今日、お父さんは?」

「もう少しで帰ってくるみたい。だけど2人は早く寝ないといけないから、先に食べちゃって?」

「良いけど……って、コレ! ハンバーグ!」


 母から手渡されたお皿。その上で美味しそうに湯気を上げる大好物のハンバーグに、天が歓喜の声を上げる。


「ひき肉がグラム398円で安かったの。だから、ね?」

「わーい! お母さん、大好き! ハンバーグ、ハンバーグ♪」


 鼻歌を歌いながら足取り軽く自分の分を食卓へ運ぶ妹に、不満そうな顔を見せたのは優だ。彼からすれば妹は、後からやって来たくせに任務を横取りして行ったように見えていた。


「お母さん、ぼくも! ぼくにも任務、ちょうだい!」


 ぴょんぴょん飛び跳ねる優に食器を渡すのは危険と判断した聡美は、ひとまず会話でなだめることにする。


「あらあら、任務だなんて難しい言葉。どこで聞いたの?」

「日曜日の朝のやつ!」

「ふふ、そうだったのね。優くんは、ヒーローになりたいんだっけ?」

「うん! ぼくが魔獣わるいやつをやっつけて、天もみんなも守るんだ!」


 優の将来の夢は、日曜朝に見ているテレビに映る、敵からみんなを守る格好良いヒーローだった。たくさんの人に頼られて笑顔にしてしまうヒーローの姿は、優にはとても輝いて見えた。いつか自分もそうなりたいと願う優は定期的に、ヒーローたちが使う剣技や体術を真似て“特訓”もしていた。


「そうね、そうね。お母さん、優くんが格好良くなるの、楽しみしてるわ。……じゃあ、このコーンポタージュもこぼさないように格好良く、運んでくれる?」

「任せて!」


 優、天、聡美。家族3人で協力しながら手際よくご飯とポタージュ、ハンバーグを運んで晩餐ばんさんの準備は完了だ。料理が冷めないうちに手を合わせて、


「「いただきます――」」


 食べようという時だった。




 部屋の電気が唐突に消えた。




 すぐに異変を察した聡美がベランダから外を見ると、町中の明かりが消えている。


「停電、かしら……?」


 魔獣のせいで電気系統が寸断され、停電することが近頃よくあった。最悪の場合、魔獣が近くに来たのかもしれない。念のため、聡美は携帯の光を頼りに優と天のそばに駆け寄る。そして、2人が不安がらないように、そっと頭に手を乗せてあげた。


 暗闇と静寂が、室内を満たす。停電によって暖房が切れたのだろう。真冬の肌を刺すような寒さが、少しずつ家族に忍び寄る。


 と、不意に真っ暗だった室内にぼんやりと光が届いた。ベランダに続く窓から見える景色の変化に、最初に気付いたのは天だった。


「お、お母さん……。あれなに?」


 天の言葉につられて、聡美と優がベランダから外を見る。


 そこにはてんと地をつなぐように、眩い光を放ってそびえたつ光柱があった。


 夜を昼間のように明るく照らすその様はどこまでも神秘的で、美しい。しかし、同時に、見る者にどこか畏怖いふを覚えさせる異様さを放っていた。


「なに、あれ……?」


 大人の聡美から見ても何が起きているのか分からない。それでも、


(何が起きても子供だけは守ってみせるわ)


 と、聡美が優と天の頭を抱きしめる。


 そうして、優と天が純粋な興味を持って、聡美が不安を持って見つめる先。光の柱は徐々にその輝きを増していき、やがて、太陽と見まがうほどの光となった瞬間――


 ――ぜた。


 薄いガラスが割れるような甲高い音が響き、数えきれないほどの白い燐光りんこうが全方向に向けて飛散していく。その光の粒子は町を、空を、世界の全てを飲み込み、やがて家族のもとにも届いた。


「うわっ!」


 得も言われぬ感覚に、優が思わず声を上げる。


 体の中で小さな泡がはじけ、くすぐられているようなこそばゆさ。あるいは、体中を知らない何かが這いまわり、作り替えているような違和感。それがほんの数秒だけ続き、すぐに光の波は過ぎていった。


 視界を覆い尽くしていた光が収まり、次第に世界が見えるようになっていく。すぐに電気も復旧し、室内灯やテレビが点いて生活感のある音と明るさが戻った。


「……うーん、何だったのかしら。でも、うん! とりあえず、冷めちゃう前にハンバーグ、食べちゃって!」

「えぇっ!?」

「お母さん、今のなかったことにするんだ……」


 何事も無かったように食事を勧めてくる母親に優が驚き、天が呆れる。


 そこには聡美の、子供を怯えさせまいと言う母としての気遣いがあるのだが、2人が知るはずもない。


「「……いただきます」」


 結局、母からの見えない圧と食欲に負ける形で、優と天は子供用のお箸を手に取る。そしてハンバーグを口に入れた瞬間に広がった肉汁によって、2人もまた、先ほどの異変を喉奥に流し込むことになったのだった。


 ただ、聡美は1人、たった今起きた大きな変化を理解していた。自分たちの中にある“力”の使い方を、思い出したのだ。いや、思い出さされたと言うべきだろう。人間にもとからあった五感と呼ばれるものに、もう1つの感覚が加えられたのだ。


 子供たちから見えない位置で、試しに、これまでは自覚してこなかったその力を手のひらに集中させてみる。すると、ピンクっぽい色をした霧のようなものが手のひらに集まっていく。しかもその霧は、聡美の意思を汲み取るように揺れている。


 ――本当に、何が起きているの……?


 心の中で呟きながら、それでも表情には出さない。何が起きていようとも、この子たちだけは守る。聡美の母としての決意が揺らぐことはない。


「……どう? お母さんお手製のハンバーグ、美味しい?」

「うん、美味しい!」

「最高。一生コレで良い」


 優と天。口々に言って美味しそうにハンバーグを食べる我が子を、聡美は優しい顔で見守っていた。




 のちに『改編の日』と呼ばれるようになる、この日。いわゆる「神」が住む世界と人の住む世界を隔てていたその柱が崩壊し、2つの世界が1つになった。


 この事実が明かされたのは改編の日から1週間後のこと。神々をまとめる2柱が代表として各国の代表と面会し、『世界人神条約』を結んだことによってだった。


 そして、神々は自分たちが持っていた力が、人類を脅かしていた魔獣を討つことが出来るものであると語る。


 その力こそ『魔法』。あらゆる存在の“在り方”を定義し、心の正体とも言われるようになる『マナ』を操作する技術だ。魔法を手にした人類は、この時ようやく、魔獣を討つすべを手に入れたのだった。


 他方で、肉体を得た神は『天人あまひと』と呼ばれ、人権を獲得する。魔法・天人に関して各国政府は異常なほどの速さで法整備を進め、世界規模での条約も作られていった。


 こうして、人間が“元”神と共存する、奇妙な社会が誕生する。


 同時にそれは人と神、そして魔獣とが争う歴史の始まりでもあった。

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