「見ている神がいないなら、この物語は『  』です」

misaka

【始まり】

第1話 『改編の日』

 それは、何気ない冬の夜だった。5歳の少年、神代優かみしろゆうがぼんやりと眺める画面の中では、映像やフリップとともに昨今の日本情勢が語られていた。


『3年前に突如として出現した魔獣まじゅう。彼らは一体何者なのでしょうか? 今日は専門家の皆様もお招きして、改めて確認していきたいと思います』

「まじゅう……」


 アナウンサーの言葉をまねして言ったゆうが見つめる画面に、異様な生物が映し出される。数種類の動物を無理矢理つなぎ合わせたような見た目をしたその生物こそが、『魔獣まじゅう』。魔獣は手当たり次第に人を襲って食べる習性を持っていた。


「わっ、まじゅうだ」


 と、テレビに映った魔獣の姿にそんな声を上げたのは優の妹のそらだ。子供が遊ぶには不釣り合いにも思える真っ白な1000ピースパズルを放り出して、兄である優の横にやって来る。

 兄妹ともに黒髪だが、妹のそらの方は目が大きく、茶味がかった瞳が特徴だった。 

 兄妹仲良く並んで見上げる先、テレビの中には北海道と長崎県が赤く示された日本地図が映し出されていた。


『日本では2年前の2月11日。北海道と長野で同時に確認されましたんですよね?』


 地図を示しながら、アナウンサーが有識者の男性に尋ねる。


『はい。以降は通常の生物では考えられない速度で増殖しています。自衛隊の方々によってどうにか食い止めている、と言うのが現状ですね』


 視聴者に不安を与えないように言った有識者の男性に、しかし、隣りに座っていた女性が噛みついた。


『食い止めると言うと少し語弊ごへいがありませんか? 増殖のスピードを抑えているだけで、着実に防衛線は後退しているじゃありませんか』

『…まぁ、そうですね。失礼しました。通常兵器も効果が薄いようですし、日本を含め各国は総力を挙げて魔獣対策に取り組んでいるようです』


 魔獣の活動圏を示す赤い色は、急激な速度で日本地図を侵食していた。


 子ども園に通うゆうそら。語られている内容はほとんど理解していないが、自分達が住む大阪もどこからか現れる魔獣によって混迷を極めていることは、なんとなく分かっていた。


『解説、ありがとうございました。CMの後は、魔獣による極度のストレスから各地で広がる暴動について取り上げて参ります』

「優君、天ちゃんも。晩ごはん出来たわよー」

「「はーい」」


 CMに入ったところで、ハンバーグを作っていた母の聡美さとみが兄妹に声をかけた。4月生まれの優と、3か月の早産にもかかわらず奇跡的に一命を取り止めた3月生まれの天。2人は珍しい、同学年で血のつながった兄妹だった。

 キッチンでご飯を盛り付ける母に天が尋ねる。


「きょう、お父さんは?」

「もう少しで帰ってくるみたい。だけど2人は早く寝ないといけないから、先に食べちゃって?」


 そう答えた母から手渡された料理は天の大好物、ハンバーグだった。鼻歌を歌いながら足取り軽く自分の分を食卓へ運ぶ妹を横目に、優がにやりと笑って母をからかう。


「そう言ってぼくたちがねたあとにイチャイチャするんだ!」

「それはもちろん! お母さんとお父さん、仲良しだから! 優くんと天ちゃんも、仲良くするのよ?」

「うん! ぼく、かっこいいヒーローになる! まじゅうをやっつけて、天もみんなもまもるんだ!」


 母親の忠告に、優は夢を語った。

 優の将来の夢は、日曜朝に見ているテレビに映る、敵からみんなを守る格好良いヒーローだった。たくさんの人に頼られて笑顔にしてしまうヒーローの姿は、優にはとても輝いて見えた。いつか自分もそうなりたいと願う優は定期的に、ヒーローたちが使う剣技や体術を真似て“特訓”をしていた。


「そうね、そうね。お母さん、優くんが格好良くなるの、楽しみしてるわ。……じゃあ、このコーンポタージュもこぼさないように格好良く、運んでくれる?」

「まかせて!」


 優、天、聡美。家族3人で協力しながら手際よくご飯とポタージュ、ハンバーグを運んで晩餐ばんさんの準備は完了だ。料理が冷めないうちに手を合わせて、


「「いただきます――」」


 食べようという時だった。部屋の電気が突然消える。すぐに母親の聡美がベランダから外を見ると、町中の明かりが消えていた。


「あら、停電かしら……?」


 魔獣のせいで電気系統が寸断され、停電することが近頃よくあった。最悪の場合、魔獣が近くに来たのかもしれない。念のため、聡美は携帯の光を頼りに優と天のそばに駆け寄る。そして、2人が不安がらないように、そっと頭に手を乗せてあげた。

 暗闇と静寂が、室内を満たす。停電によって暖房が切れたのだろう。真冬の肌を刺すような寒さが、少しずつ家族に忍び寄る。

 と、不意に真っ暗だった室内にぼんやりと光が届いた。ベランダに続く窓から見える景色の変化に、最初に気付いたのは天だった。


「お母さん、あれなに?」


 天の言葉につられて、聡美と優がベランダから外を見る。


 そこにはてんと地をつなぐように、眩い光を放ってそびえたつ光柱があった。


 夜を昼間のように明るく照らすその様は美しい。しかし、同時に、見る者にどこか畏怖いふを覚えさせる異様さを放っていた。


「なに、あれ……?」


 大人の聡美から見ても何が起きているのか分からない。それでも、何が起きても子供だけは守ろうと優と天の頭を抱きしめる。優と天が純粋な興味を持って、聡美が不安を持って見つめる先で、光の柱は輝きを増していき、やがて爆ぜた。

 薄いガラスが割れるような甲高い音が響き、数えきれないほどの白い燐光りんこうが全方向に向けて飛散していく。その光の粒子は町を、空を、世界の全てを飲み込み、やがて優のもとにも届いた。


「うわっ!」


 体の中で小さな泡がはじけ、くすぐられているようなこそばゆさ。あるいは、体中を知らない何かが這いまわり、作り替えているような違和感。それがほんの数秒だけ続き、すぐに光の波は過ぎていった。

 視界を覆い尽くしていた光が収まり、次第に見えるようになっていく。すぐに電気も復旧し、室内灯やテレビが点いて生活感のある音と明るさが戻った。


「なんか、へんな感じした」


 優から見えている景色に特段の変化はない。先ほどまでベランダから見えていた光の柱は消え去り、静かな夜が戻っている。


「うーん、何だったのかしら……。でも、うん! とりあえず、冷めちゃう前にハンバーグ、食べちゃって!」

「えぇっ?!」

「お母さん、今のなかったことにするんだ……」


 何事も無かったように食事を勧めてくる母親に優が驚き、天が呆れる。

 そこには聡美の、子供を怯えさせまいと言う母としての気遣いがあるのだが、2人が知るはずもない。

 デミグラスソースのおいしそうなにおいが、優の空腹を刺激してくる。


「……いただきます!」


 結局、食欲に負ける形で、優も今の出来事を流すことにした。そんな兄の姿を見ていた天も、子供用のお箸を手に取る。

 ただ、聡美は1人、たった今起きた大きな変化を理解していた。自分たちの中にある“力”の使い方を、思い出したのだ。いや、思い出さされたと言うべきか。人間にもとからあった五感と呼ばれるものに、もう1つの感覚が加えられたのだ。

 子供たちから見えない位置で、試しに、これまでは自覚してこなかったその力を手のひらに集中させてみる。すると、ピンクっぽい色をした霧のようなものが手のひらに集まっていく。しかもその霧は、聡美の意思を汲み取るように揺れている。


 ――本当に、何が起きているの……?


 心の中で呟きながら、それでも表情には出さない。何が起きていようとも、この子たちは守る。目の前でおいしそうにハンバーグを食べる我が子を、聡美は優しい顔で見守っていた。


 後にその日は『改編の日』と呼ばれるようになる。別名、神降ろしの日。この日、神は肉体を得て、実在するようになったのだ。

 同時に、神々は人間たちに『魔法まほう』と呼ばれる力をもたらす。それは、あらゆる存在の“在り方”を定義し、心の正体とも言われるようになる『マナ』を操作する技術。魔法を手にした人類は、この時ようやく、魔獣を効率的に討つすべを手に入れたのだった。


 これは、そうして想いが魔法となって現出するようになった現代日本で。

 神代優かみしろゆうと女神シア。2人の少年少女が出会い、そして、神様の居ない新たな世界が始まるまでの軌跡を描いた物語──。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る