第10話 人助けと人殺し

 誰も油断はしていなかった。

 相手が一枚上手だっただけの話。

 だからこの状況は仕方のないもので、次に向けて、反省・改善すれば良い。


 (――違う!)


 優は首を振って、言い逃れしようとする自分を許さない。

 いくつもの“甘さ”が積み重なっていた。

 ネズミの魔獣との戦い。果歩の扱い。遅れた反応。

 例を挙げれば枚挙にいとまがない。


 今回のこれも。

 人を傷つけたくないという自分勝手な想いで中途半端に戦った、優自身の落ち度なのだ。たとえ誰が何と言おうと。


 任務の前。

 自分の命は自分の責任だと、みんなで話した。

 それでも、いざ、友人が傷つき、命の危機に瀕してみれば。

 残念ながら優には、西方自身の責任だと割り切ることが出来なかった。




 「殺してやる」


 透明なサバイバルナイフを手にした優が、魔人に切りかかる。


 「フゥッ!」

 「くっ……」


 押し殺した思いを吐き出すように。魔人の首を狙って振るわれた一撃は、彼がこの戦いで初めて――人生で初めて誰かに、殺意を持って振るうナイフだった。


 今までとは比べ物にならない速さと力、何より殺す覚悟を持って振るわれた攻撃。

 手元に創り出したナイフでどうにかそれを受け止めた魔人。しかし、〈領域〉を形成する集中力が切れ、優たちを包み込もうとしていた黒のマナが霧散した。


 ギリギリと音を立ててせめぎ合う2つのナイフ。

 優の黒い瞳と、魔人の濁った瞳が交錯する。


 「なんでだ……?」

 「彼を殺す理由? それは私が魔人で、彼が食料だから」


 元々は人間であるはずの魔人は、悪意をむき出しにした言葉を放った。

 それは生きるために本能で魔力の高い人を襲い、食べる魔獣とは似て非なるもの。

 目の前の女性――魔人は間違いなく、理性と悪意を持って人を殺そうとしている。

 あらゆる生物がマナを保有しているにもかかわらず、あえて人を食事に選んでいるのだ。


 「お前も、特派員だったんだろ……っ」

 「あら意外。気付いていたのね」


 傷つけた一夜ひとよを逃がして特派員をおびき寄せたり、子供の果歩を人質として利用したり。

 “特派員”を熟知した作戦の立て方は、彼女がそうであった可能性を示していた。


 鍔迫り合いを解き、距離をとる。


 「人を守っていたんだろ?!」


 語気に含まれたその怒りは、その実、魔人ではなく優自身に向けられたもの。

 不甲斐なさ。格好悪さ。みじめさ……。

 様々な暗い感情のせいで足を止めそうになる心身を動かすためには、怒りの感情を借りるほかなかった。


 自分を睨みつける少年に、魔人が意気揚々と答える。


 「魔人になって、本当に守るべきものに気付いただけじゃない」


 その言葉に、自分の守りたいものを重ねる優。


 「……ひょっとして魔人のお前にも、家族や仲間がいるのか?」


 そんな彼の問いに、魔人は特大の冗談を聞いたように声を上げて笑った。


 小馬鹿にしたようなその態度にさらに苛立つ心を原動力として、優は駆ける。

 怒りと殺意を込めて近づいて来る特派員の少年を好戦的な笑みで迎え撃った魔人。

 力任せで先ほどまでの精彩さを欠く優のナイフさばきに、魔人は余裕で対処してみせた。


 一度距離を取った優に、彼女は自分にとって最も大切なものを声高に語る。


 「守りたいもの? そんなの、“自分自身”に決まってるじゃない。あなたもそうでしょう? いいえ、誰だってそう」


 魔人の女性は意気揚々と続ける。


 「魔獣や魔人を殺すのだって、それが復讐なら自慰行為だし、誰かのためだと言っても、結局は自己満足のため。違う?」

 「ちが……う」


 優は否定しようとして、しかし、一瞬言葉を詰まらせる。


 「その反応……やっぱり心当たりがあるのね?」


 自分のエゴで人を助ける。

 それは今回の依頼を受ける時に優自身が思ったことだ。

 誰かがどう思っているか、ではなく、優自身の想いで、何をしたいかで物事を決める。

 だからこそ、そこに生まれる責任を負えるのだと。


 「あなた達は人を守りたいから魔獣や魔人を殺す。私は私自身を守りたいから人を殺して、食べる。どちらも自分のしたいことをしているわ。その2つに違いはあるのかしら?」


 その問いに沈黙せざるを得ない優。


 「どれだけ高尚なことを言っても、所詮は全部、“自分のため”。あなたも、私も、違わないわ」


 お互いに自分の身可愛さに『したいこと』をしているではないか。

 であるなら自分とお前は本質的に同じだろう。

 魔人が語る理論に、たかだか16歳の少年の心は揺らぐ――。


 「――違います」


 その時、2人の会話に割り込んだのは、全身から白いマナを迸らせるシアだった。


 「違いますよ、優さんとあなたは」


 神々しい程のマナを纏い、断言するシア。

 見ればジャケットを脱いだワイシャツ姿。ジャケットは西方の腹部に刺さるナイフの上部――より心臓に近い位置を縛って止血するために使われていた。


 「――どういうことかしら?」


 尋ねる魔人を正面から見据えて、シアはまるで子供に言い聞かせるように、語る。


 「そもそもの話です。あなたのしている『人殺し』は悪いこと。優さんのしている魔獣討伐――『人助け』は良いこと。それだけです」

 「「……は?」」


 シアが語ったのはとても簡単な答えだった。

 幼稚とも言えるその答えに、優と魔人の声が不覚にも重なる。


 「行動には当人の意思もそうですが、周りからの評価が常に存在します」


 初めに当人の意思があって行動が起こり、結果を周囲が判断する。


 「それぞれがしたいことをしている。では、あとは簡単な話です。人間社会がその行為を……今回は『人殺し』と『人助け』をどう判断するか」


 前者が悪。後者が善。少なくとも今の社会はそうだと、シアは思っている。

 うがった見方も、助けられる側の意志がある、と言った細かなことも、今は考えない。

 そこには純粋に、人々の想いによって形づくられた”社会”が決めた善悪が存在する。


 「人を助けることを議論する意味は分かります。ですが、人を傷つけること、殺すことの良し悪しを議論する必要、ありますか?」

 「それは……」


 言いよどむ優に、シアは己の答えを示す。


 「断言します。例えそれがその人のエゴだったとしても。人を助けることは悪いことではありません。逆に。たとえどんな事情があっても。人を傷つけ、殺すことは絶対に、悪いことです!」


 優の横に並んで、彼の目を見て力強く言い切ったシア。

 次いで、魔人に目を向けた彼女は、


 「そして人助けをする優さんと、人殺しをするあなたが同じなんてことは、絶対に、ありえませんっ!」


 キッと睨みつけて両腕を胸前に掲げた。

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