137 妹、再び帝都来襲⑧
「そう。あれは色々母体に負担をかけてなあ。それが色んなところに出る」
「……例えば?」
テンダーは黙って聞くしかなかった。
「言ってりゃ切りが無いんだが、食うことに関しては確実に出る。地方回ってた時なんざ、妊娠中に壁土が異様に食いたくなってた奥さんも居たくらいだ」
「じゃ、アンジーも……」
「悪阻の時期には食欲無くすことも多いが、その後無茶苦茶食う様になるってのも結構ある。テンダー嬢、あんた社交界で歳食った奥方達がそれなりに太ってることが多いの知ってるよな」
「確かに……」
会話の中で「若い頃はねえ~」ところころと笑いながら話す奥方が貫禄たっぷりになっていることはよくあることだ。
ただそれは、年齢のせいだとテンダーは思っていた。
それを口にすると。
「まあ一因としてその時の習慣が抜けないってのもあるだろうな。そこで前の体型を! と引き締める夫人方もあるだろうが、なかなかそれも難しいものでな。まあ周囲の協力があって何とか、という感じだろう」
「周囲」
その辺りも聞いてみなくてはならない、とテンダーは思った。
母は。
母はあの姿になってしまったアンジーをどう思っているのか。
綺麗なものだけが好きだった彼女は。
そして皆が係から出された茶を飲み終わった頃。
「じゃあ、始めるか」
ヒドゥンはそう言うと立ち上がった。
「――何を?」
「現実が見えてないキミの妹にちょっと、な」
四人でぞろぞろと部屋へと向かい、扉を開ける。
するとまず、大きないびきの音が四人の耳に飛び込んできた。
出所は大口開けてベッドに大の字になり眠っているアンジーだった。
「こりゃ、まあ……」
ファン医師は彼女の姿をまじまじと見、くんくんと匂いも嗅ぎ、脈を取ると難しい顔になった。
「いや、こら凄い」
ヒドゥンも普段滅多に見ない驚きの表情を浮かべていた。
ワゴンが何台か残され、テーブルの上には食べ尽くした料理の皿がところ狭しと置かれている。
「……なあテンダーさん、ホントに四、五年前に華奢で可愛い、だった?」
「本当です。正直私も一瞬誰かと思いました。しかもこんなに食べてすぐに眠ってしまうなんて」
「や、それにはちょっと一服盛らせてもらった」
「え」
「タンダ、頼むよ」
「了解です!」
タンダは荷物を開くと、中から何やらてきぱきと道具を取り出した。
*
アンジーはふと喉が渇いて目が覚めた。
目を開けた彼女の視界は薄暗かった。
少しだけ冷えたので、手に触れたガウンを何気なく取って身体に引っかける。
室内灯で何とかテーブルの辺りはわかる。
うう、とうめきながら重い身体をひきずる様に瓶入りの水に手を伸ばす――
と。
「ひゃっ」
前方に――何か居る。
毛むくじゃらの、ずんぐりした――
「ぎゃああああばけもの!」
掴んだ水の瓶を放り出し、その場にへたりこむ。
とん、と音がしたかと思うと、今度は目の前にその「ばけもの」が。
ひっ、と後ずさりする彼女の身体を後ろで誰かが押さえた――
そこで灯りが点いた。
「こんばんわ、吸精鬼です」
背後から低い声がした。
自分の目の前には、雑誌の写真で見覚えのある姿がそこにあった。
アンジーは声の方を振り向いた。
鏡の中に居る人物が居た。
――ということは。
「え、ちょ、どういうこと、何、お姉様、いったい、お姉様!」
「私ならここよ」
鏡の裏にテンダーは居た。
姿見をタンダと共に支えていたのだ。
「何、何なの、これ、鏡? 鏡? え? じゃあ、何、この化け物」
目の前に映っているのは、毛皮に包まれた巨大な身体、顔は濃く縁取られた目の周りを残して白塗り、唇は青く。
「あたしにいったい何をしたのぉ!」
アンジーはがんがん、と鏡を叩く。
その動作自体が、化け物=自分ということをより強く彼女に思い知らせる。
「まあまあ、ちょっとした悪戯だし。タンダ、化粧を取ってやって」
「ああ、素晴らしい出来だったのに」
いつ暴れ出すか、とテンダーは思っていたが、思った以上に呆然としたアンジーは固まったまま、毛皮のガウンを取り替えられ、化粧落としのクリームを顔中に塗りたくられる。
目の周囲を落とす時に「ちょっとつぶって下さい」という声にも素直に従った。
そして。
「さあもう目を開けても大丈夫ですよ」
タンダの声に目を開くと。
元のアンジーの姿がそこにはあった。
だが。
「……誰、これ」
アンジーの口から出たのはそんな言葉だった。
「誰って、それがアンジー夫人、貴女だろ?」
ヒドゥンは容赦無く告げる。
「違う、これ鏡じゃない」
「テンダーさんこっち来て」
横並びになってみせる。
「貴女の姉さんは貴女の見たままに映ってる。鏡は正直だよ。今見てる姿が、貴女の本当の姿だ、アンジー夫人」
「嘘…… 嘘!」
ふるふる、と彼女は震えだし――やがてその場にどさっと倒れた。
ファン医師は駆け寄ると、彼女の脈を取り、取り出した聴診器を胸に当てる。
「すぐに病院に」
「わかった」
ヒドゥンは室内電話で係へと連絡を付けた。
テンダーは説明を受けてはいたが――さすがに、本当にそうなるとは信じられなかった。
妹は単に膨れただけではない。
明らかに血圧やら心臓への負担が身体に来ているのだと。
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