第2話ここは突撃一択っしょ

「ベエって!」

「マジでベエってぇ‼」


 月明かりの下、ライル・ダルグリッシュが叫び声を上げながら全速力で駆けていく。


「おい、誰か追えよ。あれ」

「やっすよ。飯の途中っすもん」


 しかし、夜闇に響く切迫した叫び声はたった一人のもの。

 他に漏れ出る声といえば、嘲笑が入り混じった気怠げなものしかなかった。

 ただ一人、暗闇の中を必死に逃げるその襲撃者を追いかける者はいない。


 それもそのはず。

 ライルはたった一人で十人以上からなる大所帯に突っ込んでいき、あまつさえ一太刀であしらわれ、すぐさま大声で叫びながら逃げ出したのだ。

 それはもう道化の戯事でしかなかった。


「ルドルフ、お前ら行け」

「えー、だっる。馬使ってもいいっすか?」


 一団のリーダーと思しき男が今まで森の見張りをしていたのであろう三人の男に命じる。

 不満を表に出しながらも、三人の男達はばらばらと重い足取りでライルの後を追った。


 そんな様子を、ダンゼルは茂みに隠れながらただ見ていた。


「マジかよ。アイツ、ホントにやりやがった」

「この作戦が成功したらあいつがMVPだな。一人で、三人も」

「尊い犠牲だ。今となってはこの作戦を成功させることしか俺達にはできない」

 

 笑いながら口々にライルを皮肉る仲間達を、エリオットが冷ややかな目で見下している。

 緊張感がないことへの無言の非難だろう。命がけの作戦を前に気を緩めるなんてよくないのは確かだ。

 ダンゼルは仲間の気を引き締めようと静かに口を開く。


「頃合いだ」


 ダンゼルの一声で一同が次々に剣を引き抜く。

 ダンゼルは一人一人と目を合わせて様子を確かめていく。

 大丈夫。気が緩んだ奴なんて一人もいない。

 目標に向き直り、深く息を吸う。

 逸る気持ちを抑えて成功するイメージを心の中で思い描く。

 きっとうまくいくはずだ。そう自分に言い聞かせながら気を落ち着かせる。

 

「行くぞ!」


 短い掛け声と共に四人の男達が茂みから飛び出した。

 電光石火。

 各々が脇目も振らず全速力で手近な者へと近寄り、問答無用に斬りつけていく。


「敵襲! 賊だ!」

「さっさと応戦しろ! 数は少ないぞ!」


 そこら中から上がる叫び声を聞きながら、ダンゼルは次の獲物を探す。

 奇襲は成った。

 後は出来る限り敵陣営にダメージを与えて指揮系統の混乱を長引かせながら、最短で馬車を奪取する。

 目標の馬車まではまだ距離があるから向かう道中でもう一人くらいは殺せるはずだ。

 そうダンゼルは見積もっていた。

 しかし、その視線はダンゼルの方へ一直線に向かってくる影に注がれる。

 大剣を持った大男。

 圧倒的な巨躯は、そのまま躊躇いなくダンゼルの間合いに入ってきた。

 そしてその一瞬でダンゼルは悟っていた。


 勝てるワケねえ。


 大剣の一薙ぎがあっさりとダンゼルの手から剣を奪う。

 命の危機にあって、ダンゼルは意味のない思考を繰り返していた。

 そもそも彼らは人外の魔獣を相手にする者だ。

 曲がりなりにも人間の活動領域の限界を駆け抜けようとしている者。

 なんでそんな奴らを出し抜けると思った?


(あいつだ)


 あのエリオットとかいう男。

 あいつの口車に乗せられ、なぜかいけると思ってしまった。

 

 袈裟に斬られながら、ダンゼルは自分を死に追いやった元凶を探した。

 倒れゆく中、同じように殺られている仲間の姿が眼に飛び込んでくる。

 あいつはどこだ?

 あいつは……。


 しかし事切れるまで、ダンゼルは終ぞ彼の死神の姿を見つけることはできなかった。

 この一時で何の意味もなく、七つの命が露と消えていた。


       ✕           ✕           ✕


(よし)


 エリオットはたった今着替え終わった自分の服装をそれなりに整えて心の中で呟く。

 目の前に横たわっている、今しがた気絶させた若い男の髪型を確認し、同じように自分の髪を後ろに流した。

 目指すは不完全な成り代わり。

 商隊の中にはこの男をよく見知ってる者もいるだろうから、そういう奴らに認識されない程度の他人。それでいて彼をよく知らない者には、あんな奴いたなと思われる程度が丁度いい。

 もちろん、余程近づかれなければ顔が見えないこの暗がりの下というのが大前提である。


 エリオットは、背格好が自分に似ていて、他人と接することが少なかった小間使いと思われるその男に目星を付けていた。

 そして、襲撃の混乱に乗じて男を藪の中に連れ込んでから気絶させた。

 その上で自分の服装を、事前に用意していたものの中からその男と似たものに着替えたのだった。


 男の肩を強く揺さぶり、完全に気絶しているのを確認してからエリオットは立ち上がる。

 エリオットはそのまま何食わぬ顔で、未だ襲撃の余韻が残っている商隊の野営地に姿を現した。


「終わったか? 敵は四人だったな?」

「はい。先のを除けば」

「警戒は怠るなよ。まだいるかもしれん」


 襲撃に関しては既に片がついていた。

 ダンゼル達四人は、微動だにせず横たわっている。


 ここまではエリオットの思い描いた通りに事が進んでいた。

 欲をいえばダンゼル達がもう少し善戦してくれればよかったのだが、それは仕方のないことだった。そもそも強い奴がこんな明らかな潰れ役を引き受けてくれるはずがないのだ。

 エリオットにとっては、標的を一瞬でも混乱に陥れ、意識を外へ外へと向けさせてくれた彼らの戦果で十分だった。その一瞬のおかげでエリオットはその内へと入り込めている。


 エリオットが、先刻まで言葉を交わしていた仲間の亡骸を飛び越える。

 罪悪感はない。

 だってそれは彼らが選んだ道なのだ。

 例えるのなら炙られている最中の肉に飛びついて焼け死んだ人間。

 エリオットには自業自得としか思えなかった。

 多かれ少なかれそういう輩はくだらないことで死んでいく。ならばせめて他人の役に立って死ねばいい。

 それがエリオットの死生観だった。


「おい、本当にこれで終わったんだろうな」

「まだこちらが混乱している間に襲ってこなかったということはそういう事でしょう。ただ、森の魔獣を刺激しなかったか気掛かりはありますが」

「おい! こっちは三人も失ったんだぞ。家族への補填もせんといかん。どれだけの損失になるか分かるか?」

「犠牲が出たことに関しては申し訳ない」

「フン! 所詮は傭兵団にも入れんゴロツキか」


 商隊を率いる商人と雇っている護衛の頭らしき大柄な男が言い争っている。隊のリーダー達は後先のことで頭がいっぱいのようだ。

 下っ端達は、いまだ人死にのショックに囚われている者、居るかも分からない森の奥の襲撃者に恐れを抱く者とにわかれ、よもや敵が隊の中に入り込んでいるなどと考えが回る者などいまい。


 エリオットは悠々と目標の馬車へと近づく。

 万一呼び止められても言い訳ならいくらでも出来る。

 念の為ダンゼル達には見当違いの馬車を指し示したが、全く必要なかったようだ。

 馬車が野営地に着いた時に、誰がどの馬車から降りてきたかを見ていれば、本命がどれかくらいは十分予想がついた。

 

 エリオットは馬車の荷台に入りこむと、魔石灯を取り出して炎を灯す。

 控えめな光が布で覆われた狭い空間を照らすと、それはエリオットの眼に真っ先に飛び込んできた。

 簡素な装飾の縦に長い木箱。

 逸る気持ちを抑え、エリオットが木箱を開ける。


「何だコレ?」


 言葉が口をついて出てしまったエリオットだったが、それも無理からぬことだった。

 中に入っていたのは全体くまなく錆びついた剣。

 鞘は朽ち錆びて所々刀身が見えているし、刀身を軽く引き抜けば、やはり中身も錆びついていた。

 軽く引っ掻いてみるとエリオットの爪の間にとれた錆びクズが挟まる。


「は?」


 だが周囲には他にそれらしいものはない。

 そして、刀身にはめ込まれた小さな翡翠色の宝石は、この剣が魔剣たる証、魔鉱石に他ならなかった。

 それに少なくとも商人がこの剣に、危険を冒して運ぶだけの価値を見出したことは紛れもない事実なのだ。


 魔石灯を消し、騒がしくなっていた馬車の外の様子を窺う。

 どうやらライルを追っていた護衛達が帰ってきたらしい。

 荷台の垂れ幕を僅かにずらして周囲を見渡し、誰もこちらを見ていないことを確認してからエリオットは静かに荷台から降りた。


「ちんたら歩いてんじゃねえ!」

「いてっ。押さないでくださいよ」

「てめえのせいでこっちは人が死んでんだよ! 分かってんのか、ああっ⁉」

「ひぃっ」


 ライルはどうやら生きているようだった。

 一緒に戦った仲間五人の唯一の生き残り。

(さすがサイラムの強運者、だったか?)

 ただ、これから彼に起こるだろうことを考えれば、果たして運が良かったと言えるかどうかは分からない。

 ライルは腹いせから二、三人に囲まれて殴られていて、周囲からは嘲笑と野次が飛んでいた。

 仲間を死に追いやった元凶が嬲られる様を見るために、わらわらと人が集まってくる。

 エリオットは怪しまれないように見世物の方を見ながら集団の大外をゆっくりと回る。

 魔剣を手に入れたエリオットとしては、後は不審に思われることなくこの場を立ち去るだけだった。ただそれも、ライルが彼らの鬱憤の捌け口になっている今なら何の苦もなく可能だろう。


 ライルの大げさな喚き声が夜闇に響き、エリオットはほくそ笑む。

 これだけ衆目の関心を引き、かつ彼等が望む姿を全力で体現してくれている。もう彼等も眼が離せまい。

 笑いが止まらない。

 圧倒的に無能だったが、エリオットからしてみれば、素晴らしく扱いやすい、そして最後の最後まで有用な男だった。

(もし無事に豚箱に入れたら差し入れくらいはしてやるか)

 そんなことを思った時だった。


「あ! パイセン! 助けに来てくれたんすか⁉」


 唐突なライルの叫び声に場の空気が凍る。

 エリオットは一瞬遅れて言葉の真意を理解した。

 そのパイセンとやらが誰なのかを。

 ライルが仲間と認識していて、かつ動ける者はもう自分の他にいるはずがないのだ。

 それに何より、ライルの顔は真っ直ぐエリオットの方を向いていた。


 場の全ての視線がエリオットに注がれる。

 だが、当のエリオットは、ただひたすらに混乱していた。

 ミスはどこにももなかったはずだ。そう、今でも思っている。

 現にライルと自分を隔てている距離は、月明かりだけで人を断定できるものではない。おまけに服装も変えている。堂々と敵陣を歩いているのになぜ自分だと断定できたのか。

 それに、百歩譲ってライルが言うように、エリオットが助けに来ていたとしてなぜ自分からバラしたのか。


 自分を捕らえに多くの男達が走り寄ってくるのを他人事のように感じながら、エリオットはある事実に思い至った。

 この、二日前に出会った男の言動。

 その中に、これまで何一つとして理解できたものなどなかったことを。

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