第27話 手書きの数字

 小丸久志からショートメッセージで連絡を受けた後、鮫村課長は部下を率いて散場大黒奉賛会の支部教会へと向かった。たとえ失態を重ねることになっても、警察官としての職務をまっとうしなければならないと考えたのだ。その移動途中で入る、銃声らしき音を聞いたとの通報。トカレフなのか、それとも坊主頭だろうか。


 通報がなければサイレンを鳴らさずに向かいたかったところ。しかし、もし本当に銃声がしたのなら緊急事態が起こっている可能性がある。一刻も早く急がねばならない。現場で立てこもりでも起きている場合は犯人を刺激しないようサイレンを消すべきだが、ここは賭けである。


 先頭を行く鮫村の乗った覆面パトカーが現場に近付いたとき、教会前から慌てて走り出した二台の黒いワンボックス。後続のパトカーに追うよう指示を出し、鮫村は現場前で車を降りた。散場大黒奉賛会の支部教会の前に仁王立ちする坊主頭の巨躯、その隣には愕然と不景気そうにパトカーを見つめているエビス顔の男がいた。


 部下を配置につかせてから鮫村は坊主頭にゆっくりと歩み寄る。すると坊主頭は拳銃の握られた右手を見せびらかすように挙げた。


「あんまり近付かんでください」


 鮫村は足を止め、両手を上げて静かに話しかける。


「キミと話がしたいのだけど」


「トカレフのことですか」


 鮫村の顔に走る緊張。やはり知っているのだ。


「キミがいまトカレフを持っている?」


「まさか。俺のは見ての通り、グロックですよ」


 つまりショッピングモールと霊園に残された九ミリのパラベラム弾は、このグロックから発射されたという訳か。鮫村は慎重に言葉を選ぶ。


「トカレフを持っている者の狙いは、キミなのか」


「いいや、俺じゃありません。まあだからって、俺が安全な訳じゃないですがね」


「では、向こうの狙いは何なんだ」


「そいつは話せませんね。そもそも話したところで、信じちゃもらえないでしょうから」


 何かをごまかそうとしているのは間違いない。ただ、こちらをだまそうとしているようには思えない。ごまかすのと騙すのでは根本的に話が違う。鮫村はこの坊主頭に一定の信頼が置けると判断した。質問を変えよう。


「トカレフの持ち主はここに来ると思うかな」


「来るでしょうね。放っておいてもいつか必ず来る。でも」


「でも?」


「拳銃を持った男が宗教施設に立てこもった、なんてことが大々的にマスコミに報道されたりしたら、もっと早く来るかも知れない」


「どうしてそう思うのかな」


「自分が殺そうとしている相手が警察の監視下に置かれるのは、よほどの馬鹿でもさすがにマズいって考えるでしょう」


 坊主頭はニヤリと笑う。すると、鮫村は何も言わず横に歩き出した。そして男の真正面に立つ。ここに鮫村が立つ以上、背後の刑事たちからの狙撃はできないということだ。


「私は県警薬物銃器対策課長の鮫村だ。キミ、名前は」


 鮫村の問いに坊主頭は平然と答える。


「地豪勇作。以前はよそで警官やってました。ちょっと調べてもらえばわかります」


 それを聞いて鮫村は笑みを浮かべた。


「そうか。では地豪くん、この件を警察に任せるつもりはないかな」


「ありませんね」


「それは何故」


「警察は幽霊退治ができる組織じゃないからですよ。あのトカレフは俺がぶっ潰します。県警はその後で頑張ってください」


 すると、ここまで会話を聞いていたエビス顔が、痺れを切らしたように勇作を指差し鮫村に抗議する。


「何をしてるんだ! 早くコイツを捕まえろ! 拳銃を振り回す凶悪犯だぞ!」


「そいつは無理だな、土蔵部さん」


 勇作は視線一つで土蔵部の動きを制した。


「こっちには人質がいるんだぜ」


「人……質?」


 いささか芝居めいた勇作に、困惑する土蔵部。鮫村は両者の顔を見比べつつ、落ち着いた言葉でたずねる。


「人質がいるのか。何人だね」


「大人四人に子供一人。これをマスコミに流してほしい」


 静かな会話だが、状況としては急展開である。いまこの時点で拳銃発砲事件は拳銃立てこもり事件へと変化した。


「それが立てこもり犯としてのキミの要求かな」


「ええ、そうです。人質以外の信者はすぐに開放します。誰が残って誰が出てきたのか、この土蔵部さんが知ってるから聞いてくれれば間違いない」


「他に要求はないのだろうか」


「要求はないですね。ただあと一つ、お願いがあります」


 要求とお願いに本質的な違いがあるのかどうか、鮫村は知らない。ただ、警察にあまり期待をしていないのだろうことは感じられた。


「お願いか。どんな」


「もし仮にトカレフを持ったヤツを捕まえるチャンスがあったとしても、トカレフそのものにだけは絶対に触らせないで欲しい。そんなことになったら」


「なったら、どうなる」


「あなたが部下を撃ち殺すか、あなたが部下に撃ち殺されるか、どっちかですよ」


 そう言い切ると勇作は踵を返し、教会の中へ戻って行った。




「はいはいはい! 急ぐ急ぐ! さっさと出て行ってくれねえと厄介事に巻き込まれんぞ! 走れ走れ!」


 勇作がグロックを振り回しながら信者たちを追い出している。いかに拳銃や麻薬を密売している連中とは言え、自分に銃口が向けられれば平然としていられないのは当たり前だ。みんな取るものも取りあえず支部教会の建物から走り出て行った。


 “りこりん”が廊下の突き当たりの部屋から顔を出す。


「こっち側には誰もいませぇん」


 曲がり角からはマーニーが。


「こっちにも残っておらんぞ」


 玄関方向から響くのは、勇作の怒鳴り声。


「オラァッ! 戻って来んじゃねえ! 許すも許さねえもあるか! さっさと警察に保護してもらうんだよ!」


 “りこりん”は呆れた顔でマーニーに歩み寄った。


「いいのかしらぁ、アレ」


「ガラの良し悪しをとやかく言っていられる場合ではないからな。早い段階で信者連中を追い出さんと、作戦もへったくれもなくなってしまう」


 とは言え、確かに勇作はちょっと調子に乗り過ぎているような気もしないではない。存外、根はお調子者なのだろう。


 そこに突然ピーピーと、天井から鳴り響く警報音。火災報知器のような激しさはなく、自動車の防犯アラームほどうるさくもない。何と言うか「ほどほど」の警報音だ。


「お、始まったな」


 楽しげなマーニーの横顔を見つめながら、“りこりん”はため息をついている。


「似た者コンビですねぇ」


「何か言ったか」


「別にぃ。ただ間抜けな警報音だなぁって思っただけですよぉ」


 その間抜けな音の出所はわかっている。事務室だ。




 間抜けな警報音の響き渡る事務室では書棚のガラス扉が開かれ、久志と縞緒と釜鳴によって三冊の「散場創始録」の中身が確かめられている。だが本の中に帳簿類が隠されていたりはしなかった。


「何も、ない?」


 久志のつぶやきに、さしもの縞緒も困惑した顔を見せる。


「何もないはずは」


 急いでページをめくっていた手が、ふと止まった。おかしい、この違和感の正体は何だ。ページの隅々まで目を皿のようにして見回し、縞緒はようやく気付いた。手にした散場創始禄の下巻を一旦閉じ、最初のページの右下端に書かれた数字を確認する。4001。普通ならば1だが、そうではなく4001。これはもしかしたら、全三巻でページ数が通しになっているのではないか。


 縞緒は久志のめくっていた中巻を奪うように取り上げると、最初のページを確認する。2001。ならば当然、最後のページは4000となるはずだ。見ればやはり。一巻当たりキッチリ二千ページで、三巻で六千ページまである訳だ。もちろん、これがわかったところで何が判明するでもないが、推理のとっかかりにはなる。と、そのとき。


「ん? 何だコイツは」


 散場創始録の上巻を見ていた釜鳴が声を上げた。久志と縞緒が注目すると、老人は開いたページを二人に見せ指を差す。


「これを見ておくんなさい」


 本の綴じられている部位、いわゆる「のど」の近くに、手書きの数字があった。6。ページ数は157。


「最初のページは?」


 縞緒の問いに釜鳴は上巻を開き直す。


「1ページ目は381でやすね」


「30ページ目は」


「えー、75」


「最後の2000ページ目は」


「えっと、9、ですな。ただ、何でしょうなこれ。二つ目の0が縦線で消してある」


 縞緒は散場創始録の中巻を物凄い勢いでめくり始めた。手書きの数字は3421ページまで見つかり、のどの数字は3、消えている数字は4。それ以降のページに手書きの数字は書かれていない。


「この数字に何か意味があるってことですか」


 ようやく事態を悟った久志が、縞緒の顔をのぞき込む。釜鳴も鋭い目で見つめている。


「……四桁」


 縞緒の絞り出すような言葉に、久志と釜鳴は顔を見合わせた。


「手書きの数字とページ数を並べると、常に四桁の数字になります。ページ数が四桁の場合には、縦線で消された数字以外の四桁に意味があるのでしょう。四桁の数字と言えば、銀行のパスワードかパソコンのPINコード。他には」


 考えをまとめながらつぶやく縞緒の言葉を聞いて、久志は事務机の下に設置してあるPCの起動ボタンを押して回った。


「試してみましょう! 3321で通るかやってみます」


 通る可能性はある。いや、もし自分がこの数字を書いた人物なら、通るように設定するだろう。そして何の情報も得られないPCを漁らせるのだ。銀行のパスワードも同様かも知れない。そう考えながら縞緒は首をひねった。


 何故だ。何故こんなにも沢山、四桁の数字を用意しなくてはならないのか。見せかけのセキュリティのために頻繁にパスワードを変えている、といったところが妥当な解答なのだろうが、果たしてそれだけか。何を見落としている。何か大事なことを忘れている気がする。


「やった! 通った、通りましたよ縞緒さん!」


 大喜びの久志が目をやったとき、しかしそこに縞緒の姿はなかった。

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