グラスとロザリオー1

 夜。グレイスは町の奥に建つ教会を訪れていた。すでに破壊されている。門塀は砲撃で崩れ、戦闘で討ち倒された鉄人形が壁にもたれて沈黙している。町の保安兵による奮闘の跡は随所にちりばめられていた。


 敷地の裏手には、一本の木が健在だった。その根元をグレイスは手近に転がっていたスコップで掘り起こす。この場所には、かつて思い出を埋めたのだった。今日まで来るつもりなど毛頭なかった。捨てた故郷の記憶など忘れたままにしておこうと思っていた。


 ……だが、故郷を焼かれて黙ってられるほど冷酷になりきれていないと恥じもする。


 土が硬い。グレイスはスコップを繰る手を休め、闇を見上げた。崩れた塀の向こうには星空があり、さらに遠くで工業都市の放つ光がほのかに見える。


 故郷の町キヤルナは元々、軍による中継基地として設けられた領域だった。やせた土地だが、深く掘れば油が採れた。基地の運営をする者達がここを家にし、やがて小さな町を開いたという経緯がある。


 軍用地には商人や宗教者が集まり、経済はよく回った。しかしここ十年ほどで油が枯れだし、軍はキヤルナを重要視しなくなった。その結果が今である。中央は応援も寄越さぬままキヤルナを見殺しにした。


 これに関してグレイスは何かを言おうと思っていない。自分も同じ理由で故郷を出た者だからだ。斜陽の町と心中するのは嫌だった。幼い頃から刺激を好む性格だった。だから、


(今頃、同胞達が私を追っかけて来てんだろうなぁ)


 野盗に与した。自分らしく生きられる茨の道がグレイスには心地よかった。


「……にしても」


 額を掻く。


 やられた。マルトから巾着袋をスったとき、あのクソガキも私の得物をスってやがった。


 上衣の内側に仕込んでいる小刀と携帯食をいつのまにか抜かれていた。チビだと思って舐めていたが、一人で戦場泥棒をしている子供だ。洗練された生命力を侮った己の落ち度である。


 ため息が深い。巾着袋の中身と言えば、鼻糞みたいな丸薬や油の小瓶とかいったガラクタしか入ってなかった。勝負でいえば自分の負けだ。


 ガキのくせしてなんて度胸だよ、とたまらず笑う。グレイスも子供の頃は似たような事をよく言われていた。


 肩を鳴らして再びスコップを握る。しばらく掘り下げるととガツン、と手応えがあった。


「来たきた」


 錆びた缶箱が出土した。グレイスは蓋をこじ開け、内容物をあらためる。少女時代にこの町で盗み働きしていた頃の戦利品が少々と、手紙や印刷人影フォトグラフィがまず出てきた。グレイスの家族が写ったものや、採油場に向かう軍用車のあとを追う近所の子、つつましく暮らす町の姿を捉えたものなど、色あせた印刷人影フォトグラフィには懐かしい日々が記録されている。


 嫌悪の末に捨てた訳でないだけに、故郷に対して胸に言いようのない感覚が湧く。否定したのは町で生き続けるだけの未来だ。家族はグレイスが出奔した後、東の工業都市に移住したと聞いている。自身のルーツは、こことは遠く離れた別の土地で、さぞ平穏無事に生きているだろう。


(……む?)


 グレイスは首をひねった。おかしい。たしかに埋める時、この箱に詰めたはず。あるはずのものが箱の中に存在していない。グレイスにとって……鉄錆色の幼少期にあった確かな温みが。


 その時、外でにわかな気配を感じて、闇に身を隠した。教会の前を複数のエンジン音が走ってゆく。


(あれがヤベえ奴らねぇ)


 見知った顔ではなかった。無数の前照灯があたりをまぶしく照らしながら行く。目の前を過ぎる四輪車にまたがる男達は、それぞれ頭髪を刈り上げて攻撃的なタトゥーを顔に施していた。とても同業者わたしを歓迎する集団のようには見えない。鉄人形の装甲を剥がして自身に纏わせている輩さえいる。関わり合うのは危険だね、そう思って接触はパスしようと決め込もうとした。


 だが、できない理由を目にしてしまった。


「エーデル……?」


 後列を走る四輪車に、一般市民が捕らえられていた。檻に詰め込まれているのは、避難せず町に居残った郷土愛者であろう。


 その中に、思い出がいた。


 ちらりと見えた美しい金髪の青年、頬に火傷がある彼は……。


「なんで、逃げてなかったんだよ」


 グレイスが幼き日、共に過ごした少年と酷似していた。あの面影は間違いない。手元の錆びた缶箱に視線をやる。これに入っていなかったのは、彼との思い出の品である。ただ一つだけ、抜き取られていた。


 まさか、彼が掘り起こしたのか。グレイスが町を去った後に……。


 グレイスは闇の中でするりと起立し、音もなく宵の底へ姿を溶かした。


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