その女、グレイス
涼海 風羽(りょうみ ふう)
キヤルナにて、始まりのログ
たまらなく愛おしい思い出の場所へ、引き金を絞る。錆びのように赤い空を一瞬の発砲音が駆け抜けた。静寂を切りさく弾丸は視軸をなぞり斜め上――鐘楼の鐘に突きこんだ。
かぁん、らぁん、弾に
訪れた町キヤルナはすでに廃墟と化していた。先日の戦闘で守り手が敗走したらしい。瓦礫の山に吹く風は砂塵を巻き、夕染めの空に消えていく。鐘が強く響いている。寂しげな音色である。
「グッバイ、マイ、ホーム」
崩れきった景色を前に、銃を降ろした女が一人。茜色の髪は肩のあたりで砂塵に揺れ、
乾ききった風の中、荒野を壁で囲っただけの小さな町。
その女――グレイスの故郷だ。
「二度と来るかよ、くそやろう」
すべて陽炎に燃えた。タイルはめくれ、草花は焼け、
砂をかけるように踵を返した。足を出すたび家屋の屑が砕けて鳴った。
グレイスという女は防備の薄い身なりをしている。濃緑の腰巻に提げた
倒れた家屋で
正面に立つのは鉄人形……機械でできた怪物だった。
「……まだ、いやがったのか」
怪物の口から、排熱の音。頭に輝く赤い両眼が、発光した。
「正直、あんたたちが羨ましいよ」
見上げるほどの巨体が猛烈な勢いで突進してきた。またたく間に彼我の距離が詰められる。
だがグレイスは気だるげだった。銃の撃鉄を押しやってゆるりと構えを整えると
風穴を得た鉄人形はぐらりとその身を大きく躍らせ、地面に崩れた。硝煙の匂いが立ち込める。
頬にかかった機械油を指で拭って、グレイスはそいつの頭を踏みつける。まだ機能しているらしい、火花と漏電が音をたてて散っている。その胸元に一振りの狩猟刀をかざして見せた。
「おやすみ、ボウヤ」
鉄人形のつるりとした顔面は、いたずらな笑みを湛える女を映した。
……頭上で烏が弧を描いている。砂と煙の立ち込める視界は、昔読んだ霧の森のお伽話みたいに思える。グレイスは鼻で笑う。砂と煙のお姫様、それが私だ。
その時、にわかに風が町を駆けた。女の周囲でけぶっていた靄が急に晴れてゆく。
彼女が通って来た道は、無数の
路辺に唾を吐き捨てる。女は銃と刀を
§§§
今から五二〇年前。
人間最後の戦争が終結する。戦にかけた年月は赤子が大人になるほどだった。戦に懲りた人々は平和を求めて互いの壁を取り去ろうと誓いを立てた。国境の撤廃が始まる。
今から二七三年前。
世界は十の国にまとまった。各国の英雄達が緻密で豪胆に進めた偉業は、実に人道的な革新だった。人間の血を、一滴たりとも流させなかったのだ。
彼らが都合よく描いた歴史の上では。
どうして人間が争いを忘れたりできるだろうか。
ロボット兵士。
戦闘用
高度知的無機生命体・
命を持たない戦士達が誕生した。彼らによって英雄達に仇なす者は消されていった。その史実を知る者はいない。語る者がいなければ、歴史というのはいともたやすく書き換わる。
機械達は戦った。血を流したくない人のため、身代わりとして戦った。
今から二二〇年前。
機械達は母なる人類を理想の世界に連れてゆく。平和を前に、人間は己の子供を褒めたたえた。
その頃、機械達は考えていた。
次の敵は、誰なのかを。
……子供は反抗期を迎えるものだ。
今から一五三年前。
人類最後の戦争が始まる。機械達の謀反である。親元を離れてゆく子供達の有り様は、老樹を苗木が吸い取り枯らしていくようだった。世界は人口の九十五パーセントを失い、こうして見事に地上から戦争は根絶した。
果たして本当にそうだろうか?
廃墟ばかりが横たわる世界で、機械は今日も平和を望む。
やすらかな世界を夢に見て、戦う彼らを癒すものなどいるのだろうか。
彼らは旅する、崩れた世界を。
彼らは望む、孤独な地上を生きるすべてに、夢の中で幸あれと。
これは彼らにとって、歌われるはずのない子守歌。
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