【70】たとえ――


 ゲンコツをするとディル君は大人しくマスクを外した。

 連れだって食堂に向かう。


『おはようございます、聖女様』

「うん。おはよう」


 色とりどりのリボンを身につけたメイド姿の私――『カラーズ』の皆が、揃って頭を下げた。

 まだ慣れないなあ、これ……。

 黄色リボンの『シャロ』ちゃんと青色リボンの『アスゥレ』ちゃんが、私たちを席まで案内する。


「ありがと、シャロちゃん。アスゥレちゃん」

『もったいないお言葉です』


 にっこり。まさにこっちの方が聖女だと思わせる微笑み。

 誰かに奉仕すること、誰かの役に立つことに心から幸せを感じている。そんな表情だ。

 私には一生かかってもできそうにない。また懺悔しなきゃ。


「主様はすごいですね」


 ふと、ディル君が言った。


「十二人分の名前をポンと思いついたのもそうですが、リボンの色違いだけで名前を間違わずにいられるなんて」

「ま、昔取った杵柄って奴だよ」


 私は苦笑した。


 現代日本で生きていた頃は、人の顔と名前を必死になって覚えていた。コミュニケーションは怖い。いつ、どこで、どんな地雷が発動するかわからないのだ。

 名前を間違えただけで首が飛ぶ、なんてことも、割と冗談じゃなかった。

 今はもう、遙か昔のことのように思える。


 ――うん。そうだ。

 あの頃と比べたら、私は恵まれている。そう思わないといけない。

 着るもの、食べるもの、住むところ。大切な友人たち。危険を乗り越える力。

 女神カナディア様から、私は本当にたくさんのものをいただいた。

 だから贅沢は言うまい。今、こうして生きているだけでも感謝すべきなのだ。


 たとえ――。


『あっ!?』


 がしゃーん!


『あっ!?』


 ばしゃーん!


『あっ!?』


 ばさばさばさーっ!


「…………」


 たとえ、カラーズの皆が揃ってドジっ娘だったとしても……!!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る