内田善吉(5)
次の日、善吉はどうしても頼子の事が気になり、公園のテーブルに行ってみた。だが、頼子はいない。善吉は頼子が現れるまで待つ事にした。
待っている間、善吉は頼子の事を考えた。
もし頼子も死を待っているのなら、俺はどうしたいのだろうか? 死を待つだけの生活を改めさせるのか? 自分もそうなのに。それともお互い寂しい者同士慰めあいたいのか?
『あ、もしかしてあなたは……』
画面が急にリアルモードに切り替わり、善吉の前に頼子が現れた。
会って話す意味を考えている所に、急に頼子が現れたので、善吉は何を話すべきか言葉に詰まってしまった。
『内田さん……でした? 今日もどなたかと待ち合わせですか?』
『いや、今日はあなたに会いに来ました』
善吉は上手い言い訳が見つからず、正直に話してしまった。
『私に? ……何か御用ですか?』
『あなたが「待っている」と言った意味を知りたかったんです』
『……私が言った「待っている」の意味? それがあなたに何か関係があるのですか?』
警戒されたのだろうか? まあ当たり前過ぎる話だ。逆の立場でも不審に思うだろう。
善吉は頼子に全てを話す決心をした。
『私はここで待っているのです。自分の死を……』
『自分の死……』
『そうです。私は死を待っているのです。幼い頃に両親から捨てられ、成人してからは婚約者に裏切られ、それからは誰も信じられず、ずっと一人で暮らしてきました。結果、歳をとって残った物はわずかのお金と自分の体だけでした……。私はこの世に必要の無い人間です。わずかなお金を寄付し、ここに入所しました。人知れず死ぬ為に……』
頼子は無言だった。善吉の話を聞いているのかどうかさえ分からない。
『あなたの待っている物も、もしかしたら死ぬ事なのかもしれないと思いました』
善吉が話し終わると、しばらく沈黙が訪れた。
『もしそうだとして、あなたにどんな関係があるのですか?』
頼子が沈黙を破って冷たく言い放った。
『それは……』
それは善吉自身にも分からなかった。
『失礼します』
頼子はログアウトした。一人残された善吉の胸に、叫び出したくなるような後悔が押し寄せてきた。
善吉が幼い頃の記憶にある家庭と言えば、罵り合う父と母の姿だった。
善吉が物心付いた時には、すでに両親の仲は修復不可能な程悪くなっており、毎日のように喧嘩に明け暮れていた。そんな両親に決定的な破局が訪れたのは善吉が五歳の時だった。
「お前が産んだんだ、引き取るのは当たり前だろ!」
「あんたが無理やりに産ませたくせに、何言ってんの!」
「そもそも俺の子かどうか分からねえしな」
幼心に両親が自分を押し付けあって喧嘩している事は分かっていた。後程知ったのだが、この時両親は二人とも不倫状態で、別れた後の相手との生活の為に善吉を押し付けあっていたそうだ。俺は邪魔者、いらない人間。その思いが善吉の心に沈殿した。
最終的には母親に親権が渡り、両親が離婚した。新しい家庭でも善吉は邪魔者だった。義理の父となった男はストレス解消に善吉に暴力を振るった。毎日毎日両親の顔色を伺いながら生きる日々。まだ児童虐待が社会問題になる以前の事で、命があっただけでも儲け物だったのかもしれない。
中学に入学すると善吉は家出した。年齢を誤魔化し日雇い労働で生計を立てた。
必死で働き、二十歳になった時に現場の上司に認められ、正社員の道が開けた。だが、身元不明の人間は正社員にはなれない。善吉は覚悟を決めて家に帰った。
義理の父に会うのは怖かった。虐待で刷り込まれた恐怖は、大人になっても消えていない。だが善吉の不安は対面した瞬間に消え去った。大人になり日々の肉体労働で大きく強くなった善吉に、義父は過去の復讐を恐れ、恐怖を覚えたのだ。相手の目に恐怖を見た瞬間、勝負は決まった。
「俺は復讐に来たんじゃない。あんたらが俺の邪魔をしない限りはもう無関係だ」
身元保証の書類を手にした善吉は、もう二度と二人に会うことは無かった。
それからは善吉の人生の中でもっとも幸せで充実した日々が続いた。
やがて結婚を前提に交際する恋人も出来た。善吉と出会った時に彼女は失恋で傷付いていた。人を愛した事も愛された事もない善吉は、精一杯の優しさで彼女を癒そうとした。時間は掛かったが徐々にお互いを信頼し合える関係を築き、無くてはならない人となっていった。
ある日、善吉は出張の予定が短くなり一日早く帰宅出来る事になった。驚かせようと連絡をしないまま、婚約者と同棲しているマンションに戻る。
部屋に入ると玄関で違和感に気付く。男物の靴だ。訳が分からず、奥に入ると聞きなれた彼女の甘い声。
血の気が引いていた。手が震える。頭の中は真っ白だったが、それでも真実を見極めようと体は勝手に奥へと進んで行く。
善吉は震える手で寝室のドアを開けた。
「違うの!」
善吉と目が合った時の、彼女の第一声だ。
何が違うのか?
それからの事はあまり記憶が無い。土下座する男と言い訳する彼女の姿が記憶の片隅に残っているだけだ。
後で聞いた話では、振られた元彼から急に連絡が入って断りきれず、部屋に上げてしまったらしい。過去を謝られ、強引に関係を迫られ、流されてつい許してしまったそうだ。
彼女は何度も何度も泣いて謝った。だが善吉の胸の中にあったのは彼女への憎しみではなく、やはり自分は愛し愛される資格を持たない邪魔者でしかなかったのだと言う、自己否定だった。
結局彼女とは別れてしまった。
別れた後も、彼女は何度も何度も謝り、復縁を頼みにきたが、善吉は受け入れなかった。
許すと一言言えば良かったのかも知れない。言えば今とは違う幸せな人生になっていたのかも知れない。だが善吉は、自分は誰からも愛されない邪魔者だと思い、彼女と生活を続ける事は出来なかった。
それからは一人で誰とも心を通わす事も無く人生を過ごしてきた。
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