第21話


 何事かと思い恐る恐る顔を上げると、運転席のドアが開いた。




「おいで」




 前回会ったときのようにへらへらとした態度ではなく、真剣な眼差しで手を差し伸べる八神は、呆気に取られて動けないでいる麻紀の腕を引いて車の外へ誘導した。

 状況が呑み込めない麻紀の手を握って八神はそのまま走る。

 

 青い着物が風に舞って視界が限られる中、ついて行くしかない麻紀は必死に足を動かした。


 車から少し離れたところに登山道があり、八神は麻紀の手を離さないままその道を駆け上がった。

 少しして二人は茂みに身を隠した。

 息も絶え絶えな麻紀とは裏腹に、八神は涼しい顔をしている。


 麻紀が何が起こっているのか尋ねようと口を開くと、八神が無言で指を立てて自分の口に当てた。

 静かにしろ、という意味らしい。


 すっかり日は落ちたようだが、近くにあるものならうっすら見え、よく分からないものが辺りをうごめいているのが判る。

 それは霧のように分散して、麻紀たちを探しているようだ。


 どのくらい隠れていたのか判らない。

 しかし、茂みから様子を窺っていた八神が麻紀の方を向いたので、少しは安全なのだろう。




「ごめんね、急に。大丈夫?」




 先程の真剣さは消え、困ったように笑いながら首を傾げる八神に、無言で頷いた麻紀は恐々と周りを見渡す。

 その様子に八神はにこりと微笑む。




「今のところは大丈夫だよ。大きな声を出さなければ、ね」



「あの、何が……」



「鶴岡さん、気に入られちゃったみたい」




 何に、と聞く前に麻紀は気がついた。

 前回の墓参りのとき、麻紀の足を引っ張っていたのは、あれだ。




「そうそう。やっぱり鶴岡さんは頭がいいね」




 今にも頭を撫でてきそうな八神を、麻紀は睨みつける。

 馬鹿にしてるのか、と言いそうになったが大きな声を出してあれに見つかったらと思うと、恐ろしくて何も言えなくなった。

 麻紀の様子に満足そうに笑った八神は、握っていた麻紀の手を放す。


 ずっと握っているのを忘れていた。

 離れてしまった今思えば、八神の手はちゃんと温もりはあるのにどこか冷たいような気がした。




「当然だよね。あの時の鶴岡さんは本当に呪い殺しそうな勢いだったもん。ああいうのが気に入るのも無理はないよ」




 やれやれと肩を竦めて見せる八神に、麻紀は先程の感覚も忘れてこぶしを握った。




「鶴岡さん、ストレスのはけ口ってある?」



「ない、ですけど」



「だよねー」




 何なんだ、こいつは。

 麻紀の返答にあっけらかんと答える八神に、麻紀はさらに強くこぶしを握った。




「例えばさ、その拳。ここに思いっきりぶつけてみて?」




 にこにこと自分の掌を向ける八神に、麻紀は開いた口が塞がらない。

 八神はどうして麻紀のことをそんなに見透かしているのだろうか。


 考えても分からないことを考える麻紀を、八神が急かす。

 もうどうにでもなれ、と麻紀は思いきり八神の掌を殴った。




「痛っ、痛いよ。結構力強いね」




 ぷらぷらと手を振って痛がる八神に、麻紀は少し胸がすく思いがした。




「すっきりした?」



「え、」



「割とすっきりするでしょ。ストレス発散すると」




 確かにすっきりした。麻紀は渋々頷く。




「鶴岡さんはもう少し、ストレス発散した方がいいよ」




 明るく言いながら八神は立ち上がる。

 麻紀はまだどこかにあれがいるのではないかと不安で動けなかった。




「今のうちに帰りな。今なら大丈夫」




 そう言って差し出された八神の手を、麻紀は恐る恐る掴んで立ち上がる。

 そのまま来たときのように手を引かれて車まで誘導された。


 車はエンジンもライトも点けっぱなしで、運転席のドアも開いたままだった。

 麻紀が車に乗り込むと八神はドアを閉める。


 シートベルトを締めている最中に運転席側のガラスがノックされ、麻紀は肩をびくりと震わせた。

 見ると八神が困ったように肩を竦めていた。

 迷惑そうに窓を開けた麻紀に、八神が笑う。




「ごめんごめん。怖がらせるつもりはなかったんだよ」




 身をかがめて謝る八神に、じとりと視線を向ける。

 八神は麻紀と目が合うとばつの悪そうな顔をした。




「落ち着いて運転してね。もう追いかけてくることはないから」



「本当ですか?」



「ほんとだよ。あ、でも。もう怖いことを考えるのはやめた方がいい」



「余計なお世話です!」




 窓を閉めるのもそこそこに、麻紀は運転をしようとするが手が震えてギアがうまく入らない。

 八神が麻紀の様子を窺っているが、それどころではない。


 やっとの思いでギアを動かして勢いよく車を発進させた。

 麻紀が発進させると同時に、大きな鳥が高く空に舞い上がる。


 辺りはすっかり暗くなり、麻紀以外の車は全く通っていなかった。

 車内の時計は二十三時を過ぎている。

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