第8話


 会社から自宅までは割と近いこともあり徒歩で通勤している麻紀だが、今日は歩くことが億劫でしかたがない。

 こうしてだらだらと歩いている間にも、何人もの散歩中の老人に追い抜かれた。


 道が線路に差し掛かるにつれて、上り坂になっていく。

 麻紀の足取りはさらに重くなった。


 踏切の警告音が鳴り始めると、麻紀の頭には今日の出来事が押し寄せた。



「鶴岡さん、いつまでお客さんの相手をしてるの! 忙しんだから早くして!」


「ござ一つ運ぶのにいつまでかかってるの! 墓石の掃除なんて私がやればいいっていうわけ?!」


「こんなに使えないなら、あんたなんかクビにして息子雇った方が、金が無駄にならなくていいわ!」



 踏切の警告音と同じようなけたたましい声で、客が居ようが息子が聞いていようが、お構いなしに捲し立てる社長夫人の言葉を思い出して、麻紀は舌打ちをする。


 確かに、耳の遠いおばあさんの接客に時間がかかったかもしれない。

 確かに、麻紀の背丈ほどあり両手で抱えられないほどの太さに巻いてあるござを、倉庫まで一人で運んで戻ってくるのが遅かったかもしれない。

 確かに、提灯を大きな段ボールに詰めて運び出す息子に比べたら、炎天下の屋外にある墓石に雑巾がけをし、砂埃を掃いている麻紀など、使えないかもしれない。


 しかし小さな物を一つ持って、店の中を右往左往するだけの社長夫人に言われたくはない。


 会社は本店と支店の二店舗があり、麻紀は支店に勤務している。

 そこには本店から異動してきた社長と社長夫人、それから社長夫人の小間使いとして扱われている営業兼事務員の園田、もとより支店に勤務している店長がいるのだが、異動が言い渡されて以降、支店はこの踏切の警告音のような声が絶えることはなかった。


 主にこの踏切の警告音を聞かされているのは麻紀であるが、店中どこにいても聞こえてくる。

 社長と店長は朝早くから営業と称して出て行ったきり、閉店近くまで帰ってこない。


 麻紀よりも後に入社した園田は、麻紀と齢が近い男性社員で、社長夫人の目を盗んでよく話すくらいの仲であるが、けたたましい警告音が鳴っているときは、掌を返したように社長夫人の味方だ。


 麻紀が一発ぶん殴ってやりたくなるのも否めない。


 当然、最終日の今日も園田は麻紀の味方をしない。

 自分は社長と社長夫人の言いなりです、と言わんばかりに二人にいい顔をし、息子にあからさまなごまをすり、麻紀のことなど眼中にない。


 力仕事は任せてください、と口では言いながら麻紀の様子が目に入ると、



「大変だね、後で手伝うよ」



 と言ったきり、社長と社長夫人にべったりである。

 終いには喉が渇いたからと、墓石の拭き掃除をしている麻紀に、飲み物を要求する始末だ。


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