第116話 ルーキーズ 後編

 二十階層を超えたあたりから、明らかに階層の構造が変化しているのが分かった。


「ルカ、ストップ! そこ、罠だよっ」


 ミリナの鋭い呼びかけに、先行していたルカがピタリと動きを停めた。


「っと、危ねー……またかよ。ミリナ、これを踏んだらどうなる?」


 だがルカは額の汗を拭うと、ゆっくりと数歩後ずさった。


「この階層の傾向から想定して、発動するとこの辺一帯に麻痺性のガスが充満すると思う」


 もちろん階層そのものが平野や洞窟などの自然物から、人工物――つまり遺跡に変わったというのもあるが……端的に言えば、罠が増えているのだ。


「げっ、マジかよ。踏んだら魔物の餌確定じゃねーか。あんな気色悪いのに生きたまま貪り食われるなんて、まっぴらゴメンだぞ」


 ルカの顔が引きつる。

 さきほどから戦っているのは、無数の触手を持つ軟体動物のような魔物やスライムが主だ。


 どちらも大して強い魔物ではなかったが、一度ライナーが魔物の毒を受け身体が麻痺してしまい、あやうく連れ去られるところだったのだ。


 即座にアリサが魔術で魔物を焼き払い、ターシャが治癒魔術でライナーの解毒を行ったおかげで事なきをえたが、油断できる状況ではない。


 それに、この罠。

 そこは一見、普通の石床だった。

 だが、松明で照らしてよく見てみれば、その箇所だけ他の床より少し質感が異なっていたり、隙間に砂や泥が堆積してないことが分かる。


 もっとも、それはこの場所に罠があると知っていなければ分からないほどの微妙な差だ。普通に通るだけでは、決して分からないだろう。


 それに、罠は床に仕掛けられているだけではない。

 手の付きやすい壁や、天井にも存在する。

 罠の種類も、麻痺毒や溶解液を噴出するものや落とし穴、物陰に据え付けられた弩から矢を発射するものまで様々だ。


 それらを全て発見し回避できているのは、ひとえに盗賊職シーフのスキル《罠感知》のお陰である。


 他の職業のように魔物を剣や魔術で圧倒したり、仲間を癒やしたりすることはできないが、ミリナの役目はとても重要だった。


「だからルカ、気を付けてよ? 僕は罠を発見できるけど、解除まではできないんだからね」


「あ、ああ。おい、お前らも気を付けろよー?」


 ルカは適当に返事をしつつ、後方に付いてきている面々の方を向いてそう言った。


「俺だって分かっているさ。前のように毒を喰らうマネはしない」


「私はルカみたいに先走らないから大丈夫よ」


「もし毒や麻痺に冒されたら、私が治すからねー」


「お前ら、頼もしいな! よーし、ドンドン行くぞ! それにこの遺跡、未探索の場所が多いからお宝ザクザクだしな」


 そう言ってルカが鞄から自慢げに取り出したのは、美しい装飾の施された黄金の首飾りだ。


 ちょうど二十階層目の隠し部屋で見つけたそれは、ミリナの掲げた松明に反射して、ルカの笑顔みたいにキラキラと輝いている。


「まったくもう……」


 ルカはいつもこうだ。


 昔から明るく気さくでみんなをグイグイ引っ張っていく力はあったが、反面、楽観的というか、適当なところがある。


 もちろんミリナもそんな彼のことが嫌いではないし、アリサのことがなければ、ちょっといいかも……と思わなくもない。


 だが、それは平時での話だ。

 こういった危険と隣り合わせの場所では、もっと慎重に行動して欲しい。


(こういうときは、僕がしっかりしないと……)


「ここからは僕が先行するよ。ルカだって、罠に掛かりたくないでしょ?」


「ちぇっ。まあ、ミリナがいれば安心だからな。頼りにしてるぜ!」


「う、うん」


 言葉通り、本当に頼りにしてくれるならばいいのだが。


 なんとなく気になってアリサの方を見ると、プイと目をそらされた。







「おい、あれって人だよな……?」


 二十五階層も半ばに差し掛かったころ。

 ふいに、後ろにいたルカが言葉を発した。


「……え?」


 罠の探索で気を取られていたらしい。


(しまった、僕としたことが……)


 ミリナは慌てて顔を上げると、ルカが指し示す方向を見た。



 ガラン……ガララ……



 ミリナたちがいる通路の先には、広い部屋があるようだった。

 そこから、細々とした明かりが差し込んできている。


 二十階層より深い場所はほとんど遺跡型のダンジョンだ。

 もちろん備え付けの照明などない。


 あるとすれば、冒険者の持つ松明か魔素灯の光くらいだった。


『……、……』


 となれば、ルカの言うとおり先客だろうか。

 ここからでははっきりと聞き取れないものの、人の話し声のようなものも聞こえてくる。


 このダンジョンには、すでに数組の冒険者が探索に入っているだから、ここで別パーティーに出くわしてもおかしくはなかった。


「でも……これ、何の音だろう?」



 ガラン……ガラ……ガララ……



 さきほどから断続的に響いてくる音は、重たい金属を引きずるような音だ。

 それが何かは、ミリナには分からなかった。


「とりあえず、行ってみようぜ。こんな深層で出会う冒険者なら、俺たちよりもずっと先輩方だろうからな。挨拶しておくべきだろう。おーい!」


 ルカはそう言うと、ひとり駆け出していってしまう。

 ミリナが止める間もなかった。


「お、おい待て」


「ちょっと? ルカ!」


「もー、ルカはせっかちなんだから」


「ちょっと! みんなまで……」


 慌てて皆の後を追い広間に出る。



 ガラ……ガララ……



 広間の真ん中に、松明を掲げた剣士風の男がいた。

 全身に鎧を纏い、大剣を引きずりながら、よろよろと歩いている。


 男は兜は被っていないようだが、俯き気味なせいで表情はよく見えない。

 見えないのだが、どうも形がおかしかった。

 顔が細長いのだ。


「おいアンタ! 冒険者だろ? こんなところで出会うなんて……奇遇……」


 男から十歩ほど離れたところで、ルカがピタリと足を止めた。

 ついでに、言葉も。


「……おい、大丈夫か?」


 男もピタリと歩みを止めた。

 カラカラという音も止まる。


「……く」


「ん? なんだって?」


 ルカがよく聞き取ろうと半歩足を踏み出した――そのとき。


「にく」


 ざしゅっ。


 男がそう呟くのと同時に、重たく湿った音が広間に響いた。


「…………えっ」


 ルカはそうとだけ声を漏らすと、がくりと膝を折った。


「……ルカ?」


 何が起きたのか分からなかった。

 分かりたくもなかった。


 けれども今、ルカの背中からは、剣が生えている・・・・・・・


「おま……えら……にげ……」


 ずるり、と横倒しになるルカ。

 彼の周りに、赤黒い血が広がってゆく。

 動かなくなったルカを踏み越えて、男がこちらに歩を進めてくる。


「にく。もっと」


 血でてらてらと光る大剣を担ぎ上げると、男が顔を上げた。


「……ひっ」


 ミリナは息を呑んだ。


 男は、獣だった。


 見開かれた男の目は爛々と輝き、頬まで裂けた牙だらけの口元からは、涎が滴っている。

 鎧の隙間から黒い体毛がはみ出ているし、よくよくみれば、手足の関節の位置や向きもおかしい。


 それに何より……男の持つ大剣が、ドクドクと脈打っているのだ。


「ま、魔物……っ!?」


「クソッ、ルカ! 今助けに……」


「ルカ……ルカぁッ! 許さない……――《業火の柱インフェルノ》ォォォッ!」


 ゴゴウッ!


 駆け出そうとしたライナーの前に出たアリサが、凄まじい形相で火焔魔術を放つ。灼熱の炎が巻き起こり、男の姿をした魔物をあっという間に呑み込んだ。


 だが。


「……うそ。なん――」


 ばしゅん。


 音とともに、彼女の言葉が断たれる。


 男はアリサの隣にいた。

 まるで瞬間移動だった。

 少なくともミリナにはそうとしか認識できなかった。


 凍り付いたような表情のまま、アリサの頭部が宙を舞った。


 頭部を失ったアリサが、ぱたりと横倒しになる。

 身体は二、三度痙攣して、そのまま動かなくなった。


「にく。もっと」


 男――否、獣面の魔人が口の端を歪める。

 大剣からは二人の鮮血が滴り落ちる。


 魔人は、ミリナを見ていた。


「い、いや……」


 ミリナはその場にへたり込んだ。

 恐怖で足腰に力が入らない。

 あの邪悪な眼に見据えられたら、そうすることしかできなかった。


 ルカが死んだ。アリサまで。


 ……今度は、僕を。


 魔人はすぐには襲ってこなかった。

 戦意を喪失してるミリナをニタニタと笑みを浮かべてゆっくりと歩を進めている。

 まるで獲物が恐怖しているのを愉しんでいるように見えた。


「ミリナッ!」


 鋭い声が響き、ミリナは我に返る。

 声のした方を見ると、ライナーだった。


 ライナーは険しい顔で近寄ってくると、グイと片手でミリナの襟首を掴み、無理矢理立たせた。

 それからすぐにミリナを自分の背後に隠す様にして、魔人と対峙する。

 その隣に、ターシャが並び立つ。


「逃げろ。ここは俺たちで食い止める」


「大丈夫。ライナーには私が付いてるから」


 ターシャは振り返りミリナを見ると、そう言って微笑んだ。


「い、や……」


「よく考えろ、ミリナ! 盗賊職シーフのお前だけだろう、ダンジョンの構造を頭に入れているのは」


「で、でも……」


「いいから行け! ヤツが余裕かましている今しかないぞ!」


 ライナーが怒鳴る。

 そう言われてしまえば、ミリナも動くしかなかった。


「ルカ、アリサ、ライナー、ターシャ……みんなごめん……っ!」


 二人に背を向け、一目散に通路に飛び込む。


 背後でライナーとターシャの叫び声が聞こえた気がしたが、それっきり魔人が追ってくる気配はなかった。




 ◇




「はあ、はあ、はあ……」


 あれからどれだけ走っただろうか。

 必死だったせいで、今どの階層かすら分からない。

 けれども、足を止めるわけにはいかなかった。


 少し前から、ひたひたと妙な気配が後を付けてきている。

 気配は、四つ。

 つかず離れずだが、明らかに人ではない。


(あれに捕まったら、僕は、僕は……)


 その先は考えたくなかった。

 だから、とにかく足を動かす。


 だが。


 ――ぺたり。


 なにかぬるついた感触が足首に巻き付いたかと思うと、凄まじい激痛がミリナの襲った。


「がっ……!?」


 同時に身体が言うことを聞かなくなり、そのまま石床にもんどり打って倒れ込んでしまう。


(い、痛……身体……動かな……)


 凄まじい脱力感で、身体が動かすことができない。

 かろうじて動く目で視線を足元にやると、細い触手が自分の足首に巻き付いているのが分かった。


 足首に巻き付いた触手の先を辿ると、うぞうぞと蠢く肉塊が見えた。

 触手型魔物テンタクルだ。


(しまった……僕、アイツに気付かないで……ッ!)


 自分がどうなったのかを自覚する。

 とたん、背筋に冷たいものが走り抜けた。


 助けを呼ぶのに頭がいっぱいで、物陰に潜む魔物に気付くことができなかったのだ。

 盗賊職がこれでは、パーティーの皆に申し開きのしようがない。


「う……ぐうっ……!」


 叫び声を上げ助けを呼ぼうにも、呻き声を上げるのが精一杯だった。

 もっとも、大声を上げられたとしても、こんなダンジョンの奥深くに駆けつけてくれる冒険者などいないだろうが。


 そうしているうちにも、ミリナはズリズリと魔物の方にたぐり寄せられていた。


 この手の魔物に捕えられた冒険者の末路は、ルーキーいびりが大好きなギルドの受付嬢からイヤというほど聞かされている。


 テンタクルは、すぐには冒険者を殺さない。

 何しろ相手は毒が回っていて文字通り手も足も出ないのだから、その必要がないのだ。


 彼らはそうして哀れな獲物を体内に取り込むと、内壁から消化液を出し、少しずつ肉を溶かしながらそれを啜っていくのだ。なるべく獲物を生かしたまま。


 たちの悪いことに、テンタクルの作り出す麻痺毒は、獲物の意識を刈り取らない。すなわち、身体の肉が溶け尽くし絶命するそのきわまで、地獄の苦しみを味わうことになるのだ。


(い、いやだ……こんな死に方……っ!)


 ミリナは涙を流して身をよじり、触手から逃れようとする。

 だが、身体はほんの少し痙攣するくらいで、動くことすらままならない。


 すぐ側で、テンタクルの口吻がガバリと大きく開くのが見えた。


(ひっ……!?)


 気がつけば、すでにミリナは魔物のすぐ前まで引き寄せられていたのだ。

 口吻から粘液が滴り、ミリナの顔に垂れる。

 頬に焼け付くような痛みが走った。


(熱ッ! これ、消化液……いやだ、いやだぁっ!)


 心の中で泣き叫ぶが、身体は動いてくれない。

 もう、どうしようもなかった。

 ミリナはギュッと強く瞼を閉じる。


 せめて、この苦しみから一瞬でも早く解放されるように。

 暗闇の中で、ミリナはそう祈るしかなかった。


 そして……



 ――ばちゅんっ。






 何かが潰れるような重く湿った音がミリナの耳元で響き、ばしゃりと大量の液体が身体にかかる感触があった。


(…………早く、終わって……ッ!)


 だが、いくら経っても、その液体からはさきほどの粘液のように痛みも熱さも感じられなかった。


 それどころか、ふっと身体が軽くなったのだ。

 温かくて、力強い感触だった。


「おい坊……いや嬢ちゃん。……まだ生きてるか?」


 男の声は、ミリナのすぐ側で聞こえた。


(なにが……僕、助かったの……?)


 おそるおそる目を開く。


 彼女の顔のすぐそばに、心配そうな表情をした男の顔があった。

 ちょっとやさぐれていて、それでいて優しそうな顔立ちの男の顔だ。


 ミリナは自分がその男に抱きかかえられていることに気付いた。


「あ……」


「しゃべらなくていい。コイツの神経毒は強力だ。だが解毒剤はあるから安心しろ」


 男の顔に、見覚えはあった。

 けれども、それはあり得なかった。


 だってその人は、ミリナが憧れてやまない、盗賊職ライノ・トゥーリその人だったのだから。


(これ、きっと夢なんだ……)


 けれども男の温かい腕に抱きかかえられていると、なんだか心が落ち着いてきたのも事実だった。

 同時に今までの疲れからか、猛烈な睡魔が押し寄せてきた。


(でも、よかった……きっと僕、助かったんだ……)


 そこまでで限界だった。 

 ミリナはそのまま深い眠りの世界に落ちていった。

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