第90話 『潮騒の海猫亭』
「よう、すまなかったなライノ、それにお嬢ちゃんがた。まあ、ゆっくりしていってくれや」
マルコに案内され、店に入る。
途端、むわっとした独特の熱気と喧噪が、俺たちを包みこんだ。
これは、飯屋というよりは酒場の空気だな。
さきほどまでゴロツキが暴れていたはずだが、店内はすでに何事もなかったかのように賑やかだった。
俺たちが外で戦っている間に、すでに片付けを終えていたらしい。
そういった処理が迅速なのは、いい店の証だ。
見れば、エールがなみなみと入ったジョッキを打ち鳴らす音がそこかしこから聞こえ、酔っ払いたちが大声で談笑している。
彼らのテーブルを見れば、エビ、カニを中心としたシーフード料理が豪快に盛り付けられた皿がいくつも置かれ、思い思いに料理を頬張っている。
席は、ほぼ満席だ。
内装もかなり凝っている。
俺は本物を見たことはないが、これは海賊船の船内を模しているのだろうか。
石積みではなく板張りの壁や床、それに特徴的な丸窓。
大きな酒樽が立食用のテーブルとして、店のそこかしこに置かれている。
すでに出来上がった客たちの様子もあいまって、なかなかそれっぽい雰囲気を醸し出しているな。
「ほえーっ、なんだかすごいねー」
「む。まるで屋台街の全てをこの空間に詰め込んだかのような熱量」
パレルモとビトラも、独特の熱に浮かされたような雰囲気に目を丸くしている。
そういえば、こういうタイプの飯屋に二人を連れて来たのは初めてだ。
年齢的には数千年を生きている彼女らに対して外見的な話を持ち出すのもどうかと思うが、それでも見た目が十代半ばくらいの女の子を酒場やそれに類する飲食店に連れて行くのは何となく気が引けたからな。
「ライノ、こっちだ」
マルコに案内され、店の奥にあるイスのあるテーブルに通される。
「とりあえず、こっちのおまかせでいいか? 酒は?」
さて、どうしようかな。
『海賊風料理』を実際に食べるのはこれが初めてだ。
メニューはあるにはあるが、魚介の詳しい種類もどんな料理なのかも分からない。初めての店だから、念のため予算は多めに持ってきているし、店員であるマルコに任せた方が間違いがないだろう。
「マルコに任せる。酒は糖蜜酒とやらを頼むが、俺だけでいい。二人には、絞った果汁などがあれば頼む」
「了解、任せときな」
マルコが自信たっぷりな表情でそう答えると、厨房に姿を消した。
俺は、そのイカつい後ろ姿をぼんやり眺めつつ、考える。
マルコは冒険者を辞めてしまったのだろうか?
なかなかにウェイター姿が板についているが、さきほどの戦闘はとても冒険者を辞めた人間の動きではなかった。かなり研鑽を積んできたように見える。
それに、他の二人……剣士セバスと治癒術師ケリイのことも気にかかる。
マルコがこうして働いているということは、パーティーは解散したのだろうか。
俺だって毎日ではないが、『彷徨える黒猫亭』で料理を作っているし、依頼が少ない時期にこうして日銭を稼いでいても別におかしくはないのだが。
ううむ……あまり突っ込んで聞くのもヤボだな。
ここは向こうが話を振ってくるまで待つべきだな。
パレルモ、ビトラと談笑することしばし。
マルコが山盛りの料理を抱えてやってきた。
「よう、待たせたな。まずは、コイツからだ」
そう言って、どん、と料理をテーブルに置く。
「おおーっ! エビさんおいしそう!」
「む。これは……エビの……魔物?」
ビトラの感想はもっともだ。
ひと抱えもある大皿に香草やレモンなどと一緒に盛り付けられていたのは、この辺りでは見たことのないような大きさのエビだ。
魔物と表現するにはいささかサイズ不足だが、カニのようなハサミは人間の頭ほどもあり、指でも挟まれたら簡単にちょん切られそうではある。
もっとも、真っ赤に茹で上がっているうえ、甲殻の真ん中から左右に断ち割られているから、その心配は無用だが。
「これは、ロブスターっていうんだ。エビやカニの類いにしては身が詰まっていて、美味いぞ。溶かしたバターを付けて食べて――」
「いただきまーす!」
「む。パレルモ、待って。私の分がなくなってしまう」
ドヤ顔で説明を始めるマルコを完全にスルーして、パレルモとビトラが先を争うようにしてロブスター料理に襲いかかる。
「おいしい……むぐ……あむ……おいしい……」
「む。これは美味。エビと、巨蜘蛛を足してさらに旨味を濃縮した至福の味」
「きょ……なんだって?」
巨蜘蛛とは、脚部分が美味いのでパレルモのダンジョンでよく狩っていた蜘蛛の魔物のことだな。
マルコらには一度魔物料理を食べさせたことがあるが、何の肉かを説明はしていなかった。
とはいえ今それを話すと話がややこしくなる気がする。
適当にスルーしておこう。
「……ああ、ビトラの発言は気にしないでくれ。それより、飲み物をもらえないか」
「おっとすまん、忘れていたぜ。すぐに持って来る」
マルコは怪訝な顔をしつつも、厨房に戻っていった。
さて、俺も二人に食い尽くされる前に食べないとだな。
ナイフとフォークを手に取ると、すでに甲羅だけになりかけているロブスターの身を切り取り、溶かしバターに浸したあと口へと運ぶ。
「うむ、美味い」
噛みしめると、バターの芳醇な香りと一緒に、ぷりぷりとした食感の肉からじゅんわりと旨味が溢れだしてくる。
ビトラが言う通り、これは蜘蛛の魔物に近いな。あちらはもう少し水っぽい味だったが、このロブスターというのは肉の旨味がぎゅっと詰まっていて、濃厚な味わいだ。
「待たせたな。他の料理もどんどん食べてくれ」
マルコが再び料理を盛った大皿を運んできた。
今度は、料理を一人で持ちきれなかったのか、さらに二人の男女が一緒に皿を運んで来ているが……男の方はマルコと同じウェイター服だが、女の方はコックコートだ。厨房からわざわざやってきたらしい。
というか、二人とも見覚えのある顔だな。
「ライノ殿、お久しぶりです。その節は、大変お世話になりました。またもや、我々を助けて頂いたそうで」
「ライノさん、お久しぶりです! マルコに聞いたんだけど、ゴロツキを追っ払ってくれたんですって? ありがとうございます!」
ウェイター服を着た初老の男は、剣士で元執事のセバス、コックコートを着込んだ小柄な少女は、
「あの程度、大したことじゃない。ほとんどマルコが倒してたしな。というか、三人とも同じ飯屋で働いていたのか」
「別に冒険者を辞めた訳じゃあないんだが、まあ、いろいろとあってな……」
マルコが照れくさそうに頬を掻く。
「実は、こっちのケリイが南方の港町で手広く飲食店を経営する商家の出身でな。その伝手で店を出すことになったんだよ」
「私がこの店の店長兼料理長です! 実は私の家、数代前まで海賊稼業をやっていまして。もちろん、今はまっとうな商人なんですけどね」
「そうだったのか」
料理と飲み物をテーブルに置くと、えっへん、と自慢げに薄い胸を張るケリイ。
そういえば、彼女は商家の娘だと言っていたな。
俺が
実家から逃げ出してきたような事を言っていたような気がするが、結局収まるところに収まったということか。
紆余曲折あったのは想像に難くないが……
だが、さすがにその辺を根掘り葉掘り聞くのはヤボというものだろう。
「コイツが店を出すってんなら、俺たちが手伝わない理由はないだろう? それに、この辺じゃ『海賊風料理』は珍しいからな。人手が必要になると思ったわけだ。ここまで繁盛するとは思わなかったが……」
「私としても、執事としての能力が彼女のお役に立つならば、これほど嬉しいことはありませんので」
マルコとセバスが感慨深げにうんうんと頷いている。
相変わらず仲が良い連中だ。
そんな様子を眺めていると、俺の胸の内にある考えが浮かび上がってきた。
……もしも、もしもの話だが。
俺も、勇者サムリたちにパーティーに復帰しないかと言われた時、それを受け入れていれば。そしてヤツらともっと打ち解けていれば。
もしかすると、こういう未来もあったのだろうか。
いや、それはないな。
ほんの少しだけ、胸の内にぼんやりとした感情がわだかまるが、俺はすぐにそれを打ち消す。
今の俺には、パレルモとビトラがいる。
二人を差し置いてサムリとつるむ未来などありえない。
くだらない考えは、ここまでにしておこう。
それよりも、目の前の料理だ。
大きな魚の香草焼きに、見たことのないフルーツも山盛りだ。
ゲイザーそっくりの触手を煮込んだ料理もあるが、これも海産物なのか?
どれもいい匂いだし、何より美味そうだ。
「パレルモちゃんと……ビトラちゃんも久しぶりだね。元気してた?」
「ケリイ! 久しぶりだねっ」
「む。私はいつも元気」
俺が料理に取りかかっている間、パレルモとビトラはケリイと旧交を温めているようだ。
俺はそんな光景をぼんやり眺めつつ、糖蜜酒をあおる。
褐色をしたそれは口に含むとトロリとした舌触りで、味は濃厚。酒精も強い。
これは美味い酒だな。
思わずぐびり、ぐびりと一気に飲み干した。
「ぷはぁっ」
「おお、さすが兄弟。いい飲みっぷりじゃねえか。もう一杯いくかい?」
「ああ、頼む」
……そういえば俺、毒無効スキル獲得済みだったな。
酒は美味いが、こんな時に酔えないのは少し残念だ。
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