【番外編③ 静杏仙人】

(口惜しい…口惜しい……っ)


(忌々しい子供がきめ…!)


 苦々しく唇を噛み締め俯く静杏せいあんはらわたが煮え繰り返りそうな沸々とした感情に拳を握りしめる。

 今までこんな屈辱があっただろうか。静杏は血涙が流れそうなくらい憤っていた。


 「師匠?師匠ー。」


 二人の弟子が側で声をかけるが全く反応しない。二人は顔を見合わせるとヤレヤレと呆れ顔。


 「師匠、ご用が無いならもう戻りますね?」


 「失礼します。」と二人は全く相手にしない静杏仙人に同時にお辞儀をして去っていった。彼らは元々、静杏仙人の旧友である絽柊ろしゅ仙人の元にいた弟子である。


 絽柊仙人は大のお人好しで度々くる静杏仙人の我が儘をいつも笑って応じてくれていた。そのため今回も弟子を二人快く貸してあげていたのだ。

 弟子たちにとってはもう日常茶飯事なので慣れっこである。静杏仙人の性格は人が良すぎる絽柊師匠以外皆知っていた。だがいくら進言しても師匠は信じないのでいつも弟子たちに皺寄せがくる。



 (あんなひ弱で才能もない子供に私が劣っているとでも!!?)


 苛立つ静杏が近くの花瓶を投げつける。花瓶は無惨に音を立てて飛び散った。それでも気が済まず静杏は小机の上の物を全部払い落とした。


 仙人の鏡と謳われ、師匠には将来有望だと褒められ、周りにもちやほやされてきた静杏には耐えがたい苦痛だ。

 とはいえ静杏は地仙になるのはずば抜けて早かったがそれから奢り高ぶり、修行も疎かにしたため未だに地仙のままもう三千年が過ぎていた。

 師匠は見兼ねて遊歴に出たきり戻らず、周りの兄弟弟子は先に小仙になり天界へと旅立ち、ようやく目が覚めた時には時すでに遅し。


 取り残された静杏は一人模索して修行するも上手くいかず、次第に気質は荒れ、ここ最近では頭角を表す道士や地仙を貶める事で自らを宥めていた。


 そんな折に良いカモ…藥忱天尊の弟子を預かれたのだ。ちゃんとした修行をさせる訳がない。こんな才能のカケラもない子供がきは今のうちに身の程を教えてやらねば…静杏は大いにほくそ笑んだ。



 本来ならずっと座禅座禅…座禅しかさせず根を上げたところでそんな簡単な修行も出来ないのか、と叩き出す予定だったが思わぬ事態に静杏は動揺してしまった。しかも藥忱天尊自ら助けに来るとは……


「あんな子供がきのどこがいいんだ!!」


 静杏は堪らず声を漏らす。


 藥忱天尊といえば風変わりではあるが腕は一流。彼の丹薬は死人さえ生き返らせれると言われる。無論、巷で噂される一粒飲めばあっという間に天仙になれるという丹薬も持っているだろう。そんな神仙とお近づきになれたのだ。弟子を預かれば当然貰えるだろうと期待に胸を躍らせていたのに。


 静杏は歯を食い縛り、全身が打ち震える。

 

 (あんな子供より私のが必要なのにっ)


 (ずっと…ずっとこの時を待っていたのに!!)


 静杏はどうやっても小仙になれなかった。その為、もう裏技に頼るしかなかったのだ。


 とはいえそんな貴重な丹薬は人間界には無い。絶望に打ちひしがれていた頃、あのお人好しから藥忱天尊が実は下界にいる事を教えて貰った。


 何とかして取り入ろうと何度も屋敷に足を運んだが会えたのは一度だけ。外聞も気にせず身体に縋りつくように丹薬を強請ったがきっぱりさっぱり断られたものだ。

 あれから数千年が経ち、存在すら忘れかけていた頃、急に尋ねてこられた。


 外見は静かだったが内心悦びに打ち震えていた。弟子とかいう子供をいびりつつ、丹薬も手に入るまさに一石二鳥ではないか、と。

 だがその計画が無惨に砕け散ったのだ。



 静杏は一通り物に当たり散らすと椅子に腰掛け項垂れる。そんなに上手くいくはずがないのだ…神仙相手に。


 トタトタと焦った足音が近づいてくる。


 こんな自分の元へ来るのは一人しかいない。


静杏せいあん仙人、どうしました?」


 聞き慣れた甘ったるい声に静杏は益々胸の不快さが増す。


 彼は床に散らばった物を慎重に避けながら近づいてくると項垂れた静杏の顔を覗き込んだ。


 心配そうに見つめてくる視線すら今の静杏には鬱陶しくて仕方ない。


静杏せいあん仙人…気を落とさないで……」


「煩い!」


 肩に気やすく置かれた手を払い退ける。


 いつもニコニコと悩みの一つもなさそうなこの絽柊ろしゅは自分に何かあるといつも駆けつけてくる。人の良さそうな顔をして内心、私を嘲りにきているのだ…そう思うと静杏は益々苛立ってくる。


「そうやって私を馬鹿にするのだろう!どいつもこいつも…」


静杏せいあん仙人…私は……」


 ブツブツと文句を垂れる静杏を絽柊はオロオロしながらこぼれ落ちそうな大きい瞳で見つめる。


 静杏は身体中を暴れる怒気に自分でさえ抑制する事ができずにいた。溢れ出さんばかりの熱を近くの者にぶつけるしかない。

 静杏は絽柊へ振り向くと怒りをぶつけるかの様に後ろの壁へ叩きつける。急の事で絽柊は激しい背中への衝撃に顔を顰めた。

 こいつをめちゃくちゃにすれば少しは気が晴れる。他に相手もいないし。

 

 冷静さを欠いた瞳が絽柊に近づいていく。静杏は貪りつくかのように絽柊の唇を啜った。


「んっ……」


 絽柊は僅かに身体を震わせたが抵抗せずされるがまま。唇を思い切り吸われ噛まれようと乱暴な舌に内を蹂躙されようと物悲しそうな視線を向けるだけ。


「……何故、抵抗しない…」


 少しはおさまったのだろうか、荒い息を整えるかのように静杏仙人が小さく呟く。


「貴方の気がすむなら、私の仙力全て差し上げてもいい……」

 

 落ち着いた甘い声が耳に届くと静杏の心にまた火が付いた。彼の肩を掴むと力任せに引っ張り部屋の外へと追い出した。


「出て行け!!」


静杏せいあん……」


「貴様のちっぽけな仙力などいらぬわ!!ふざけおって…帰れ!二度と顔を見せるな!!」


 吐き捨てるかのように暴言を吐くと静杏は部屋の戸を思い切り閉めた。石床に転がっていた絽柊は溜息を漏らすとゆっくりと立ち上がり去っていった。



 

 散らかった部屋の中、まるで酔っ払いのようにふらふらと彷徨うと椅子に身を投げ出すかのように座る。


 身体は脱力し、無気力な眼は天井を彷徨う。卓の上を這う手が何かに当たり静杏はチラリと横目でそれを見た。

 それは小さな黒い箱。藥忱天尊がお礼にくれた丹薬だ。


 ハッとなって静杏はそれを掴んだ。僅かに希望は残っていたのだ。天仙になれずとも小仙くらいには……


 期待に薄ら笑いを浮かべる静杏が箱を開けて中のやや大きめの丹薬を喉の奥に押し込んだ。



 静かに息を吐いて椅子に身体を預ける。しばらくして静杏の眼から一筋の涙がこぼれた。




ー終わりー


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