第79話 新たな依頼

 アッシュフィールド家での仮面舞踏会に潜入してから数週間後。


 王宮のローレンスに呼び出しを受け、何やらまた任務を引き受けて戻ったらしいディランは明らかに不機嫌だった。


 エイヴリルを書斎に招くと、極めて気が進まなそうに告げてくる。


「エイヴリル。今から告げるのはローレンス殿下の要望だ。エイヴリルに伝えろという命令を受けたから仕方なく言う。もし嫌なら断ってくれていい……というかむしろ全力で拒否してくれ」

「はい」


「私と一緒にランチェスター公爵領へ行ってくれるか」

「はいかしこまりました! もちろんお供しますわ」

「! ……やっぱりか……」


 エイヴリルが元気よく答えれば、ディランは頭を抱えてしまった。それとほぼ同時にクリスがお茶を運んできてくれる。


「ディラン様、エイヴリル様。まずはお茶でも飲んでゆっくりお話しになっては」

「……話せば話すほどエイヴリルがわくわくするのはお前もわかっているだろう?」

「まあまあ、そんなことおっしゃらずに」


 クリスは、ため息をつきげんなりしているディランをなだめつつ、テーブルの上にティーカップを二つ並べてくれた。


 それを眺めながら、エイヴリルはふんふんと思う。


(なるほど。お茶をグレイスやキーラではなくクリスさんが運んできてくださったところを見ると、これは秘密のお話なのですね)


 この前の仮面舞踏会はとても楽しかった。多少スリリングではあったが、誰かのために役に立てている感覚にわくわくした。それに、ダンスを学ぶため先生と言える存在ができたこともうれしくありがたい。


(もしかして、私にとって『悪女』は天職なのかもしれません。今回はどんなお仕事なのでしょうか!)


 もしやこれはランチェスター公爵領で二度目の仮面舞踏会への誘いが来てしまうのかもしれない、と期待に胸が膨らんだところで、ディランが告げてきたのは予想とは違う話題だった。


「先日、アッシュフィールド家で麻薬取引に関わる名簿を見つけただろう? あの潜入は不正入札の証拠を掴むためのものだったから、麻薬まで出てきたのは全くの偶然だった。しかし麻薬に関わることは重罪だ。ローレンス殿下はさらに詳しく調べてほしいと言っている」


(麻薬取引の捜査ですか……)


 同時に、麻薬取引はよからぬ組織との繋がりを示す。既にアッシュフィールド家にはディランが提出した証拠を盾に捜査が入っている。今後然るべき罰を受けることになるのだろう。


 悪女が活躍する推理小説にハマっているエイヴリルとしてはこの上なくわくわくする話題だが、今さら自分にできることはない気がして首を傾げる。


「……なるほど。ですが、さすがにそういったことは専門の方々がお調べになりますよね? ローレンス殿下から直々にお願いされるほど、私が適任というわけではないかと」


「普通は、チェスで勝ち続けて相手の素顔を晒させ素性を知ることも、暗号を一瞬で解読し記憶することも、現状を躊躇なく判断する決断力も、ヒールを素手で折って数百メートルを駆け抜ける体力も、足のつま先のまめが潰れて血だらけになってもダンスを踊り続ける根性もないはずなんだがな……」


 遠い目をしたディランの言葉に、クリスもニコニコと頷いている。


「そんなご令嬢の話、聞いたことがないですね。もしいたとしたら潜入捜査にうってつけかと」


 ほめるのなら、もうちょっとがんばってほめてほしい。


 若干困惑するエイヴリルだったが、ディランはそれ以上の困惑をもって続ける。


「件の麻薬の流通について詳しく調べていくと、ある人間が浮上したらしい。その人物の住まいはランチェスター公爵領にある本邸の別棟」

「……ランチェスター公爵領にある本邸の別棟」


 ディランの言葉に、エイヴリルは目を瞬いた。


(本邸のお屋敷の敷地内には、妾の方々がお住まいになる別棟があるとお伺いしております。宮殿のような場所だと)


 その宮殿に住んでいるのは、『辺境の地に住む好色家の老いぼれ公爵閣下』の名をほしいままにする、ディランの父親と愛人たちである。ディランは続けた。


「前公爵が最近別棟に招き入れた女の一人が、今回のリストにのっていたとある男爵家の娘なのだという。招き入れたタイミングも含め、関わりがあるのではと疑われているらしい」


(なるほど。前公爵様の評判も含めて考えると、怪しまれるのも納得です)


 領地経営も貴族としての義務も放棄し、宮殿に引きこもる遊び人の爺。疑念をもたれてもおかしくないし、万一当たっていた場合は貴族社会を揺るがす大スキャンダルになるだろう。


(ローレンス殿下はそれを揉み消せ、と? いいえ、そんなことを命じるようなお方ではないし、万一そうだったとしてもディラン様が許さないでしょう。高潔なお方です。……となると)


「つまり、ランチェスター公爵領へは、その方の潔白を証明しにいくのですね」

「さすが話が早いな。その通りだ。私は前公爵とそりが合わない。一人で行ったところで怪しまれるだけだ。ローレンス殿下はぜひ君と行けと言っている。嫌なら拒否しても問題な」

「いいえまいりますわ」


 被せ気味ににこりと微笑めば、ディランは諦めたようにため息をつき、背後で様子を見守っていたクリスは穏やかに笑ってくれた。


(だって)


「私、ディラン様と一緒にランチェスター公爵領に行ってみたかったのです。お屋敷を訪ねることはなくても、ディラン様が心を尽くす領地やそこにお住まいの皆様にお会いしたいと」

「……エイヴリル」

「そうだわ、ディラン様の瞳と同じ色の青い海も見てみたいです」


 そこまで告げれば、つい数秒前まで憂鬱そうに見えたディランの表情が幾分やわらいだ。


「……まあいいか。今回は、私も純粋に楽しむことにしよう。エイヴリルには苦労はかけない」


 無事、結婚式を挙げる前に領地入りが叶うようである。役に立ちたいエイヴリルとしてはディランの「苦労はかけない」に頷くことはできないが、純粋に楽しみたいのは同じ気持ちだった。


(ひとつ気になるのは……ローレンス殿下は前公爵様のことを『すきものの老いぼれクソじじい』とお呼びになり、ディラン様に近づけたくないご様子でした。それなのに、このような調査を……。もしかして、私には何か役割があるのかもしれません)



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