第48話 公爵家の印章とデート①
次の休日。ディランに誘われ、エイヴリルは王都の近郊にあるランチェスター公爵家の別邸へと来ていた。
「こ……こんなところにも宮殿が」
広い庭園と、白亜の城。王都のタウンハウスに引けをとらない荘厳な佇まいの別荘である。少し前までエイヴリルが部屋をもらっていた“宮殿”そっくりの豪華さに、ただただ感動するしかない。
「思えば、エイヴリルに言わせれば宮殿だらけだな。うちは」
「まぁ」
(そういえば……ランチェスター公爵家といえば国内の十ヶ所以上に別邸をお持ちの大富豪だわ)
どうしてそんな名門で大富豪の公爵様が自分のところに縁談を。しかも、多額の支度金と慰謝料つきだなんて。契約結婚すごい、ランチェスター公爵家の事情とコリンナの夜遊びありがとう、と感謝したい気持ちになる。
「……そういえば、昼食を持ってきたのか?」
「ええ! せっかくのお出かけですから、お弁当があると楽しいかと思いまして」
「ここの別邸にもシェフはいる。無理をして持ってくる必要はない。とにかくそのバスケットを持とう」
ディランからの問いかけに、エイヴリルは抱えていたバスケットを高く掲げて拒否する。
「このお弁当は私が作ったのです。ランチタイムまで、私が責任を持って大切に持ち歩きますわ」
「……!?」
途端に、ディランの空色の瞳が信じられないという風に見開かれた。
「昼食を……エイヴリルが……?」
「はい! 以前、私が夜食を作るとお話ししたときに特に抵抗がないようでしたので。一応、厨房の皆様とクリス様にお毒見をしていただいたのでディラン様が召し上がっても大丈夫なものですわ」
「……つまり、クリスはもうそれを食べたというのか。私に何の断りもなく」
「? 召し上がったというか、あの、お毒見ですねそれは」
数歩離れたところからこちらの様子を見守っているクリスに、ディランが絶対零度の視線を送る。
クリスはへらりとした笑みを返してきて、それもまたディランの癇に障ったようだった。毒見をしたから何だというのか。エイヴリルには全くその理由がわからない。
今ひとつ確かなのは、ディランが少し頬を赤らめて不満げな表情を浮かべているということだけである。
(さっきまで穏やかだったのに、急にディラン様はどうしたのかしら)
「あの、ディラン様……?」
「では昼食にしようか。今すぐに」
「!? ええと、まだお昼までは数時間ありますが、もう召し上がりますか……?」
「すぐに食べよう。せっかくだからこのまま庭で。すぐにテーブルの用意をさせる」
すぐに、と繰り返し使用人にテキパキと指示を始めたディランに、クリスが「後でおなかがすきますよー」と子どもにするような声かけをしてくる。
それを追い払うように、ディランはヒラヒラと手を振る。いじけている。明らかに彼は不満を表明しているが、なぜなのか。
(ディラン様は……そんなにお腹が空いていたのかしら)
ということで諸々の疑問はさておき、花々が咲き乱れるローズガーデンには昼食用のテーブルセッティングがされた。
ガーデンソファと低めのテーブル。いつものガーデンパーティースタイルではなく、ピクニックに近いセッティングにエイヴリルの心は踊る。
「本当に夢のような宮殿とお庭ですね! ランチェスター公爵家は国内に十ヶ所以上の別邸をお持ちですわよね。その全てがこのような華やかさなのでしょうか?」
「ああ。歴代の当主たちの趣味だったらしい。それにしても、やはりエイヴリルは相当に詳しいな」
「そんなことありませんわ常識ですし気のせいにほかなりません」
しまった喋りすぎた。
どこかで読んでいて覚えてしまった知識なのだが、一般的な悪女には興味がない情報だったかもしれない。早急に話題を変えよう、とエイヴリルはバスケットを開けた。
「とにかく! 今日の昼食はクレープですわ。お野菜やお肉、果物もたくさん持ってきましたので、好きに巻いて召し上がってください」
「クレープ……」
「クリス様にディラン様がお好きな食べ物をお聞きしましたら、このメニューを。私もこれは大好きなのです。子どもの頃に厨房の方が余った小麦粉と食材で作ってくれた思い出のメニューで……」
悪女の子供時代の話としては随分としょっぱすぎるエピソードである。けれどディランはそこに突っ込むようなことはない。それどころか、うれしそうな表情でバスケットの中を覗いている。
「確かにクレープは好物だが……こうやって昼食として食べるのは久しぶりだな」
「お忙しいですものね。もしよろしければ、私に作らせてください」
この国で、クレープはピクニックなど少し特別なイベントの時に選ばれるメニューだ。執務に追われているディランには無縁なのだろう。
エイヴリルはクレープを一枚取り、そこに野菜とハム、チーズをのせる。そのままくるくると巻いた。バスケットの中には生野菜や焼いた肉のほか、野菜をトマトソースで煮たものや卵サラダも入っている。一見簡単に見えるが、それなりに手をかけた品だった。
「はい、どうぞ」
「……ありがとう」
「ふふっ」
エイヴリルが巻いたクレープを、ディランはものすごくありがたそうに受け取り、口に運ぶ。
「……おいしい」
「よかったですわ! これは私の得意料理で。先ほどはクリス様や厨房の方もおいしいと言って下さいましたし、お腹も壊しませんでした」
「生地にほんのり甘みがあって、具材の塩加減とのバランスがいい。これは本当にうまいな」
「ふふふ、うれしいですわ」
「……もしひとつだけ不満があるとしたら、クリスの方が先に食べたことぐらいだな」
「えっ?」
「いや何でもない」
何か聞こえたのは気のせいだったようである。ローズガーデンには花の香りを乗せた爽やかな風が吹く。
エイヴリルはクレープに野菜やフルーツをせっせと巻き、それをディランが食べる。「エイヴリルも食べるように」と促されたが、微笑んでごまかしてさらにクレープを巻いた。
(味見をしすぎました……)
エイヴリルは夕食の時間まで何も食べなくていいほどお腹がいっぱいだった。朝の時点ではまさかこんなすぐに昼食の時間が来るとは思っていなかったのだから、許してほしい。
一通り食べ終え、食後の紅茶が淹れられたところでディランが徐に切り出す。
「……本当においしかった。子どものころ、母と一緒にこの庭で過ごしたことを思い出した」
ここからが今日の本題なのだろう。エイヴリルは残りのクレープをお皿に置くと、感慨深げな表情のディランに向き直ったのだった。
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