第43話 来客(実家サイドのお話)

 その、少し前のアリンガム伯爵家。


 ランチェスター公爵家へ侵入してエイヴリルと入れ替わることに失敗したコリンナは、自宅へと戻っていた。


「お母様、お父様! 戻ったわ!」

「コリンナ!? あなた、どこへ行っていたの!? リンドバーグ伯爵家……アレクサンドラ・リンドバーグ様からお手紙があって心配していたのよ!? 約束の日になってもあなたが王都に現れない、って……!」


 屋敷のエントランス前、血相を変えて出迎えた母親にコリンナは肩を竦める。


「あら、そのこと? 少し予定が狂ってしまったのですわ。ですから、私はリンドバーグ伯爵家へは参りません」

「コリンナ、何てことを……!? エ、エイヴリルと入れ替わる件はどうしたのよ。もしあなたが行かなくてもあの子を行かせるんじゃなかったの!?」


「思った通りにならなかったの。でも大丈夫ですわ。また策を練りますから」

「策って……それじゃあこの家は、」


 言葉が続かずに固まってしまった母親を遮って、コリンナは妖艶に微笑む。


「それよりも、ランチェスター公爵家の王都にあるタウンハウスは本当にすごかったわ。お城よお城! エイヴリルにはもったいない家だったわ。キャロルが来なかったせいで作戦は失敗しちゃったけど……私、絶対に入れ替わってやるんだから」


 母親は蒼くなって呆然としたままだ。コリンナがアレクサンドラの侍女として仕えることを条件に、アリンガム伯爵家は借金をすぐに返さなくて良くなったのだから当然である。


 けれど、コリンナはそんなことは気にしない。外出用の帽子を脱いでピンクブロンドの髪を揺らすとわがままに言い放つ。


「それに、借金が返せなかったからと言って何なのよ? 近々受け取れる支度金でなんとかなる程度のものでしょう?」


 そこへ、騒ぎを聞きつけた父親が小走りで現れた。


「コリンナ!」

「お父様。ただ今王都より戻りましてよ」

「どうしてここにいるんだ」


「嫌だわ。お母様と同じことを言うのですね。私はアレクサンドラとかいう堅物に仕えるのはやっぱり嫌ですわ。もっと華やかなところへ行きたいのです。そう、たとえばランチェスター公爵家のように……!」

「……」


 目を輝かせているコリンナを、父親は苦々しさ全開の表情で見つめている。そこへ来客を知らせる鐘が鳴り、アリンガム伯爵家の庭には一台の馬車が現れた。


「こちらはアリンガム伯爵家ですね。私はシリル・ブランドナーと言います」


 馬車から降りてきたのは、エイヴリルやコリンナとほとんど年齢が変わらない青年だった。レンガ色を帯びたブロンドの髪を後ろで軽く束ね、眼鏡の向こうからはアメジストの瞳が覗いている。


 来客の手前、父親は平静を保って問い返す。


「シリル・ブランドナー……?」

「はい。アカデミー経由でこちらでの補佐を依頼されまして」

「! ああ! やっと来たのかね。待っていたよ」


 エイヴリルが去った後、アリンガム伯爵は娘が消えた穴を埋めるためにアカデミー経由で求人を出した。しかし、提示した給金が並外れて安過ぎたために期待したような優秀な人材が派遣されてくることはなく。


 それが今になってやっと手筈が整ったのだろう。そう思った父親は、王都から戻りたてで夢物語を喚き散らす娘を置いて、シリル・ブランドナーと名乗る男を書斎へと案内することにした。


 ◇


「先ほどの方はお嬢様でしょうか」

「ああ、そうだ。事情があって働きに出す予定だったのだが……」


 シリルの問いに、アリンガム伯爵は口の端を歪ませる。


(コリンナがアレクサンドラ嬢の侍女として赴かないとなると……面倒なことになった)


 コリンナは自分には選択権があり自由に振る舞えることを当然だと思っているが、実際のアリンガム伯爵家は絶体絶命の大ピンチに他ならない。リンドバーグ伯爵家の機嫌を損ねると、この領地の家も土地も皆取られてしまうのだ。


(アレクサンドラ嬢の提案を受け入れて、しばらくは安泰だと思っていたのだが……元はといえば、コリンナがアレクサンドラ嬢の婚約者に手を出さなければこんなことには)


 深く後悔したところで後の祭りである。しかし、妻の尻に敷かれている彼は文句の一つさえ言い出せなかった。


 外に愛人はいたが、アリンガム伯爵家の切迫したお財布事情が浮き彫りになってからは誰とも連絡が取れなくなった。だから今さら浮気のことを問い詰められても困る。一人で生きていくのは寂しい。


 そんなことを考えていると、背後でドスンと重いものが机に置かれた音がする。


「……これが最近の帳簿ですね」

「君、勝手に何ということをするのだ!」


 そこでは、さっきこの書斎に案内したばかりのシリル・ブランドナーが帳簿をめくっていた。エイヴリルがいなくなってから、この書斎は散らかり放題、乱雑になっている。


 顔を真っ赤にして帳簿を取り返そうとすると、シリルは不快そうに片眉を上げる。


「ああ、お伝えしておりませんでしたが、私はあなたに雇われてここへきているわけではありません」

「何……!?」

「雇い主はアカデミーで、給金もそちらからいただいております」


「そ、それはどういうことなんだ」

「あなたは私に一銭も支払うことなく雑用係を得たことになります。この家の状況からすると極めて幸運ですね」


 シリルは神経質な笑みを浮かべると、帳簿に視線を落とす。


「……それにしても酷いですね。半年前を境にめちゃくちゃになっている。当然、単に書き方の話ではない。中身も酷い」

「……!」


 半年前とは、エイヴリルが出ていった辺りのことだった。アリンガム伯爵が目を泳がせたところで、この家に残っている数少ないメイドの一人が書斎の入り口に現れた。


「……あの、お取り込み中、失礼いたします」


 それは、エイヴリルの使用人仲間――キーラ、だった。

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