第41話 王城にて(ディランサイドのお話)
数日後。ディランは王城にやってきていた。
面会の相手は王太子・ローレンス。遠縁に当たる彼は、きょうだいのいないディランにとって兄のような存在である。もちろん、用件は嘆願書に関わるものだった。
「……ということで、この特例を申請させてもらいたい。真正面から行っては通らない可能性があるから、事前に手を回しておければと」
「それにしてもこんな文言、どこで見つけたのかな?」
楽しそうに笑うローレンスの問いに、ディランは平静を装う。
「婚約者が意見をくれた」
「というと、エイヴリル・アリンガム?」
「ああ。相談したら一発でこの案を出してきた」
「この一文は今年に入ってから追加されたものだな。よく知っていたね。……別に、彼女がランチェスター公爵家にふさわしいか試したわけではないのだろう?」
「もちろん。本当に困っていて、相談した」
「へーえ」
ローレンスは「確かにこの例外を認める一文があれば堂々と手が回せるな」と納得した様子だった。意味深な視線に表情を歪めているディランのことは気にも留めない様子である。
「すごいね。彼女は」
「ああ。アリンガム伯爵家で無能扱いだったことが信じられない」
「いや、そのことではないよ。ここまでディランの心を開いたことだ。お前が誰かに心配事を相談するなんてあり得ないだろう」
「それは……」
なるべく感情を表に出さないようにしていたディランだったが、図星を突かれて言葉に詰まった。
ディランはあまり人を信用することがない。側近のクリスや屋敷の使用人のことはもちろん信頼しているが、深入りはしないように気をつけている。
幼い頃から兄のような存在だったローレンスは、その原因がディランの生まれ育った境遇にあると知っている。だからこそ、こうしてエイヴリルとの関係に興味を持って聞いてくるのだと思えた。
「ディラン。お前は、家の体裁を保つために結婚を決めたものとばかり思っていた。しかし、実際に会ってみると相当に絆されているな。いや、絆されるというよりは……。いやいい、とにかくいい縁だったんじゃないか」
くつくつと笑うローレンスに、ディランは気まずさを隠せない。
「……ローレンスも数日……いや、一日一緒にいて貰えばわかる。彼女はとんでもなく不思議で可愛すぎ……いや、魅力的だ。決して恵まれた育ち方をしていなかったにも関わらず、どうしてあんなに擦れていないのか」
「ああ。それなら私は数時間でわかったな。チェスでは完全に上の空の顔をしながらこてんぱんにされた。あんなに可愛らしいお嬢さんには滅多にお目にかかれない。私も好きなタイプだ。アレクサンドラが許せば側においてもいい」
「……は?」
「いや冗談だ。済まない。そんなに怒るとはな」
揶揄われたようである。大人になっても子ども扱いが抜けない兄貴分にディランは剣呑な視線を向けた。
「とにかく、今回の件は
「エイヴリル嬢はいろいろな意味でランチェスター公爵家にふさわしい存在のようだな。……本人はなぜか“悪女”になりたいようだが。面白いのでもう少し見守りたいから深くは聞かなかったが、一体どうしてあんなことになっているのかな?」
「……それは、」
ディランは返答に困った。ディランとエイヴリルの関係が契約結婚にすぎないことはローレンスすら知らない。
いつか話そうとは思っていたのだが、その前にエイヴリルがランチェスター公爵家になくてはならない存在になってしまったのだ。
もはやエイヴリルには悪女として振る舞う必要はないし、今日今すぐにでも契約結婚をやめてもいい。しかしどうも本人にはその気がなさそうに思えるのが悩ましいうえに、いざ悪女ではないとわかっていると告げようとしたらとんでもなく悲しそうな顔をした。
おかげで、ディランはエイヴリルを悪女らしいと褒めちぎる毎日である。クリスが陰でお腹を抱えて笑っていることは知っているが、ディランもエイヴリルの喜ぶ顔が見たくてやめられない。何とも幸せな泥沼である。
どう答えたものか迷っていると、ローレンスが徐に告げてくる。
「そういえば、この前彼女とチェスをした時、私はとても大切なものを彼女と賭けたんだ。あっさり負けて渡すことになったのだが……それは何だと思う?」
「わからないな」
「印章だよ。ランチェスター公爵夫人が持つはずの、封蝋印」
「……いつの間に。エイヴリルからは聞いていないな」
「だろうね。かわいい悪女はああ見えて賢く鋭い子のようだから。複雑な事情があることを察して、ディランが話してくれるのを待っているのだろうね」
ではなぜ自分の気持ちには気がつかないのか、という不憫な疑問は措いて、ディランは息を吐いた。
「先日の突然の訪問の理由がやっとわかった。そういうことか」
「お前からずっと預かってきた大切な印章だ。あっさり渡すことになるとは思わなかったけどね」
「今度……エイヴリルに話をしてみる。印章のことではなく、私のことを」
ローレンスは「それでいい」と目を細めて続ける。
「社交界では、ディランが悪女好きだと噂が広まっているぞ。この前、アレクサンドラが出席した茶会では、露出多めのドレスと濃い化粧が人気だったらしい」
「……そんなのどうでもいい。エイヴリルさえいてくれれば」
「ははっ。だろうね」
うれしそうに笑い声をあげるローレンスに、ディランは居心地の悪さを苦笑いでごまかすしかなかった。
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