第32話 契約結婚にかかわる秘密の話
「はい。どんなお話にいたしましょうか」
エイヴリルはニコニコと応じてはみたものの、残念なことに王太子であるローレンスに足る話題を持ち合わせていないような気がする。
メイドのグレイスは何かを悟ったのか、ケーキスタンドに焼き菓子を大量に盛り付けていく。これを食べて間を持たせろという優しさなのかもしれないが、いくら何でも二人揃って頬いっぱいにフィナンシェを詰めるわけにはいかない。
(コリンナなら、どんなお話をするのかしら)
参考までに、悪女の手本である義妹の姿を思い浮かべてみる。
(きっと、コリンナはローレンス殿下を誘惑しますね、ほぼ間違いなく確実に)
とんでもない答えが出てしまった。
名だたる才媛であるアレクサンドラの婚約者に姉妹で二度もちょっかいをかけたとなると、アリンガム伯爵家はただの借金返済では済まないだろう。
今度こそ慰謝料まで請求されて、担保に入っている土地と屋敷は確実に消える。それからエイヴリルが貰う予定の慰謝料と支度金まで払ってもまだ足りないかもしれない。
「恐ろしいわ」
「そこまで威圧しているつもりはないんだがな」
ローレンスの言葉に、エイヴリルはハッと我に返る。思ったことが普通に口をついて出るのは、エイヴリルの悪いくせだった。
(しまったわ……!)
「申し訳ございません。つい、意識が飛んでしまいまして」
「……ローレンス王太子殿下、エイヴリル様。会話のお供に、ボードゲームはいかがでしょうか」
慌てて頭を下げると、背後からクリスが助け舟を出してくれた。しかし、明らかに笑いを堪えている声色である。
「いいな。準備してもらえるか」
「承知いたしました」
数分後。目の前のチェス盤を見つめながら、エイヴリルは立ち回りを考えていた。
(チェスのルールは知っているし、使用人仲間の皆とも遊んだことがあるわ。問題は悪女としてどう振る舞うか、ね)
上品に微笑んで夫となる人への来客の相手をするエイヴリルは、次期公爵夫人としてほぼパーフェクトのはずだった。
けれど、その相手は社交界への影響力が絶大な王太子殿下である。「悪女・エイヴリルは意外とまともな淑女だった」という評判が広まり、ディランが「傷物扱いになる前に取り止めよう」と契約を履行してくれなくなったら困るのだ。
(夜の遊び場では、賭けチェスが行われると聞いたことがあるわ。だったら……)
「私は、これを賭けますわ」
エイヴリルは、さっきメイドが大量に盛り付けて行った焼き菓子を指差した。これは、ランチェスター公爵家のこの宮殿で焼かれたものだ。自分が仮の主人なのだから、問題ないだろう。
背後でクリスがごほんごほんごほんと咳き込んだのが止んでから、ローレンスが穏やかに聞いてくる。黒曜石のような美しい髪に手をあて瞬きを多くしているのは気のせいだろう。
「……エイヴリル嬢はいつもこうしてボードゲームを?」
「ええ。賭け事がないと気が進みませんの」
「……なるほど。では、私はこれを賭けようかな」
この国の王太子は賭け事に寛容なようである。エイヴリルの提案に怯むことがなかったローレンスは、小さな箱を取り出して開ける。
その中に入っていた意外なものに、エイヴリルは首を傾げた。
「これは……封蝋? 印章、でしょうか」
「そうだ。これはかつてランチェスター公爵家の女主人が使っていた封蝋印だ。もし君が私に勝ったら、これを渡そう」
(どうしてそのようなものをローレンス殿下が)
女主人の封蝋で閉じられた手紙は、その名の通り家の意思にイコールでもある。もちろん、ディランとの契約ではそれがエイヴリルに預けられることはない。
(きっと、ディラン様はこれをローレンス殿下に預けていらっしゃったということよね。わざわざ今日この場にお持ちだった理由は措いておくとして……。これを賭けの対象にしてもいいのでしょうか……)
ぱちぱちと目を瞬くエイヴリルの戸惑いをものともせず、ローレンスは告げてくる。
「私とディランは旧知の仲でね。さぁ、始めようか。先攻は譲ろう」
(……もしかして、これは私たちの契約結婚に関わっているのかしら)
エイヴリルはぼうっとしたままポーンを手に取ったのだった。
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