第17話 お茶会

 数日後。エイヴリルはディランと同じ馬車に乗り、お茶会が行われる館へと向かっていた。


 物心がついてからというもの、エイヴリルはこういう場に出たことはない。コリンナの家庭教師がこっそり教えてくれたおかげでマナーは一通り覚えているものの、不安しかなかった。


(――これは、契約書にあった“2、妻はランチェスター公爵家の品位を保つための活動に協力する”に基づくもの。……悪女なのだからきっと完璧ではないほうがいいから都合がいいわ。人に迷惑をかけない程度に、ちょっと不躾な振る舞いをすればいいだけ……!)


 そうは思うものの、膝の上に置いた手がぷるぷると震えている。


 基本的におっとりとしているエイヴリルがここまで緊張しているのには理由があった。それは。


「ディ……ディラン様。今日のお茶会には王太子殿下がいらっしゃるのですね……」

「ああ。クリスに聞いたのか」

「はい。……まぁ、全然問題ないのですけれど」


 強がって微笑んでみせるが、頬が引き攣っているのが自分でもわかる。顔の筋肉をほぐそうと頬をもみもみしていると、隣に座ったディランが空色の瞳を丸くした後で吹きだした。


「……くっ。その仕草は、噂に聞くエイヴリル・アリンガムらしくないな」

「!? そうでした……ではない、昼間のお茶会用の表情をつくっているのですわ。どうかお気になさらず」


 エイヴリルのお手本、コリンナは夜遊びに明け暮れていて普通の社交はあまり好きでなかった。きっと、彼女も同じ立場になったらそこそこ緊張していただろう。


 エイヴリルが硬くなっているのを感じ取ったらしいディランは、ふっと笑ってみせた。


「君のことは婚約者として紹介するが、あまり慣れていないのなら無理することはない。私の隣を離れず、微笑んでいるだけで大丈夫だ」

「……よ、夜遊びと火遊びが忙しくて、普通の社交は久しぶりですの」


「君の言う“夜遊びと火遊び”の意味を詳しく聞いてみたいものだな。一般的に広く認知されているものとは相当かけ離れていそうだ」

「!?」


 エイヴリルに取り繕うのはもう無理だ。これ以上聞かないでほしい。


 しかし、エイヴリルの隣のディランはとても楽しそうである。まとった空気が柔らかく、初対面の時の冷静な表情が嘘のようだった。さらに突っ込んで聞かれる前に、早急に話題を変えなければいけない。


 こほんと咳ばらいをしたエイヴリルは、できるだけ自然に切り出した。


「ディラン様。招待客のリストがあればお見せいただいてもよろしいでしょうか」

「ああ。しかし何に使う?」


「私は無能の悪女ですので、むやみやたらに絡んではいけない方を把握したいと思います。次期公爵夫人としてそれなりに振る舞う契約ですから」

「……」


 意外なことに、ディランはすぐにリストを渡してくれた。それを見つめながらエイヴリルは考える。


(素顔をさらすことのない仮面舞踏会とはいえ、コリンナの素性を知っている人がいるかもしれないわ。招待客を把握しておくに越したことはないはず)


 コリンナは夜の社交の方が得意だったが、稀に両親について社交の場には参加していた。アリンガム伯爵家の書斎を管理していたエイヴリルは、その招待客のリストを覚えている。


 加えて、エイヴリルとコリンナは異母姉妹にしては不思議なほどに外見が似ているのだ。しかも、ピンクブロンドと碧い瞳はそっくり同じ。仮面で顔の大部分を隠してしまえばどちらなのかわからない。


(よかったわ。コリンナとお茶会や普通の夜会で顔を合わせたことがある方はいらっしゃらなそう)


 ほっとして息を吐くと。


「無能の悪女、か。君が言うと随分かわいい言葉に聞こえるな」

「!?」


 突然、ディランが柄にもない言葉を告げてくるので、エイヴリルは目を瞬いた。


(ディラン様って、こういうことを仰る方だったかしら!?)


「ええと……お世辞をありがとうございます……?」

「いいや。心の底からそう思ったから、口にしただけだ」

「……!」


 これまでの人生で、あまり褒められることのなかったエイヴリルは悪女のふりをするのをすっかり忘れてしまう。


 ぽかんとしたエイヴリルと、気だるげに椅子に腰かけながらこちらを見つめているディランの視線がぶつかったとき。


 ちょうど、馬車は目的地に到着したのだった。




 ディランのエスコートで馬車を降りたエイヴリルは、目を見開く。


 白亜の館に、花々が咲き乱れる庭。そして、整然と並んだ豪奢な馬車。ランチェスター公爵家には及ばないにしろ、エイヴリルにとっては華やかすぎて眩しい場所だった。


「ここにも宮殿があったのですね……!」


 そこまで口にしてしまったところで慌てて口を噤む。エイヴリルは悪女なのだ。お手本であるコリンナは、こんなところに出入りし慣れているに違いない。


(笑われている……ような……)


 隣と背後でそれぞれ笑いを堪えている気配がする。ディランとクリスからの視線を気づかないふりで押し切ることにしたエイヴリルは、ディランのエスコートを受けて澄ました表情をし、敷地に足を踏み入れた。



(……待って)


 その先に待っていた光景に、エイヴリルは固まった。


 ひときわ注目を浴びる、背が高くて煌びやかな黒髪の男性。それは、紛れもなくこの国の王太子――ローレンス・ギーソンだった。


 そして、その隣にいるのは。


「――王太子殿下のお隣にいらっしゃる方って。アレクサンドラ・リンドバーグ様では」


(コリンナが仮面舞踏会で一夜を過ごした殿方の元婚約者の方……! さっき見たリストには名前がなかったのに……!)

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