第7話 こんなに好条件の契約でいいのでしょうか
「……君はどうしてそんなにうれしそうなんだ。三年が経ったら、傷物としてこの家から放り出されるんだぞ?」
「あら。公爵様こそ、どうしてそのようなことをお気になさるのです? この契約書を作成なさった時点で織り込み済みでは」
おっとりと首を傾げるエイヴリルに、ディランは理解できないという表情を向けてくる。
「これは淑女にとって屈辱的な契約と理解している。顔色を変えずにこんな契約を申し入れる私のことをひどいと思わないのか」
「ええと、私がこれまでに出会った中ではトップクラスに優しいほうです」
「は?」
「いえ何でもありませんわ」
(いけない、また余計なことを)
エイヴリルは慌てて口を噤んだ。
この契約は、生きていく資金と自由のどちらも欲しいエイヴリルにとっては願ってもないものである。そうと決まれば、目の前の美貌の公爵様の気が変わる前に早急に締結せねばなるまい。
「と、とにかく契約書を拝見いたします。声に出して読み上げさせていただいてもよろしいでしょうか」
「好きにしろ」
許可をとったので、エイヴリルは早速契約書を読み上げる。
「いち、二人は婚姻誓約書を提出し婚姻を結ぶが形式上の夫婦となる」
「契約結婚とはいえ、婚姻宣誓書の提出はしてもらう」
「当然ですわ。問題ありません」
一つ目の項目は至極まともなものだった。しかし、問題は次からだった。
「に、妻はランチェスター公爵家の品位を保つための活動に協力する。それ以外は妻として振る舞う必要はない……?」
目を瞬いたエイヴリルに、ディランは事もなげに告げてくる。
「そのままの意味だ。公爵夫人としての役割があるとき以外は好きに過ごしていい」
「な、なるほど」
どうやら、これはとても恵まれた契約らしい。心の中で感謝し手を組んだエイヴリルは、続きを読み上げる。
「さん、部屋は別に持ち、お互いの行動に干渉しない」
「君の素行の悪さは聞いている。遊びまわるのも自由にしてもらって構わないが、この三年間だけは遊び相手の婚約者に訴えられるのはやめてもらいたい」
「素行の悪さ……?」
(私って……素行が悪かったかしら)
エイヴリルが首を傾げると、ディランは心底不思議そうな視線を送ってくる。
「……仮面舞踏会」
「! そうでした仮面舞踏会ですね! 行きます行けます行ったことありますわ」
(そうだったわ! 公爵様は私を悪女だと信じていらっしゃる。悪女・エイヴリルだと)
誤解されたままでいても特に困るようなことはないし、別に今ここで弁解しなくてもいいだろう。そう納得したエイヴリルは、残りの二項目を続けて読み上げた。
「し、結婚式は然るべきタイミングで行い、妻はそれに協力する。
ご、三年が経ったらこの契約は満了とする。その際には妻に相応の慰謝料を支払う」
一通り内容を確認したエイヴリルは改めて目を丸くした。
(こんなの……! どう考えてもおかしいわ。私にとってはいいことだらけ……!)
「あの、これ……私に都合が良すぎないでしょうか」
「は? どこがだ。よく読んだか? 公爵夫人として嫁がせておきながら、何の権力も名誉も与えず、三年間も飼い殺しにする契約書だ」
「……」
(確かにそうかもしれないけれど……)
エイヴリルは、手元の温度を感じない文字ばかりの契約書と、目の前で整った顔を引き攣らせているディランを交互に見比べる。そして微笑んだ。
「あの、公爵様は……とてもいい人ですね」
「は? 俺が?」
ディランの顔には「君は一体何を言っているんだ」と書いてある。相当に驚いたらしく、貴公子らしい言葉遣いが崩れていた。
とにかく、この契約内容は資金を得つつ自由に生きたいエイヴリルにとって願ってもないものだ。サラサラとサインを終えたエイヴリルは、契約書をディランに手渡す。
そして、一つだけ疑問を思い出した。
(そういえば、さっきエントランスのところで「素行の悪さを買って縁談の申し入れをした」というようなことを仰っていたけれど……どういうことなのかしら)
「あの、公爵様。伺ってもよろしいでしょうか」
「何だ」
「もしかして、『悪女のエイヴリル』に結婚を申し込んでくださったのは、離縁前提だからですか……? 悪女の私なら、社交界での評判はこれ以上落ちようがないですものね。むしろ、元公爵夫人を名乗ることで新たな道が開ける可能性もありますし」
「……君は遠慮というものを知らないのか?」
決まりの悪そうなディランの引き攣った笑みに、エイヴリルは自分の推測が当たっていることを知った。
(……ええと、つまり私って……)
(悪女じゃないとわかったら、実家に送り返されるかここから追い出されて一文無しになるのでは!?)
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