第3話 無能才女

 両親・義妹との会話を終えて書斎に立ち寄ったエイヴリルは、閉めたばかりの扉に寄りかかり目を閉じた。


(何というお話なのかしら……!)


「とっても素敵だわ。だって、私、この家を出るのが夢だったんだもの……!」


 ◆


 十八年前、エイヴリル・アリンガムはアリンガム伯爵家の長子として生まれた。


 柔らかな淡いピンクブロンドの髪に深みを帯びた碧い瞳。誰もが目を見張る美しい少女だったエイヴリルは両親に慈しまれ、幸せな人生を送るかに思えた。


 けれど、五歳で母親が急逝したことをきっかけに、エイヴリルを取り巻く環境はがらりと変わってしまったのだ。


(お母様が亡くなってすぐにお父様は再婚し、お継母様と義妹のコリンナがこの家にやってきたのよね。コリンナは見分けがつかないほどに私と外見がそっくりだった。……あの頃は、コリンナと年齢が同じことをかわいそうと言われるのが理解できなかったけれど、今ならなぜなのかわかるわ)


 それでも、初めは何とか家族の一員としてやれていたはずだった。しかし、程なくしてエイヴリルの物覚えの良さが抜きんでていることがわかり、状況は悪化した。


 家庭教師が付く年齢になると、エイヴリルはたった一度読んだ本を暗唱し聞いた曲を歌い演奏するようになった。一度教わったことは忘れることがなく、そして間違いがない。


 普通なら天才と褒められてもおかしくはなかったし、実際にそう持て囃されたこともあった。けれど、アリンガム伯爵家の面々は違った。


(私のこの能力は、お継母様とコリンナがアリンガム伯爵家に入ることを最後まで拒んだおばあ様と同じもの。二人が私を憎むのは自然なことなのかもしれない)


 結果、エイヴリルの能力は蔑まれるべきものとして家族の中に定着し、どこをどう飛躍したのか無能だと言われてきた。


 当然、伯爵令嬢としての振る舞いは許されるはずもなく。使用人同然の扱いを受けて、いつの間にかエイヴリルは18歳になった。


 ◆


 回想を終えたエイヴリルは、書斎をぐるりと囲む書架を見上げる。


(……屋敷内のお掃除も小間使いとしての仕事もお父様のお仕事の手伝いも、嫌いではないしわりと楽しかったから別によかったけれど……今回、嫁ぐのは本当に私でいいのかしら……)


 エイヴリルにとって、アリンガム伯爵家を出て行くことは念願だった。けれど、同時に心配になってしまう。


「お父様やコリンナはどうでもいいわ……でも、使用人の皆が困らないようにしなくては」


 この書斎はアリンガム伯爵である父親のものだが、実際に使っていたのはエイヴリルだ。今後、この家のために必要になるであろう書類をまとめていると、扉が開いて父親が現れた。


「エイヴリル。公爵家への出立は明日の朝だ。お前はもうこの家の人間ではなくなる。この書斎にはもう入るな」

「ですがお父様。これまでこちらの書類の管理は私が、」


「明日からはもっと優秀な人間を雇う。アカデミーの大学部にでも言えば、お前よりもずっと優秀な者がわんさか来るだろう」


 きっと、その元手になるのはエイヴリルが嫁いだことで手に入る支度金なのだろう。自分には、一体どれだけの高値がついているのだろうか。エイヴリルはゆっくりと瞬いた。


「私よりもずっと優秀な方はたくさんいらっしゃることでしょう。しかしどんなに優秀な方でも状況の把握に手間取っては、」

「理屈っぽい女は嫌われるぞ。お前にもコリンナのようにかわいげがあればな。……公爵様に追い出されて戻ってくるのはやめてくれよ? それではうちの家名に傷がつく」

「……」


 取り付く島もないとはまさにこのことだ。


 エイヴリルは、この家では好まれない記憶力の良さを生かして父親の仕事を手伝ってきた。補佐として莫大な書類や資料の内容を把握する。そうすれば、父親は何がどこにあるのか、どれがどんな状況なのかを知ることができた。


 けれど、その便利さを妻やコリンナの機嫌と天秤にかけた結果、手放すのもやむなしという判断に至ったらしい。


(私は、お父様ではなくこの家の使用人の皆様や領民のためにお仕事を手伝っていたのよね。せめて、お世話になった皆様が困らないようにしたいのだけれど)


 しかしそれはどうやら無理らしい。


「承知いたしました。失礼いたします」


 アリンガム伯爵家の行く末を思いながら、エイヴリルはため息をついて書斎を後にしたのだった。

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