天は見ている

 石川は、おだやかで謙虚けんきょな人間として会社の中でも評判だった。

 後輩相手にも丁寧ていねいな話し方をして、自分のことを大きく見せようとすることもしない。相手がどれだけ石川に酷い対応をしてくる上司でも、うやまうことを忘れてなかった。

 そんな石川の後輩である松村は、石川のことを尊敬していた。あそこまで人間として素晴らしい人はいないと思った。正直な話、面接の時に会った社長よりも尊敬できるほどだった。

 とある日のこと。

 松村は、仕事でミスをしてしまった。上司にひどく怒られて、気分も落ち込んだ。だが、それ以上に腹立たしく思っていた。

 何故ならミスの原因は、本当はその上司にあったのだ。上司はそれをひた隠しにして、他の社員にも聞こえるように怒鳴ってきた。上司の評判が悪いのは、入社時に聞いていたがこれまでとは思わなかった。

 松村はむしゃくしゃして、社員食堂でいつもはカロリーを気にして食べないカツカレーをガツガツとかきこんでいた。

「おや、松村さん。珍しいですね、いつも低カロリーのものを好むのに」

「あ! 石川さん、聞いてくださいよ! さっき平井のダメ上司が――」

 松村は、石川に先ほどの顛末てんまつを話した。怒り心頭で、まくしたてるように話す松村を石川は、頷きながら聞いてくれた。

 ひとしきり不満を話し終えると、石川は口を開いた。

「松村さん。あの人は、確かにあまりいい人とは言えませんが、上司であることは変わりません。自分が下手に出ることも必要なことですよ」

 その答えに、松村は面を食らう。いくらなんでも、人ができすぎていないかと。

「……私は、石川さんみたいになれないですよ。逆に、どうして石川さんはそんな風になれるんですか?」

「別に私は特別なことはしてないですよ。ただ、天が見ていることを知っているだけです」

「天が……見て、いる?」

「はい。すべてのことは、天が見ています。貴女に酷い対応をした平井さんも、必ず天が見ていて、それに対する罰が与えられるでしょう」

 その時。ガシャン、と何かが割れる音が響いた。見てみると、件の平井が食器を落としてスーツを汚していた。

「ちなみに、あのスーツはブランド物で、10万円は軽く超えるものだとか」

 石川は、ぽつりとささやく。いつもと変わらない穏やかな口調で。

 松村の背筋に何か冷たいものが流れた。

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