崔浩先生の「老子」ごっこ2 兵法としての老子
ヘツポツ斎
はじめに また老子!?
ごきげんよう、
だから
なに、兵書? 老子を?
老子兵書一卷――兵隂陽
(鄭樵『通志』巻68)
未嘗有一章不屬於言兵也。
(王真『道德真經論兵要義』)
道德經幾於用智也,與管仲、孫武一樣。
(蘇轍『老子解』)
道德經是言兵者師之,言兵者之祖。
(王夫之『読通鑑論』)
ふむ。
後世人は興味深いものの見方を
するものであるな。
もともと老子は孫子と近い表現をしている。
またデレク・ユアン『真説 - 孫子』では、
老子のベースとなったテキストから
孫子が生み出され、その孫子にあらわれた
諸マテリアルが帰結、現『道徳経』に
つながった、とも書かれておる。
ならば老子が兵書の性格を帯びるのも、
また当然なのやも知れぬ。
とは言え、ならばどのようにして
兵書的に検証しようか。
取っ掛かりがなければ始まらぬ。
すると、
『
道徳経八十一章を兵書的に解釈した
本をものしていた。
長い。以下王真本と書かせていただく。
そこで本ごっこにては、
老子の原文と王真本の内容を対照、
検討を加えつつ、作者の独断で
軍事的提要を導いてみたいと思う。
なにぶん王真本は唐代の文章であり、
また歴史著述とは明らかに
性格が異なるため、どこまで妥当性の高い
解釈をものせるかはわからぬ。
故に、やはりこちらも「ごっこ」である。
諸賢よりのご鞭撻無くば、
到底まともな解釈も成立せぬであろう。
つばにマユをつけつつ
お楽しみいただければ幸いである。
◯王真先生の紹介
王真本冒頭では、同書が成立したときの著者の官位を、以下のように記す。
朝議郎・使持節・漢州諸軍事
守 漢州刺史
充 威勝軍使
賜 徘魚袋
基本的には、いわゆる
その王真が 809 年に、時の
と軽く絶望していたら、もう一つ序文が付されていた。ひと安心である。老子、すなわち陛下の遠き先祖(唐帝の姓は李で、老子の名である
ふむ、この内容は、なんだかんだで
……大丈夫か王真本、いきなりクソ本の匂いがして参ったぞ?
議論とは、ブレぬ柱がきっちりと立った上で為されねばならぬ。そこを踏まえて老子道徳経を読めば、あんなクソ継ぎ接ぎだらけの雑説の塊にそもそもの柱の立ちようが、ない。そんなてんでんばらばらの書物を捕まえて、特定の目的があると、こちら都合のテーマを押し付けて、論じるだと? 継ぎ接ぎだらけのあばら家を、そのめちゃくちゃぶりに立脚して更にハリボテをゴテゴテと飾り立てるに他なるまい。たとい王真が優れた地方長官であり、地方総司令であったと仮定したところで、まともに透徹した議論になるとは、到底思えぬ。さてどうしたものかな。
とはいえ、これは一読前のクソ予断に過ぎぬ。通読後、「作者も適当にぶっこきおって、だから我が王真本を通読に値する本であったと言ったではないか」と言い出す可能性も、無いではない。そうなることを願いたいものである。
道德经是一部哲学著作,也是部兵书。
(郭沫若『中国史稿』)
うっわずりぃ。
老子道徳経 私訳
https://kakuyomu.jp/works/1177354054888553851
道德經論兵要義述狀 原文
https://zh.wikisource.org/wiki/%E9%81%93%E5%BE%B7%E7%9C%9F%E7%B6%93%E8%AB%96%E5%85%B5%E8%A6%81%E7%BE%A9%E8%BF%B0
道德經論兵要義述狀 研究論文
江淑君
王真『道德經論兵要義述』的兵戰論述
http://xiaoan.web.fc2.com/dongyahanxue/paper/no6/papers/6.pdf
タンスにでもぶち込んでおけ
崔浩8 父の死と老子 - デイリー中原戦記 https://kakuyomu.jp/works/16817330656902572391/episodes/16817330660541156344
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