殺し屋じゃ駄目ですか――。

プロローグ 「最悪」

なんとなく。

そう、なんとなくだ。


俺が殺し屋を始めた理由は、なんとなく、だ。

両親は幼いころにこの世を去ってしまい、俺は名前すら憶えていないどこかの家庭に引き取られた。

そこでの教育が少し歪んでいただけだ。刃物の扱い方、効率の良い大量出血させる方法、テレビのリモコンだけで相手を殺す方法、自分より背の高い相手への対抗方法。

色々叩き込まれた。唯一まともだったのは、マルチリンガル教育、それだけだ。あとは血に塗れたときの対処法他、殺しに関わる技術だけ。

物心つく前から、自然と教え込まれていたらしい。俺が十二歳に行きそうな時だっただろうか。初めての殺しを行った。


ターゲットは大手証券会社の幹部。なぜ殺すのかよくわからなかったが、言われるがまま拳銃を手に、奴を尾行した。


簡単だった。そして、


――楽しかった。


飛んでくる血液は、どうもおいしくてたまらない。人によって味が変わるのも特徴。全身に返り血を被ってしまった時はどうしたものかとても慌てたものだが。

こうして、初めての殺しをした後、おおよそ四年が経過したころだろうか。


〈2046年6月9日〉

しまった。

やらかした。


「一織…君……?」

「チッ」

殺しの現場が見られたのは、四年間の殺し屋稼業の中で、今日が初めてだ。

時刻は二十二時を回り、あたりは街灯無では歩くことすら恐怖を覚える暗さだ。路地裏でカラフルに輝く自販機の明かりと、電柱に釣り下がる蜘蛛の巣だらけの蛍光灯の下、俺は殺しの現場を見られてしまった。


――カチャリ。

一度ホルスターにしまったピストルを、再度引き抜いて銃口を目撃者の眉間に一ミリの誤差も無く向ける。その時、金属と金属が優しく擦り合わさり、音階としては高いものの十分恐怖を感じさせる音が深夜の路地裏に響き渡った。


俺は殺し屋。


履いたブーツはあらゆる匂いが付着しないよう特殊加工がされている。一足十万円は下らないその代物に、流れてきた相手の血がどろっと付着した。水溜まりの上、俺はピストルを片手で構えて静止する。


なぜバレた、そんなことはどうでもいい。


殺しを見られたのなら殺すまで。


「私を……殺すの……?」

彼女は、長い髪の毛を微細に震えさせていた。そして細く華奢な体も。でも不思議と、銃を突きつけられても動かなかった。そして涙も流さなかった。ただ、驚いているような表情を作っていた。

「あぁ殺すさ」

そりゃ当然だ。自らの命が惜しいからな。

万が一俺の情報をリークされた場合、俺は安心して過ごすことが出来ないから。同業者殺しなんてよくあるもの。七年間も名を馳せてきた以上、俺を狙う者は少なからずいるだろう。また警察なんかにも目を付けられては厄介だ。

一番手っ取り早くて確実なのは、俺を見なかったことにすること、そして俺と出会わなかったことにすること。

「……」

彼女は黙っていた。そして顔をこちらに向けたまま。じっと静止して、銃口を見つめた。俺の隣に倒れる死体になんか目も暮れずに。


――死ね。


心の中でそう唱えた。俺の中では、これが殺害のトリガーとなる言葉だ。これを唱えれば、俺の右人差し指は細い引き金を引っ張り、中から50口径の銃弾が脳天を貫通する。


――死んでくれ……凛花……。


そう相手の名前を唱えた。凛花。俺の同級生だ。

小中と同じで、またクラスを離れたことが一回しかない。そして生憎、家も隣。そして幼稚園も同じだ。俗に言う、幼馴染ってやつなんだろう。だから周りの友達からは焼酎コンビと呼ばれていたりする。

まぁ、今日でその焼酎コンビは解散するのだがな。


人殺しにとって、人間関係とはスーパーのレシートと同じくらい要らないものだ。持つと逆に自らを命の危機に立たすことになる。


だから要らないんだよ。

じゃあな。


――ガチャリ。


今度はスライドを後ろに引き、もういつでも撃てる準備が完了する。何度、このシチュエーションを体験しただろう。通算五百人をも殺めているので、五百回前後か。

そのどれも、とても容易く実行できた。今と同じように、マガジンをセットしてスライドを後ろに引き、そしてトリガーを指で引っ張るだけ。


簡単だよ。それで人が殺せるんだよ。


ありがとう、でもさよなら。

「ッ!……」


俺の右人差し指は、なぜか動かない。そしてかなり震えていた。

いつしか、がちゃがちゃと音を立てるまでに、震えていたのだ。

「クソッ……!」

俺の手は、とうとう動かなかった。

がちゃり、

そう音を立て、俺のピストルは地面に落ちた。


「ごめん」

俺はそう口に出し、足に力を入れ、隣に聳える店の壁を駆ける。

血だまりの上に倒れる一人の男。それを見つめたままの、一人の少女。

俺は去り際に、何度もその光景を見直してしまった。





――君の瞳は、蝋色だった。

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